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中間市 -18:33-

「……ん……」


 束の間の休息から目覚めた武蔵は、軽く目をこすりながら携帯電話で現在の時間を確認する。


「……18時半か……」


 携帯が示す時刻は18:33。学校の外の霧も、そろそろ茜色に染まり始めている頃合だろうか。

 そして、夏期講習が始まってそろそろ十時間になるか。いつもどおりであれば、とっくの昔に帰宅して、そろそろ晩御飯を食べている頃合だろうか。


「……あ、やべ」


 そこまで考えて、武蔵は間の抜けた声を上げる。

 いまさらではあるが、家族にまったく連絡を入れていないことに気が付いた。

 あれから怒涛のように事態が急変し、バリケードの構築完了まで一気に突っ走ってしまったためそんな暇がなかったというのが言い訳であるが、それにしてもメールの一本くらい入れる間があったかもしれない。


「と、とりあえず履歴を……」


 武蔵はあわてて携帯電話の履歴を確認する。

 夏期講習のためマナーモードにしておいたのが、仇になっただろうか。予想通りに十数件近い着信履歴が残されていた。その全てが、両親からの連絡であった。


「あーあー……母ちゃん、怒ってるかな……?」


 武蔵は小さく呟きながら立ち上がる。とりあえず、無事であることくらいは連絡しておかなければ。

 辺りを見れば、湊も他の生存者たちも小さな寝息を立てている。

 今、薄暗い教室内で動いているのは、武蔵だけであった。

 起きている者は、部屋の片隅では秋山が俯いたままぶつぶつと何事か呟いていたりするが、立ち上がった武蔵のほうには何の反応も返さない。


「……秋山……」


 友の死に、この絶望的な状況にと心が壊れてしまったかのような秋山の姿を見て、武蔵は胸を痛める。

 だが、今の彼女にかけられる言葉は武蔵の中にはなかった。小さく首を振りながら、武蔵は教室の外に出る。

 なるたけ音を立てないように教室の扉を閉め、武蔵はゆっくりと教室から離れていった。

 板張りをした廊下の窓の隙間から見える空はやはり紅く染まっており、もうじき日が落ちることを感じさせた。

 良くあるホラーゲームでは、夜こそがゾンビや化け物たちの本領となる。果たして、この状況のゾンビたちは、夜を力として暴れまわるのだろうか?


「……そうでなきゃ、いいけどな」


 小さく呟きながら、階段の踊り場までやってきた。ここまでくれば、多少の話し声なら教室には届かないだろうし、バリケードの状態も気になっていた。

 いつの間にか化け物がやってきて、バリケードを破ろうとしていないかどうか気になっていたが、どうやらそういう気配はないようだ。

 ほっと一息つきながら、武蔵は携帯電話の履歴から両親の番号を呼び出す。

 まずは一番呼び出し回数の多い母親から。

 電話が通じたらどんな小言が飛び出すがびくびくしながら、通話ボタンを押した。


「………」


 そのまましばらくコール音に耳を済ませていたが……十コールを超えても電話に出る気配がなかった。


「……まさか」


 武蔵は一度呼び出しを切り、次に父親の電話番号にかけてみる。

 鳴り響くコール音。少しずつ高鳴る心臓。

 武蔵は黙ったままコール音に耳を傾け――二十コールを越えた辺りで全てを諦め、携帯電話の呼び出しを切った。


「………………マジかよ」


 片手で顔を半分覆い、武蔵は絶望したように呟いた。

 改めて、通信履歴を確認してみると、16時頃を境に両親からの連絡がぷっつりと途絶えている。

 念のためとメールのほうも確認してみたが、両親からのメールは一通も入っていなかった。文明の利器に疎い体育会系の両親であるが、さすがに伝言メールの一通すら送ってこないのはおかしい……気がする。

 最悪の想像が頭の片隅を掠めてゆく。

 なすすべなく、大量のゾンビに囲まれ、体の端から少しずつ噛み付かれ、そしてむさぼられてゆく両親の姿……。


「………ハァ」


 そこで武蔵は陰鬱に一つため息をついた。自分でした想像であるが、その一方で頭の別の方向からそんなわけあるかというツッコミの声も聞こえてきたのだ。

 体育会系だけあって、腕力やら脚力やらは同世代の人たちよりも上だ。その気になれば、サバイバル生活だって送れるとかほざいていた気もする。

 ……メールや電話連絡が途絶えているのは、恐らくゾンビから逃げ回っているためだろう。こちらから電話連絡を入れたのだから、そのうち返事のために電話がかかってくるに違いない。

 来るであろう両親からの電話に備えマナーモードを解除し、さらに念押しでこちらからメールをそれぞれに送っておく。

 とりあえず無事であること、電話をしたいことだけを簡潔に文章にまとめ、二人に送信する。

 文明の利器に疎くても、メールくらいは見れるだろう。


「……とりあえず、こんなところかね」


 武蔵は呟きながら携帯電話をしまい、教室へと戻る。

 あまり長く離れていても、湊を心配させかねない。

 茜色に染まっている廊下を歩きながら、武蔵はここにはいないもう一人の親友のことを考える。


「……英人、無事だよな」


 ポツリと呟きながら、板張りの隙間から学校の外を見る。

 黒沢が担いで連れて行ってしまった英人からも、あれから一切の連絡が途絶えてしまった。

 ひょっとしたら、こちらに電話か、あるいはメールの一本くらいは送ってくれるかもしれないと期待していたが……音信普通のままだ。

 バリケード構築の途中、何度か逆にこちらから連絡を入れようかと考えたが……下手に連絡して向こうが危険に晒されるかも知れないと考えると、どうしても連絡するのが戸惑われた。

 まだ化け物もおらず安全な学校内と違い、彼がいるのは校外……もっと言うのであればゾンビや化け物が跋扈する危険な場所に、英人はいるのだ。

 それに……こちらの連絡に彼が応じてくれるとは限らない。黒沢は目が覚めるまでは面倒を見るなどといっていたが……それが必ずしも目覚めるまでそばにいてくれるということではないだろう。

 安全な場所に彼を置き去りにして、自分はさっさと逃げようとするかもしれない。むしろ、その可能性のほうが高いだろう。

 そうなった場合……霧に包まれた街に、いきなり一人で放逐されてしまった英人……。そんな状況に陥って、こちらを一切恨まないなどということはありえないだろう。

 もちろん……携帯電話の電池が切れたとか、そもそも携帯電話が壊れて使えなくなったとか、連絡が不可能な状態に陥っているということもありえるだろう。


「……なに考えてんだか、俺は」


 むしろそうであって欲しいことを願ってしまい、武蔵は自己嫌悪に陥る。連絡が来ないことに対する理由付けのために、親友を危機的状況に陥れていいわけがないだろう。

 ……きっと、落ち着ける状況になったら英人も連絡をくれるだろう。それまでは、こちらから無理に連絡するのはやめよう。英人が家族と連絡を取るために携帯電話の電池は使うべきだろう。

 武蔵はそれ以上考えるのをやめ、教室に戻る途中で水道に立ち寄った。結局、委員長から差し出されたペットボトルを断ってから何も飲んでいない。おかげで、すっかり喉が乾いてしまった。

 水道の蛇口を捻れば水が湧き出してくる。現代日本ではごく当たり前の光景に感謝しながら水を飲んでいると、湊が教室から出てこちらに駆け寄ってきた。


「武蔵君! よかった……!」

「んお? あ、ごめん。すぐ戻るつもりだったんだけどな」


 湊の顔を見て、武蔵は申し訳なさそうな顔で謝る。

 やはり、彼女に黙って抜け出したせいで余計な心配をかけてしまったようだ。

 湊は不安そうな表情でこちらに駆け寄ってきたが、軽く頭を下げた武蔵を見てほっと一安心したように息をついた。


「もう……急にいなくなるから、英人君を追って外に出ちゃったかと思って……」

「いや、友誼に厚い武蔵さんでも、このゾンビ天国を徘徊しに行くのは無謀というものですよ? それに、湊を置いてはいけないなー」


 武蔵は軽く笑いながら教室へ戻るよう、湊を促す。


「行くときゃ湊も一緒だよ。俺は、はっちゃんと湊の子供の名付け親になるまで死なないって決めてるんでね」

「も、もう! 武蔵君、変なこといわないでよ!」

「ナハハ、照れることないのにぃー」


 湊を軽くからかいながら、教室の中へ戻る。

 すると、入り口の辺りで仁王立ちになっていた委員長とぶつかりかける。


「っと、委員長?」

「――外で、何をしていたのかな?」


 委員長は無表情で静かにそう問いかけてきた。

 武蔵はいぶかしげに眉をひそめながら、携帯電話を示してみせる。


「家族に電話。気が付きゃ着信でいっぱいになってたんでな。……まあ、繋がらなかったけど」

「……そうか」


 委員長は小さく頷き、それから一言付け加えた。


「――どんな用事であれ、外に出るなら一言欲しいな。君を心配して、湊君が外に飛び出した。団体行動を乱すような行為は、なるべく慎んでもらいたい」


 どこか、高圧的な物言い。

 睥睨するように、武蔵を睨みつける委員長。


「――ああ、悪かったよ委員長」


 武蔵は委員長の言葉に、肩をすくめる。

 それから彼のそばを通り抜ける際にその耳元でささやいてやる。


「――次からは気をつけるさ。次があれば、な」

「……フン」


 委員長はその言葉に小さく鼻を鳴らし、そのまま自分の定位置に戻る。

 武蔵は元々いた場所まで戻り、ゆっくりと腰掛けた。

 湊は武蔵の背中を追い、そのそばに腰を下ろす。

 そして武蔵の顔を覗き込み、小さく問いかける。


「……武蔵君、どうしたの? なんだか、怖い顔してるけど……」

「……これからどうなるかを考えてたんだよ。無事、助かればいいんだけどな」


 武蔵はそういってごまかしながら、鋭い視線で委員長を睨む。


(団体行動と来たか。この状況で。……一体、何にこだわってんだあいつ)


 委員長は黙ったまま、俯いて座り込んでいる。

 この状況で自分勝手な行動が死を招くというのはわかるし、委員長の言い分も理解できる。

 だが、あの威圧的な物言いは引っかかる。その中に恐怖心でも混じっているならわかるのだが……純粋に、自分の思惑に従わない者に苛立っているように感じた。

 王様気取りにしても、この状況でそんな風に浸れるものか? 安定した状況が続いているから、余裕ができたとでも言うのだろうか……。


「……ハァ」


 ……結局、委員長とは仲良くなれそうにない。今の自分はどうしても委員長を悪役に仕立て上げたいようだ。

 秋山の呪詛めいた呟きを聞き流しながら、武蔵はぼんやりと天井のシミを数え始める。

 とりあえず無心になろう。無心になって、心の奥の憎悪をどこかにやってしまおう……。






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