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中間市 -20:06-

 波のように沸き立った罪悪感は、一時を過ぎればそのまま静かに過ぎ去っていってしまった。

 しばし鉛のように重かった足取りも、一階から二階に上がるころには元のようになっていた。

 見たことのない、赤の他人だったからだろうか? 人の命も、存外軽いものだ。


「………」


 服の袖で顔にべったりと顔に付いた血を拭いながら、英人はさらに上を目指す。

 さし当たって、上から調べていこうと思った。根拠があるわけではないが、聞こえてきた声が三階から聞こえてきた気がするのだ。

 中間北小学校は三階建てで構成されている。各階には二学年分の教室があり、各学年二クラス、計十二教室存在する。

 さらに教室の前にはレクレーションのためにも用いられる、カーペットの敷かれた広場も存在する。小学校としてみた場合、廊下の広さはなかなかのものだろう。

 だが、普段は見通しの良いその廊下も、暗い闇の中に沈んでは先を見通すことができない。

 三階へと上がり、壁のそばにかがみ込んだ英人はなかなか慣れない暗闇を前に辟易したように呟く。


「何で電気つけないんだよ、ホント……ゾンビがあちこちにいるからか?」


 ゾンビから逃げ回っているのであれば、明かりをつけないことで自分たちの位置を知らせないという意味はあるのかもしれない。

 英人の懐中電灯に反応したのだから、廊下の明かりにはもっとはっきりとした反応を示すだろう。

 ゾンビがそこに人がいるのだと理解するのであれば、誘蛾灯に誘われる虫のごとく学校にやってきたゾンビたちが明かりの付いた階層にやってくる可能性は高い。

 ただ、それならば学校中の明かりを片っ端らからつけて回ったほうがいいだろう。視界が開けるし、あちらこちらに明かりがあればゾンビもどこに人がいるかなど特定できなくなるはずだ。


「こう暗くちゃ、逃げるのも大変だろうが……」


 英人はぼやきながら、壁にあるはずのスイッチを探す。

 学校に通っていたころはほとんど触れたことがなく、どこにあるかがはっきりと分からなかったが幸運なことに、すぐに目的のスイッチに触れることができた。

 とりあえず、電灯をつけるべくスイッチを切り替える。

 ……だが、廊下の天井が明るく事はなく、かちりという小さな音だけがむなしく辺りに木霊した。


「……あれ? おかしいな……」


 英人は何度かスイッチを切り替えてみるが、何度押しても廊下の電灯がつく事はなかった。

 幼いころの記憶でしかもおぼろげはあるが、それでも何回か廊下の電灯をつけた記憶はある。

 確か一回は、学校で行なわれた肝試しだったろうか。いつもの三人でその肝試しに挑戦したはいいが、脅かし役の先生や生徒たちが気合を入れすぎたせいで湊が大泣きしてしまい、あわてて先生が廊下の電灯をつけたのが、なんとなく思い出された。


「そういやぁ、あのときの先生の格好もゾンビっぽかったっけか」


 英人は小さく苦笑する。

 状況は似通っているようで、まるで異なっている。あの時のゾンビはただの仮装だったが、今この学校を闊歩しているのは本物の化け物たちだ。

 軽く頭を振り、懐かしい記憶をそのまま奥底へと沈めておく。今、この状況で油断するわけにはいかない。

 ここの電気がつかないということは、可能性としてはブレーカーが落ちている可能性が高い。恐らく電線は壁の中に埋め込まれているだろうから、ねずみが偶然かじっていない限りは無事だろう。

 状況を考えれば、学校の中にいる誰かがブレーカーを落としたと考えるべきだろうか。一体何のために?


「………」


 英人は学校にいる生存者の行動に不審を覚えつつ、懐中電灯を逆手に構え、明かりをつけた。

 さし当たって、奥のほうに何か危険な存在がいないか確認したかったのだ。

 懐中電灯が照らす廊下の先には、特に何も見当たらなかった。


「―――!? おい、誰だ!? 明かりをつけているのは!?」

「っ!」


 だが、その明かりを見た誰かからの反応は返ってきた。

 声がしたのは、階段から三つほど離れた扉のほうだ。

 開いたままのそこから、一人の男が顔を出し、必死の形相で英人を怒鳴りつけてきた。


「何を考えてるんだ!? 早く、早く消せ!!」

「消せ? 電気を?」

「他に何がある! 早くしろ!!」


 あまりにも必死の形相で怒鳴る男の形相を前に、英人は驚きながらも懐中電灯の明かりを消す。

 あまり無視するようだと、こちらのことを殺しかねない勢いだったのだ。

 ――と、不意に廊下の向こう側から聞こえてくる声があった。


―ヴ……ヴゥ、ヴァ……―

「……?」


 それはうめき声のようであった。

 廊下の奥のほうから聞こえてくるそれは、ずるりずるりと何かを引きずるような音と共に、こちらに方へと近づいてくるようであった。


「く……!? おい、そこのお前! 下手に動くなよ!?」

「………」


 教室の中へと引っ込んだらしい男の声が聞こえ、英人は息を潜めながら背中のスコップを手に取った。


―ヴヴ…ヴァァ……―


 ずるりずるりと、声と共に何かを引きずるような音が、近づいてくる。

 英人は声の聞こえてきた方向に目を凝らす。

 すると、ぼんやりと向こうから歩いてくるヒトガタの姿が見えてきた。


―……ヴ…ヴヴ……―

「……? っ!」


 気が付くのに、数瞬かかった。気が付いたときには、もうほとんど目と鼻の先にそいつはやってきていた。

 ……それは、人間の女性のように見えた。全身をひび割れた真っ黒い肌で覆われた、異様な風体。長い髪が顔を覆いつくしており、辛うじて片目が前を見据えているばかりだ。

 その両手に、何かズタ袋のようなものを引きずりながら、まっすぐに前を見据えて英人のほうへと歩いてきていた。

 英人は息を潜め、目の前の女?が通り過ぎるのを待った。


―ウ…ヴぁ……―


 女?は時折何かを探すように首を巡らせ、何も見つけられないとまた歩き、そしてまた何かを探すというような動作を繰り返していた。

 そのまま英人のそばを通り過ぎ、階段のほうへと去ろうとする。

 女?が横を通りすぎようとしたとき、英人はそいつが引きずっていたズタ袋の正体を目にする。


「―――」


 それは、まだ小さな子供であった。

 女?が握っているのは足。両手にしっかり細い足を握った女?はズタ袋か何かのようにぼろぼろになった子供たちを引きずっていたのだ。

 引きずられ、そしてあちらこちらにぶつけられたせいか、子供たちの体は原型をとどめているのが奇跡と思えるほどに汚れ、ぼろぼろに崩れていた。

 ささくれた足はいつちぎれるか分からない。……今、英人の見ている目の前で片方の子供の腕がちぎれた。

 女?はそんな子供の様子に一切気が付くことなく、階段を使って下階へと降りてゆく。

 後には、千切れた子供の腕だけが残された。


「………あれは」


 英人は女?が立ち去った後をしばし睨んでいたが、すぐに先ほどの男がいた廊下まで駆け寄ってゆく。

 英人の足音を聞いたのか、先の男はすぐに顔を出し、英人を睨みつけた。


「おい、何を考えてるんだお前は!? あいつは――!」

「俺は櫛灘英人って言います。中間高校からここまで来ました。――どうぞ」


 英人は男が何かを巻くし立てるより先に、途中で入手したペットボトルの飲料水を差し出した。

 英人の言葉と、差し出されたペットボトルに男はしばし言葉を失ったが、すぐに自らを落ち着かせるように頷きながらペットボトルを受け取った。


「外……から? それに、櫛灘……そうか、君は礼奈ちゃんのお兄さんだったか……」

「はい、そうです。妹から電話をもらって……ここの、体育館にいると、聞いたんです」


 男はペットボトルのふたを開け、中の水を飲み始める。

 英人は男が水を飲み終わるのを待ってから、家族の行方を尋ねた。


「それで、俺の家族を知りませんか? 体育館の、惨状は見ました……」

「ング……ッハァ……。そうか、あれを見たのか……」


 男は水を飲み、沈うつな表情で俯いた。


「……君のご家族は、見ていない。あの混乱の中で、みな散り散りになってしまった……。多くの人も、亡くなられた……」

「そうですか……」


 男と一緒にいったん教室の中へと入りながら、英人は質問を続けた。


「……あそこで、何が? ゾンビが、入り口から入ってきたんですか?」

「………」


 男はしばし沈黙し、それからゆっくり話し始めた。


「……何があったのかは、俺にもはっきりと分からない……。今でも、信じられないくらいだ……。霧の大量発生と、徘徊するゾンビの出現……生徒たちの安全を確保するため、体育館に召集したまでは良かったんだ……。体育館なら、窓も高いし、扉も頑丈だ。避難場所としては、十分だと思われていた……」


 男は、かすかに身震いした。


「……だが、突然……本当にいきなり、金切り声が聞こえた。何かと思ってそちらを見たら、人が一人つるし上げられてたんだ。大の男が、女に……。驚いて固まっていると、女は男の喉を裂いて、適当な場所へ放り投げた……。そのときには、その女の肌はもう黒く変色し始めていたんだ」

「黒く……?」


 黒い肌、と聞いて英人は先ほど現れた女?の姿を思い出す。

 黒い闇を思わせる、黒一色の肌をした女……。

 英人の表情から何かを読み取った男は、小さく頷きながら話を続けた。


「周りの人たちがその女を取り押さえようとしたが、それは叶わなかった……。逆に、女が近づいてきた男たちをその両手の爪で引き裂いた。女の全身が黒く染まりきるころには、死屍累々だった……だが、それだけで終わらなかった。女に切り裂かれた男たちが、立ち上がって回りの人間を襲い始めたんだ……」

「………! それは、ゾンビに……?」

「分からない……ただ、そう言えるかも知れない……。立ち上がった男たちが、若い女の子の腸を食いちぎっているのも見た……」

「………」


 男の話を聞き、英人は怪鳥に噛まれた腕をかすかに撫でる。

 ……化け物に裂かれただけで、ゾンビ化してしまった人間がいる。なら、噛まれた自分はもう助からない……のだろうか?

 それにしては時間がかかりすぎている気がする……だが、怪我の異様な治りの早さはゾンビか化け物にでもなっていなければ説明が付かない……。


「―――」


 英人は頭を振って思考を切り替える。今は、悩んでいる場合ではない。

 重要なのは、体育館の中で化け物が暴れ、中に避難していた人たちが散り散りになったということだ。


「……それで、そういえばあなたは?」

「あ、ああ……自己紹介が遅れたな。櫛灘礼奈ちゃんの担任の、春日だ」

「春日……ああ、あなたが」


 男……春日の名を聞き、英人は礼奈が彼のことを話していたのを思い出す。

 ちょっと頭の固いところがあるけれど、いい先生だ、と。

 英人はかばんの中から乾パンを取り出しながら、春日へと手渡す。


「これもどうぞ」

「え、いいのか?」

「はい。それなりに、量はありますから」

「そうか……すまない」


 春日は申し訳なさそうに英人から乾パンを受け取り、口へと運ぶ。

 ぼそぼそとした食感の乾パンを水で流し込み、春日は一息ついた。


「ふぅ……それで、君はこれからご家族を探すのか?」

「ええ、そうですね。手遅れになる前に……」


 英人は袖の上から噛み傷を握り締める。

 そう、自分がどうにかなってしまう前に、もう一度家族に会いたいのだ。

 そんな英人の内心を知らない春日は、納得したように頷いてこう申し出た。


「そうか、なら俺と一緒に行かないか?」

「先生と?」

「ああ。一人より二人のほうが多少安全だろうし……ここにいる化け物についても、話してやれると思う」


 春日の言葉に、英人は少し考える。

 願ってもない申し出だった。一人より二人のほうが、ぐっと生存率は上がるだろう。

 英人は頷き、改めて春日に向き直った。


「もしよろしければ、お願いします」

「ああ、こちらこそ。よろしく頼むよ、英人君」


 春日は嬉しそうに笑い、それから教室の外を目指す。




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