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中間市 -14:36-

 英人は隙間のようになっている路地の出口から少しだけ顔を出して辺りをうかがう。


「………」


 霧に包まれ、白く濁った視界の中に、一直線に立ち並ぶ多くの商店の姿が見える。

 肉屋、八百屋、金物屋に本屋とアクセサリーショップ……。

 一見すると無秩序にも見える店舗の並びから、おそらく中間市にいくつか存在する商店街のうちのひとつだということがわかった。

 しかし、並んでいる店の中に英人の知っている店はなかった。おそらく、英人の行動範囲外に存在する商店街だろう。


「家の近くじゃないとなると……中間南商店街あたりか?」


 英人は小さくつぶやきながら舌打ちした。

 中間南商店街は、英人の家から見ると中間高校を挟んでほぼ反対側に位置する商店街だ。歩いて、ざっと一時間くらいだろうか。いささか距離が遠すぎるため、英人は一度もこの商店街を友人たちとの遊び場に選んだことがない。

 対して、中間北小学校は家から歩いて十分程度の距離にある。避難に向かった礼奈や両親たちはおそらく無事に到着しているだろうが……。


「遠いな畜生……。どうする……?」


 英人は路地の影に腰掛けながら、天を仰いで思案する。

 このあたりの地理に明るくない上、視界は霧で塞がってしまっている。

 完全に道路が見えないというわけではないが、開けた視界が十メートル程度ではとても見通しがいいとはいえない。

 こんな状態で、最短距離で中間北小学校へ向かうのは、かなり厳しいだろう。

 二時間……いや、もっと時間がかかる可能性もある。

 それに、道々にゾンビや学校に現れた化け物が出現する可能性もある。

 一人、二人程度であれば逃げるのも難しくはないかもしれないが……先の連中の行動を見るに、集団で固まっている可能性が高いかもしれない。

 そんな連中に襲われてしまった場合、逃げるどころか生き延びることさえ難しいかもしれない。

 さらに、思い悩んでいる間に腹の虫が鳴り始めた。


「ぅ……」


 思わず腹を押さえ、何かに聞かれてはいないかと辺りを見回してみる。

 ………。

 幸い、辺りにゾンビも化け物もいなかったようだ。何かが襲い掛かってくる気配はなかった。

 英人はほっとため息をつきながら、すっかり空になった胃袋を強く押さえ込む。


「……腹減ったな……」


 思えば朝飯を食べてから、何も口にしていない。

 学校にいる間は何かが食べられるとは思っていなかったし、逼迫した状況から来る緊張感のおかげでそんなことを気にする余裕はなかった。

 しかしこうして学校から開放されてしまったせいで、自分の今の状況を確認する余裕ができてしまった。

 何か、胃袋に収めておきたい。せめて、満腹感くらいは得ておきたい。

 そう考え、英人は辺りを再確認する。


「えーっと……」


 視界内に入る商店は、どれもこれも飲食店とは言いがたい。

 肉屋と八百屋が存在するが、あいにくとどちらも調理前の食材を扱う店だ。英人に食材を生のまま食べる趣味はない。

 できれば調理済みの料理が食べたいが、状況が状況だ。料理屋に入ったところで食べ物を出してくれる人間はいないだろう。

 となれば、揚げ物などの惣菜を作っている店を訪ねるのが理想だろうか。同じようなことを考えている人間が荒らしていないとはいえないが、それでも何かが残されている可能性はあるはずだ。

 英人は少しだけ躊躇したが、体勢を低くしたまま路地をゆっくりと這い出した。

 このまま留まっていたところで腹は膨れない。ゾンビも化け物の姿も見えない以上、隠れている理由もない。

 なるたけ見える範囲の看板や、店先に出ている商品類を盾にしながら、英人はゆっくりと商店街の中の食料を求めて移動を開始し始めた。


「………」


 英人はすぐそばのアクセサリーショップの看板の影に隠れながら、辺りを慎重に確認する。

 ……同時に、普段は見ない景色を前に少しだけ陶酔してしまう。

 辺りに物音ひとつない、静かな世界。まるで、自分の周りが丸ごと切り取られてしまったかのようで、奇妙な寂しさを英人は覚える。

 今、この街にどれだけの人間が生きているのかはわからないが、ひょっとして今生きているのは自分だけではないのか……そんな錯覚を覚えてしまう。


「………」


 英人は歯を食いしばり、頭の中にふっと沸いた考えを否定しようと頭を振る。

 いくらなんでもそんなことはないだろう。学校を襲っていた化け物たちは、理由はわからないが撤退していた。こうして、自分が外に追い出されたことを鑑みれば、階段辺りに集まっていたゾンビたちもいなくなっていたのではないだろうか?

 そうなのであれば、おそらく今学校には脅威となる存在はいないと思われる。

 ……もちろん、二時間経ち再び化け物どもに襲われているということもあるだろう。窓ガラスを割られた教室の惨状は、はっきりと覚えている。

 いや、そもそも武蔵と湊が学校を脱出していないという保証もない。助けを求め、外に抜け出したという可能性は否定できない―――が、それはそれで若干へこむ展開だ。

 二人が外に出ていて、今自分のそばにいないということは……つまり、見捨てられたということなのだから。

 ゾンビや化け物になりうる可能性を考えればそれが合理的だが……だが。それで納得できるほど、英人は合理的にはなれなかった。


「……二人とも、無事、だよな……」


 心のそこから湧き上がった不安を解消しようかと、英人は携帯電話を手に取る。

 ふたを開き、電話帳を立ち上げ、武蔵と湊のどちらを呼ぶか少し考える。

 こういう場合……どちらのほうが話を聞きやすいのか。あるいは、ごまかすことなく話をしてくれるのか……。


「………」


 湊はやさしい子だ。だが、隠し事のできない子でもある。もし仮に英人を見捨てるようなことをしたのであれば、泣きながら謝罪してくるかもしれない。

 そして武蔵は頼れる男だ。だが、本音の見えないところもある。ふざけた態度の裏で隠し事をしていたことも、今まで何度かあった。


「………武蔵、にするか……?」


 今までの経験や、二人との付き合いなどを考え、英人は武蔵を選ぼうかと考えた。

 理由は単純。ごまかしのうまい彼であれば、話をしたときの精神的ダメージも少ないかと思ったのだ。

 湊なら、包み隠さず全部話してくれるかもしれないが……残り少ない良心がしくしくと刺激される可能性が極めて高い。

 気が滅入ってるところに、彼女を責めているという罪悪感までやってきてもらっては立ち直れないかもしれない。

 そういう意味では武蔵は話のしやすい男だ。言いたくないことは絶対言わない男だが、おかげで彼を責めることに罪悪感は覚えない。見捨てられたという事実も、親友同士のたちの悪い冗談ということで済ませられる……かもしれない。


「………よし」


 意を決し、英人は武蔵の電話番号を呼び出し、通話ボタンを押そうとする。

 だが、やはり真実を知るのは恐ろしかった。

 携帯電話の通話ボタンを押そうとする指が、固められてしまったかのように動かなくなってしまう。


「………っ」


 もし、二人に見捨てられてしまっているのだとしたら……そうわずかでも考えてしまうと、指は強張り心臓が張り裂けそうになってしまう。

 他の誰かに見捨てられても気にならないが、あの二人に見捨てられてしまうのは身を切られるような思いを感じる。


「……武蔵、湊……」


 あの二人が、すすんで自分を見捨てるとは思わない。小さなころからずっと一緒にいた。些細な癖も知っている。それは、もちろん向こうもそうだと思っている。

 他の誰かは見捨てられても、武蔵と湊を見捨てることは英人にはできない。

 向こうもそうだと信じている。信じている……のだが……。


「……くそっ」


 結局、怖気が勝ってしまい、英人は力なく携帯電話を下ろした。

 看板の影にへたり込み、英人はうつむく。


「………ちくしょう」


 今、どこにいるとも知れない二人の親友の笑顔を思い出しながらも、英人は苦い思いを噛み締める。

 信じられるのであれば、電話くらいかけられる。

 だが……通話ボタンを押すことが、できなかったのだ。


「………」


 英人は、己に対する失意でうなだれる。

 湊の事を守ると決めた。後を任すと、武蔵に託そうとも思った。

 だが……肝心なところで二人を信じきることができない。

 二人を……いや、二人に見捨てられたかもしれないという恐怖心のせいで。

 二人が、自分から見捨てたなどとは思っていない。……いや、思いたくもない。

 だが、自らの身に起こっている事象を客観的に考えれば……そうなるのは自然だと脳裏の理性がつぶやく。

 だが、心は……感情は、そうであってほしくないと必死に叫んでいる。

 二人に……武蔵に、湊に、見捨てられたくないと、叫んでいる――。


「―――ぁぁぁぁあああああああ!!??」

「っ!?」


 唐突な悲鳴が耳朶に響き渡り、英人の意識は沼底から引き上げられる。

 同時に聞こえてくる、破砕音。薄い木の板とガラスを同時に突き破ったような音だ。

 英人は慎重に、看板の影から声の聞こえてきたほうを伺う。


「あ、あぁ!? いやぁぁぁぁ!!??」

「 マ ァ テ ェ … … 」


 アクセサリーショップからぎりぎり見える位置で、一人の男がゾンビに追い詰められていた。

 無様に地面を這い回る男に覆いかぶさろうとしているゾンビの姿は、どこかの料理店の店主のように見える。

 彼らが出てきたであろう、店の看板を見上げてみると、蕎麦屋、となっていた。


「 ク イ ニ ゲ ェ … … 」

「ひ、ひぃぃぃ!? すいませんすいません、許してください許してくださいぃぃぃぃ!!!」


 覆いかぶさり、襲い掛からんとするゾンビにひたすら謝罪し、マウントポジションから逃れようとする男であるが、がっちりと両腕までつかまれてしまい、もはや逃れることさえ不可能となってしまう。


「 ア ァ ー … … 」

「ヒ、ギ、イガァァァァァ!!??」


 そして、ゆっくりと近づいていったゾンビ店主の口蓋が、男の肩口へと食い込み、血が吹き上がる。


「イタァァァ!!?? い、ああ、あぁぁぁぁぁあああ!!!!」


 男は悲鳴を上げ、必死に食い込む歯から逃れようとするが、ゾンビ店主は決して男から口を離そうとしない……。

 ……そのまま、一分程度が経過した。ゾンビ店主はがっちりと男の肩口に噛み付き続け、抵抗さえあきらめたのか悲鳴を挙げていた男は声すら上げずに微動だにしない。

 と、男の肩の噛み応えに飽きたのか、ゾンビ店主がゆらりと立ち上がる。


「 ア ー … … 」


 そして、ゾンビ店主はそのまま壊れた出入り口を通って店の中へと帰ってゆく。

 ……その後を追うように、ゾンビ店主に肩を噛まれた男も立ち上がった。


「 ア ー … … 」


 そして、だらしなく口を開き、涎を垂らしながら、ゆらりゆらりと店主の後を追って店の中へと入っていった。


「 サ ラ ア ラ イ 、 ス ル ー … … 」


 などとつぶやきながら店内へ入ってゆく男……否、ゾンビの姿はシュール極まりなかった。


「………」


 英人はそんな光景を見つめて冷や汗を掻く。

 今の光景において重要なのは、やはり噛まれるとゾンビになってしまうこと、ではない。

 ……一見無人に見える商店街の店の中には、ゾンビと化した店員たちがいる可能性があるということだ。

 先の男も、誰もいないと思ったから蕎麦屋に入り、おそらく中の食品を無断で貪っていたのだろう。

 それを、まだ中に残っていたゾンビに発見され、粟食って逃げようとしたが、結果は……。


「………」


 英人は慎重に、アクセサリーショップの中を窺う。

 ガラス張りになっている店の中に動く影は見つからなかった。だが、店の奥で半開きになっている扉のさらに奥のほうには……。


「………」


 英人は慎重に看板の影から離れる。

 そして体勢を低くしたまま、急いで商店街を離れることとした。

 悩んでいる暇などない。もう少し、落ち着ける場所に到着したら思う存分悩むことにする。




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