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中間市 -17:31-

 ――大量の粉塵が舞い散り、霧の白色に建材の灰色が入り混じる。

 ばらばらとエントランスを覆っていたガラスが、雨のように辺りに降り注ぎ、涼やかな音色を奏でながら砕けてゆく。

 ……鋭いガラスの雨に肌を裂かれながらも、何とか先の一撃から生き残った英人はうめきながら立ち上がる。


「ぐ……ぅ……!」


 あの寸前、何とか化け物の一撃をかわそうと横っ飛びに飛んだは良かったが、辺りの空気すら巻き込む化け物の勢いに体が引きずられ、もろともエントランスのガラスにぶち当たる羽目になってしまった。

 幸い、手足とついでにスコップは折れていない。背中の荷物もあたりに散らばっておらず、ザック自体もかろうじて無事だ。

 軋む全身に鞭打ちながら、英人は全身の痛む部分を触って確認する。


「あづ……」


 肋骨に腹部、背中に頭……どの部分も重度の出血が見られるようなことはなかった。

 内臓に関しても痛みはひどいが、長引くような感じはしない。切り傷程度はすぐに治るようになっているが、内臓破裂はどうなのだろうか。


―グア、ゴアァァァァ……!!―

「っつ……!?」


 だがそれ以上考える暇を化け物は与えてくれない。

 聞こえてきた咆哮に、英人はあわてて体勢を整えようとする。

 今、先ほどのように突進されてはかわすことさえ叶わない。挽肉になるのはごめんだった。

 しかし、化け物の一撃はすぐにはやってこなかった。


―ガァァ……! グォ……―

「……?」


 それどころか、よく聞けば化け物の咆哮はずいぶん遠くから聞こえてくる気がする。

 英人はシロガネ屋の外に展示してあった、半壊した家庭用物置の影から化け物の方を窺う。


―グォォ……!―


 化け物はたった一つの巨大な瞳を真っ赤に充血させながら、辺りを睥睨していた。

 窺うような動きで一歩一歩シロガネ屋へと戻ってきているところを見るに何かを……恐らく、英人を探しているようだった。

 ……先ほどと異なり、こちらの姿を見失ってくれたようだ。

 先の突進でどれほどすっ飛んでいったのだろうか。まさか、駐車場を一気に横断してしまったのか?

 ともあれ、逃げ隠れするなら今のうちだ。見失ってくれているうちに、何とかこの窮地を脱しなければ。


「っづ……!」


 だが、それも容易ではない。まだ全身は軋むような痛みを発している。

 体を動かすこと自体は問題ないが、走るとなると容易ではなさそうだ。

 それに、化け物の突進力を考えると人間が走った程度で逃げ切れそうもない。

 どうしたものか……。

 いかにして逃げるか思い悩む英人の耳に、何かが落下する音が聞こえてきた。


「!? ……あれは」


 その音に振り返ってみると、化け物の突進の余波に巻き込まれたらしい展示商品の自転車の車輪がこちらに転がってくるところであった。

 ママチャリにマウンテンバイク、三歳児用の三輪車……。風雨に晒されながらも買い主を健気に待っていたであろう自転車たちは、見る影もなく無残に拉げてしまっていた。

 ……だが、そんな中に一台だけ。奇跡的に車輪もフレームも歪んでいないマウンテンバイクの姿があった。

 自転車売り場の奥にあったからか、あるいは飛んできた破片が幸運にも当たらなかったのか……とにかく、使用に十分耐えそうな代物が英人の目に入ったのだ。


「これで……いけるか……!?」


 痛む体を引きずりながら、英人は何とかマウンテンバイクの元へと駆け寄る。

 高さは十分。スコップはザックごと背中に括り付ければいいだろう。

 足元は多数の破片のおかげでおぼつかないが、先ほど隠れた物置まで戻れば自転車を走らせ始めるのに十分な広さはある。

 問題は、今も近づいてきている化け物をどうやり過ごすか……。

 自転車売り場の向こう側は破片やら元いた生存者が作ったバリケードやらで塞がってしまっている。迂回することは難しいだろう。

 なら正面を一気に突っ切るしかないが、それだけの猶予が許されるか?

 化け物は一息吸ってから飛び掛ってくる。その間に突進線上から逃れられればよいが、そうでなければ新品の自転車ごとぺしゃんこだろう。

 ……しかし、他に選択肢はない。悩んでいる間にも、化け物の足音はだいぶ近くに来てしまっている。


「……よし」


 英人はザックと一緒にスコップを背負い、マウンテンバイクを担ぎ上げる。

 そのまま物置のあるところまで駆け寄り、マウンテンバイクを置いてその上に跨る。

 全身はまだ痛む。だが、走るよりかは自転車のほうがましだろう。


「………」


 そして、化け物がこちらに近づくのを、息を潜めて待った。

 

―グゴゴゴ………―


 ズシン、ズシン、と重たい足取りが徐々に近づいてくる。

 化け物のうなり声も、気のせいか慎重な響きを持っているように聞こえてきた。いたはずの獲物を、今も探しているのだろう。

 見失った時点で執着を失っていない辺り、一時を凌げても追いかけてきそうだ。


「………」


 ならば、スタートダッシュで一気に引き離す。そうして霧と町の路地を利用して、姿を晦ませるしかない。


―グググ……―

「………」


 足音が、耳元まで聞こえているかのように錯覚できる距離までやってきた。

 ……恐らく、もうすぐそこまで来ているのだろう。

 英人はマウンテンバイクのハンドルを握り締め、ペダルに足を掛ける。

 まだ全身は痛みを発している……。一度漕ぐのを止めてしまうと、もう二度と漕げそうにない。


―ウグァ……?―


 化け物のうなり声に、疑問系が入り混じる。こちらの姿がまだ見えないことが不思議なのだろうか。

 英人がいる物置の影に、甲殻で包まれた化け物の巨大な腕がほんの少しだけかかった――。


「―――!!」


 瞬間、英人はマウンテンバイクのペダルを一気に漕いだ。

 ギアが回転を始め、チェーンが唸りを上げる。

 地面に無数に飛び散っていたガラスを車輪で踏み砕きながら、英人は化け物の目の前を一気に走り抜けた。


―っ!! バァァァァァァ!!!―


 巨大な目で英人の姿を見つけた化け物は腕を振り上げ英人の体を叩き潰さんとする。

 だが猛スピードで走り抜けるマウンテンバイクを捕らえることは叶わず、英人の姿は一気に視界から消えようとした。


―ガァァァァァァァ!!!―


 化け物は大声を上げながら体を回転させる。

 視線を巡らせ、英人の姿を追おうとした。

 だが、その視線の先に英人の姿はない。


―ガッ!? ウゴォォォ!!―


 化け物は英人が回ったはずの方向を睨み、そして左右に視線を巡らせる。

 だが霧の中に動く影はなく、どこかへ逃げようとする獲物の姿はどこにもなかった。


「―――!!」


 そうして……あらぬ方向を見つめる化け物の背中側から一直線に出口に向かって、英人は一気に自転車を走らせる。

 化け物が方向転換しようとした瞬間、英人はそのまま化け物の体にぴったり寄り添うように自転車を走らせ、化け物の視界の死角になっているであろう真下から化け物の背中に抜けたのだ。

 この化け物が音に鈍いのはわかっている。急ブレーキを踏んだところで気が付かない可能性はあった。至近距離の音に関してどうなのかは賭けであったが、英人はまんまと化け物を出し抜いて一気に距離を稼ぐことに成功した。


「このまま一気にぃぃぃ!!」


 ペダルを全力で漕ぎながら、英人はシロガネ屋敷地内を脱出しようとする。

 だが、背中側から化け物の声がする。


―ボッゴォ!!―

「くっ!?」


 視線を後ろへ飛ばせば、化け物の体がまた膨れ上がっているのが見える。


―ボアァァァァァァァ!!!―


 そして爆音と共に飛び上がる化け物の体。

 あの巨体が一体どれだけの力で跳ね上げられたのか……化け物の姿は、あっという間に英人の視界いっぱいに広がろうとしている。


「くそぉ!?」


 英人は前を向き、一心不乱に自転車を走らせる。

 後ろから迫るのは、空を刳り貫くようなとんでもない音を上げながら飛翔する化け物。


―バァァァァァァァ!!!!―

「おおおおぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ほんの数秒のデッドヒート。命さえ掛けた勝負の軍配は、ひとまず英人に上がった。

 コンクリートの地面を打ち砕きながら落着した化け物の体。

 その下からかろうじて逃れた英人は、叩き付けられた化け物の両腕の間を、落下の衝撃で飛び上がりながら何とか抜けていった。


「っづぁ!?」


 走っている自転車を跳ね上げられるほどの衝撃に、英人の内臓が悲鳴を上げる。

 突き上げられた一撃は英人の臓腑をえぐり、そして地面に自転車が降り立ったときにもう一度同じ一撃が英人の体を襲う。


「おぐっ!? ぶ、ぐぇ……!!」


 一瞬胃の中の全てをひっくり返し、さらに全身を地面に投げ出しかけそうになる。

 だが、刹那の間でバランスを奪い返し、英人は自転車を走らせ続けた。

 ここで転べば、結局化け物に捕まる。死んでしまうことに比べれば、内臓がひっくり返りそうになるなど、生きている証としてありがたいくらいだ。


「…………っ!!」


 英人は全身から脂汗を噴出しながら、シロガネ屋駐車場から外に出る。


―ウガァァァァァァ!!―


 それを追うように、化け物も咆哮を上げながら立ち上がる。

 紅く充血し、光り輝いて見える化け物の瞳は逃げ去ろうとする英人の背中を捕らえて離さない。


―バアアアアァァァァァアアアアアア!!!―


 霧さえ吹き飛ばしかねない咆哮と共に化け物が駆け出す。

 極端に肥大化した両腕を使い、地面を掴み体を投げるかのように移動する化け物。


「追ってくるかよ、やっぱり……!」


 それを背中で感じながら英人は必死に自転車を走らせる。

 広い公道で、英人と化け物のチェイスが始まってしまった。




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