中間市 -15:27-
「……うりゃぁぁ!!」
「っ!」
そう考え、油断していた英人のこめかみに鋭い痛みが走る。
幼い掛け声とともに振るわれたのは、包丁だろうか……。英人は揺れる視界の端で、小柄な影の動きを捕らえた。
英人を斬りつけた子供は、両手で持った包丁を英人に突きつけ甲高い声で叫んだ。
「このコンビニは俺たち中間ブラザーズの拠点だ! 団員じゃないやつは、今すぐ出て行けぇ!!」
「………」
包丁で斬りつけられ血があふれ出したこめかみを押さえながら、英人は己を切りつけた少年をねめつける。
あまり身長は高くない。おそらく、礼奈と同い年くらいだろうか。
手にした包丁はどこで確保したものだろうか。少なくとも刃渡り二十センチ程度はある。小柄な少年が持つと、さながらショートソードといった面持ちだ。
こめかみの痛みに顔をしかめながら、英人は少年に問いかける。
「中間ブラザーズ……?」
「そうだ! このコンビニは俺たちが占拠してるんだ! 後から来たお前はとっとと出ていけぇ!!」
「そうだそうだ!」
「出ていけぇ!!」
「………っ!」
レジから聞こえてきた声に視線だけで振り返ると、後三人少年たちがものさしやカッターで武装して、レジカウンターの向こう側から威嚇してきていた。頭に鍋をかぶっている子供もいる。
おそらく、先制攻撃を仕掛けてきた子供もレジの影に隠れていて、タイミングを見計らって襲い掛かってきたのだろう。
英人は胡乱げな顔つきになりながら、改めて包丁を握り締めている少年に向き直り、めんどくさそうに告げる。
「何か適当に食えるものをもらったら出て行く……」
「うるさい! お前にやる食べ物なんかない! このコンビニあるものはみんな俺たちのものだ!!」
少年は声高に叫びながら包丁を英人に向かって突きつける。
英人はその震える切っ先と、少年の揺れる瞳を交互に見やりながら、問いかける。
「……店の人はどうした」
「初めっからいなかった!! だからここは最初に来た俺たちのものだ!!」
「お前、その包丁は」
「店の奥を探検したときに見つけたんだ! 俺はリーダーだから、俺が持ってる!」
「そいつで俺をどうするつもりだ」
「お前がおとなしく出て行くんなら何もしない! でも、まだこの店にいるっていうなら……!」
少年は鬼の形相で一歩踏み出した。
「お前を、これで、殺してやる!」
「………」
英人は胡乱げな眼差しで包丁を見つめる。
刃は汚れ、いささかくたびれた風情の包丁だ。手入れは行き届いていそうにない。
だが、切れ味はしっかり確保してあるようだ。こめかみの切り傷は決して浅くはない。あふれた血は、手のひらにべっとりと付着している。
黙ったままの英人に向かって、少年はまた一歩進む。
「……どうした! 殺すって、いってるんだぞ! 早く、この店から出て行け!!」
「………」
「……殺すんだぞ!? お前、死んじゃうんだぞ!! 出て行けば、死なないんだぞ!!??」
「………」
必死に叫び、ついには瞳に涙を浮かべ始める少年。
あまりにも黙りこくったままの英人が不気味なのか、レジカウンターに隠れている少年たちも声を上げ始める。
「さっさとでていけよ! リーダーの言うとおりだぞ!」
「俺たちは怖くないぞ……! 人殺しなんて!!」
「死にたくないもん……! だから、だから!!」
ついにはレジの中にあるボールペンや解凍前の惣菜を投げ始める子供たち。
「出て行け!」
「出て行け、出て行け!」
「早くでてけぇ!!」
前に立つリーダーのように必死に、さながら懇願するように、少年たちは英人に向かって物を投げつける。
英人の肩や背中に、少年たちの投げつけたものがぶつかってゆく。
「………」
それを受けてなお、英人は無言であった。
痛みがなくなったわけではない。いくら子供の投げるものでも、硬いものがあたれば痛い。
……だが、それ以上に。
「―――ハ」
英人の中で、何かが切れる。
今まで腹の奥底に溜まりに溜まった黒い何かが堰を切ったように溢れ出す。
「ハ、ハハ、ハハハハ―――」
「……!? な、なんだ!?」
力なく笑い始めた英人を前に、少年たちは威嚇行為を止める。
英人は血に塗れた手で顔を覆い、笑い声を上げながら包丁を握る少年をにらみ付ける。
「俺を殺すといったか……? えぇ……?」
「………っ!」
真っ赤に染まった手のひらの間からのぞく、狂気をはらんだ瞳を前に、少年は怖気づいたように何歩か下がった。
英人は顔から手を離し、そしてもう一方の手をその場にいる全員に見えるように掲げ上げた。
「お前らこれが見えるか……?」
「………?」
その手に刻まれているのは、学校で化け物に噛み付かれた傷の跡。
腕に大きく刻まれたその跡を見て少年たちは何なのか理解できずに首をかしげる。
そんな少年たちに、英人ははっきりと告げてやった。
「―――外で化け物どもにつけられた、噛み傷だよ」
「―――え?」
「襲われたのさ、外でな。何とかそいつはぶち殺してやったが、おかげでこの有様だ……」
英人はゆっくりと、見せ付けるようにこめかみの血を乱暴に拭い去る。
……先ほど少年が切りつけ、血が溢れる程度には深く傷つけられたはずのその場所は……すでに、血が止まり、さらには傷が塞がり始めていた。
「……え? き、傷が……!?」
「わかるか、おい……傷はもう治ってるぞ……? そんな包丁一本で、俺が殺せるのか……?」
ゆっくりと……ことさらゆっくりと英人は少年に一歩ずつ近づく。
目の前にいる存在が、ただの人間ではないと直感で感じた少年はじりじりと後退してゆく。
「く、くるな……!」
「化け物に噛まれた……だがその傷ぁ一時間もしないうちに塞がった……。血が出る程度の傷なんかこのとおりだ……。そんなやつを、お前は、包丁一本で、どう殺すんだ……?」
「くるな……くるな……!」
「殺せるもんなら殺してみろよ……えぇ……? リィーダァーさんよぉー……」
「く――くるなぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
ついに恐怖が臨界点に到達してしまった少年は悲鳴を上げ、叫びながら英人に向かって包丁を振りかざし、突撃してくる。
大きく振りかぶった包丁は英人の体……腹部辺りに狙いを定められる。
「―――」
だが、それが振り上がった瞬間、英人は少年の手首を血塗られた手でがっしりと掴む。
そして、そのまま少年の体を持ち上げてしまう。
「ひ!? ひゃぁぁぁぁ!?」
「ざぁんねぇんだぁったなぁぁぁぁ!?」
英人は恐怖心を煽るがのごとく叫びながら少年の涙にぬれた顔を見つめる。
口が裂けたかと思うほど深い笑みを浮かべた英人は、至近距離で少年に向かって呟く。
「殺せそうかぁ? えぇ、リーダーさんよぉ……」
「ひ、ひ、ひ……!?」
もはや恐怖で声も出ない様子の少年は、しゃっくりを繰り返しように短く悲鳴を上げる。
英人はそんな少年の様子を愉悦そのものといった表情で見つめながら、勢いよく振り回す。
「あ、わぁぁぁぁぁ!?」
そしてそのままの勢いで、少年の体をレジに向けて投げ飛ばした。
大きな音を立てて、レジ下に叩きつけられる少年の体。
英人は振り回した腕をだらりと下ろし、倒れた少年と、その後ろでおびえている少年たちを見下ろすように睨み付ける。
「………」
「ぐ、ううぅぅ……!」
「り、リーダー!?」
少年たちはレジを乗り越え自分たちのリーダーに駆け寄ろうとする。
「触らないほうがいいぞ」
そんな少年たちに、英人は低い声で告げた。
「今俺は化け物のウィルスに感染してる……そんな奴の血がべったり付いたんだぞ? そいつが無事だと思うのか、お前ら?」
「え!?」
英人の告げた言葉に少年たちは驚愕し……そして、リーダーから数歩離れる。
「り、リーダー……?」
「うそ、だよね……?」
「う、うう……? え、なに……?」
痛みにうめいていたリーダーは英人の言葉を聞き逃していたようで、周りの仲間たちの様子の意味がわからず、皆を見回す。
怯え、震える少年たちの背中に、さらに英人は追い打ちをかける。
「あっさりしてるよな、人間を止めるなんざ……。噛まれたり血が触っちまったりで、もう化け物の仲間入りだ……なぁ?」
「ひっ!?」
一歩一歩近づく英人の足音に怯える少年たち。
英人は足を止め、無表情で告げる。
「―――何もしねぇというなら、俺も何もしねぇ。だが化け物になりてぇってんなら―――」
そして一歩さらに踏み出す英人。
「「「――ヒ、ヒィィィィィィィ!!!???」」」
瞬間、堰を切ったように少年たちが悲鳴を上げ、手にしていた武器を放り出してコンビニから逃げ出した。
足はもつれ、顔は涙と埃で汚れ、必死になって逃げる少年たち。
「え!? み、みんな――!?」
置いていかれたリーダーは、わけもわからず仲間たちの背中を追いかける。
「ま、待ってよ!? 何で!? 何で外に出ちゃうの!? ねぇなんで!? お、俺を一人にしないでくれよぉー!!!」
リーダーと呼ばれていた少年も、持っていた包丁を放り出し仲間を追って駆け出してゆく。
……そうして、コンビニには英人だけが残された。
「………」
一人、コンビニに取り残された英人はしばし少年たちが逃げ出した背中を視線で追っていたが、その姿が見えなくなった辺りで踵を返す。
そしてペットボトルと適当な弁当を棚から取り出し、レジの下から割り箸を取り出す。
そのままコンビニの部屋の隅に腰を落ち着け、すっからかんになった胃袋を満たすため、弁当に箸をつけ始める。
「………」
無言のまま、少しずつ弁当を食べる英人。
そんな、彼の視界が不意にゆがむ。
「―――」
ぱたり、ぱたりと弁当につめられたご飯の上に雫がこぼれる。
英人はしばし箸を進める腕を止め、ご飯の真ん中に据え置かれた梅干を見つめる。
「―――」
………しばらくの間、英人は泣いた。
礼奈と同い年の子供を怯えさせた自分の情けなさと……もう、人間扱いなどされないであろう自分の未来を確信し、静かに涙を流した。




