中間市 -15:11-
――商店街からの脱出は比較的スムーズに成功した。
街中に広がっている霧が視認性を低くしてくれているおかげで、どうやらゾンビたちの視界にさえ入らなければ見つかることはないようだった。
商店街を出るときに、アーケードより現在位置が「中間南商店街」であることも判明した。こちらはあまりうれしくないニュースだ。見覚えがないだけで、比較的来た小学校に近い北側の商店街であることを祈っていたのだが。
ともあれ、英人は商店街を脱し、一路中間北小学校を目指した。
中間市の大まかな地図は頭の中に入っている。北小と南商店街の位置関係も大雑把にわかっている。
……だが、やはり霧とゾンビが広がっている街の現状において、スマートに北小まで向かうのは困難を極めた。
街中に広がっている霧は英人の姿を隠してくれるが、現在位置を確認できるオブジェクトの存在も一緒に隠してしまっている。
ぼんやりとであれば、遠めでも姿の影程度はわかるし、ある程度接近すれば何があるのかはっきりするのだが、そのためにたびたび寄り道を強いられることになっている。
それだけでも余計な時間を食うというのに、さらに街中のいたるところにはゾンビたちが徘徊しているのだ。
「 ア ー … … 」
「っ!」
前方、小学校方面と辺りをつけていた進路上に、一人……いや、一匹のゾンビが歩いているのが見えた。
手に何か長い紐のようなものを持っており、それをずるずる引きずっている。
ゾンビはしばらくゆらゆらと歩くと、そのままくるりと体を反転させもと来た道を揺ら揺らと歩き始める。
いまいちその行動の真意はつかめないが、どうも一定距離をグルグルと徘徊しているように見えた。
「くそ、またかよ……」
英人は忌々しげにつぶやくと、辺りを見回し適当な路地へと体を滑り込ませる。
しばらく路地を進み、安全を確認してもう一度おおよその進路へと足を進めてゆく。
……こうした、ゾンビの徘徊コースを避けるための迂回のおかげで、思っていた以上に時間を消耗しているのだ。
ゾンビが一匹だけであれば突破は容易だろうが、こんなところで無駄に体力を使っている場合でもあるまい。結局、商店街を出てから何も口にできていない。せいぜい、途中の道で見つけた自動販売機でジュースを買った程度だ。
よく飲むコーラはすきっ腹に染み渡るほど美味しかったが、しばらくすると余計に空腹を自覚する羽目となってしまった。やはり、固形物で胃袋を満たしたい。
「………」
英人は無言のまま、ゆっくりと歩みを進める。目の前をしっかりと見据え、怪しい影が動こうものなら即座に隠れられるよう、付近に障害物があるかどうかの確認も怠らない。
今のところゾンビと正面から鉢合わせるようなことにはなっていないが、もしそうなったら、今の英人では逃げるくらいしか有効な手段がない。
人ではないなら殺せばいいのかもしれないが……あいにく英人の手持ちの道具では人間大の生物を殺しきることは難しいだろう。
そもそも、持っているのは財布と携帯電話くらいだ。……空を飛ぶ化け物から身を守ることすら怪しい。
―アアアァァァァァァァァァ……!!―
「っ!」
不意に、どこか遠くのほうから悲鳴が上がる。
また、誰かがゾンビや化け物の犠牲となってしまったのだろう。
商店街の食い逃げ男とあわせて二人目……短い間で、生きていた人間の存在を二人確認できた。
それを考えれば、まだこの街には生存者が多くいるのだろうか?
希望的観測かもしれないが、黒沢を含めた生存者たちが何とか待ちの外へと脱出し、この街の惨状を伝えることができれば、もっと生存者は増えるだろう。
いや、こんな異常な状態に街の外の人間が気が付いていないというほうがおかしいはずだ。きっと、一両日中には自衛隊が救援に来てくれるはず―――。
「………」
そこまで考えて、英人は自分の顔を片手で覆った。
今視界の端に映っている、化け物の噛み傷……。英人の体が、化け物の仲間入りを果たしたであろう、証。
今、街を埋め尽くさんとしているゾンビたちが新手の細菌兵器で生まれたモンスターであるなら……自衛隊はそれを駆逐してくれるだろう。感染の疑いが強い英人と一緒に。
……あるいは、英人を救うためという名目で国が助けてくれる可能性もあるかもしれないが、扱いとしては新種の感染病のモルモットだろう。一生日の目を浴びることなく、檻の中で過ごせれば幸い。さもなければ数多の薬物漬けにされた挙句、生きたまま解体ということもあるかもしれない。
「……フ、ハハ」
英人は自嘲気味に笑う。武蔵に付き合ってゾンビもののゲームや漫画などに触れる機会が多かったのだが、おかげで余計な想像が頭の中から離れない。
化け物に噛まれ化け物になるなら、自分はどんな化け物と化すのか? その辺りをうろつくただのゾンビに成り果てるのか? あるいは空を飛ぶ化け物のようになってしまうのか?
それらですらないとすればどんな姿となるのか? 人の形は保てるのか? 自我は? 意識は? 死にたくないという思いさえ消え果て、生きた人間を襲い、最期には同じ人間に殺されるのだろうか?
いや……そもそも、死ねるのだろうか? あの時、首を落とした化け物は死んだと思いたいが……今の英人は、二時間程度で腕に開いた大穴が塞がるような状態だ。本当に死ねるのか? 死ねるとしたら、楽に死ねるのか?
……不死を手にした男の末路は、永劫に続く激痛だったという。死のうと首を切り落とし、さらに土の中に埋められても結局死ねず、ただ死へと至る為の苦痛が男の精神を苦しめ続けたのだという。
「………っ」
ああ、思い出すのではなかった。考えるのではなかった。
英人の足は鉛のように重くなり、彼はそばにあった電柱に手を付く。
いくも地獄、とどまるのも地獄。
顔中を冷や汗が覆い、パタパタと道路へと垂れてゆく。
「………」
しばし立ち止まり、目を伏せる。
……そうして脳裏に浮かべるのは、朝に見た家族の姿。
こんなことになるとは欠片も思っていなかったときの、いつもの風景を思い浮かべる。
「………」
父も、母も、礼奈も、いつものように笑顔で英人を送り出してくれた。
英人は、そんな家族たちに笑顔を見せることなく家を出てきた。
家を出るのも、家に帰るのもいつものことだったのだ。こんな……まさか、こんな風に家に帰れもせず、霧の中で立ち往生するなどとは、思ってもいなかったのだ。
「………」
笑顔の家族に、いってきますといって、家を出たのだ。
最期に笑って、ただいまと、さようならを家族に言うこと位は……許されるだろう。
「……よし」
英人はもう一度決意を固め、顔を上げ、足を踏み出す。
まだその足取りは重いが、少なくとも前進する意思は取り戻せた。
なんとしてでも、もう一度家族に会う。
会って……最期の時間を過ごしたい。
その一心で足を進める英人の前に、現代では見慣れた建物が現れた。
「ん……?」
場所は、小さなマンションなどが立ち並ぶ、公道の一箇所。
周りに立ち並ぶマンションの隙間にすっぽり収まるようにその建物が……コンビニが英人の目の前に現れたのだ。
「………コンビニだ」
思ってもいなかった店の存在に、思わず英人はぽかんとあほのように口を開けてコンビニを見つめていた。
いや、考えてみればコンビニくらい中間市のどこにでもある。一見コンビニを見つけたら、百メートル先にもう一軒コンビニがある程度には密集している。もちろん系列は違うが。
コンビニであれば食料は当然、飲み水や薬、衣服に携帯の充電用の乾電池、店によっては武器になるようなものも取り扱っているかもしれない。
「………」
英人は慎重にコンビニの中を窺う。
ガラス張りの店内には、ゾンビが徘徊しているような様子はない。
見える限りの棚も、いくらか荒らされているように見えたが、それでもまだまだ商品は残っている。
……辺りにゾンビや化け物の影も見えない。おそらく今がチャンスだろう。
「……よし」
意を決し、英人は小走りにコンビニへと駆け込んでゆく。
軽快な音楽とともに、自動ドアが開いてくれた。どうやら、電気はまだ通っているようだった。
「………」
英人はゆっくりと歩を進めながら、コンビニの中を見回す。
トイレや、従業員用通路などから物音に気が付いたゾンビが出てくるような気配もない。
聞こえる音は、コンビニに流れているいつものBGMやレジのそばにある惣菜ケースが稼動している音だけ――。




