中間市:中間高校・3-B教室 -12:03-
「――!? 伏せろ、英人!!」
「!?」
クラスメイトの忠告に、英人は反射的に体を投げ出す。
ガラスの砕ける耳障りな音が教室内に響き渡り、誰かが悲鳴を上げる。
「いやぁぁぁぁ!?」
「――っ!?」
頭上から降り注ぐガラスの雨に耐えながら上を見上げた英人は、もう一匹化け物が教室内に侵入してしまったのを見た。
先の化け物たちと比べると肌が浅黒く、甲殻のように変化しているようにも見える。
(早すぎるだろう、バージョン違い!!)
どこかピントのずれた悪態を心の中で付きながら立ち上がろうとする英人。
窓枠につかまっていた化け物は、そんな英人に視線を向けた。
「―――」
「っ!? 英人君、危ない!!」
嫌な予感に湊が叫ぶ。
果たしてその予感通り、英人に向かって化け物が口を開いて飛び掛った。
空を裂くような鋭い呼吸音が響き、英人の体に化け物が覆いかぶさろうとする。
「寄るなぁ!!」
反射的に英人は叫んで、化け物の腹を思いっきり蹴り上げる。
「―――!」
英人の蹴りを受けた化け物は、受けた衝撃のままに後ろへと吹き飛び、窓枠の一辺に背中からぶつかる。
化け物の肌と窓枠がぶつかり合い、金属の軋む嫌な音が響いた。
体構造自体は人と大差ないのか、あるいは痛みでも感じているのか、化け物は教室の床に倒れ付すと背中の痛みをごまかすかのようにえびぞりの体勢となった。
その間に英人は立ち上がり、化け物を見下ろして冷や汗を拭う。
「異様に軽いな、こいつ……助かったけど」
そのまま化け物が立ち上がらぬうちに、湊たちと合流しようと視線をそちらに向けた。
湊は武蔵の先導に従い、ゆっくりとではあるが壁沿いに移動しているところであった。
英人はほっと一息つき、慎重に湊のほうへと移動しながら教室内の様子を伺う。
「っらぁ!!」
ちょうど、自らに飛び掛ってきた化け物を黒沢が殴り飛ばしている場面を目撃する。
右頬に一撃を食らった化け物は、悲鳴めいた鳴き声を上げながら無様に吹き飛んでゆく。
教室の床に激突し、化け物の首は愉快な方向に曲がってしまい、そのまま全身が痙攣し始める。見るに、頚骨が折れてしまったようにも見える。
黒沢は化け物に向かって唾を吐き捨てた。
「ペッ。……クソが。びびらせんじゃねぇよ……」
黒沢はそのまま化け物から離れ、自身の安全を確保しようと安全地帯を探し始める。
英人はそのまま視線を先ほど自分が蹴り飛ばした化け物へと移す。
うつぶせの様な体勢になった化け物は、痛みに喘ぐように荒い呼吸を繰り返しているところだった。
(……こいつらひょっとして、脆いのか?)
ふと、脳内に浮かんだそんな疑問。
その答えを得るべく、英人は無造作に化け物に近づいてゆく。
近づいてくる英人の気配に、化け物は何とかといった様子で英人を見上げる。
黒一色の化け物と、視線が合った。
「………」
だが、英人は化け物の視線を無視して容赦なくその背骨を踏み抜いてみる。
「っ!?」
英人の……成人間近の男子高校生の全体重の乗った踏み付けを受け、化け物が一瞬大きくのけぞる。
生身の肉体を踏んだときの嫌な感触が、一瞬英人の足に伝わってきた――。
べごっ。
だが、耐えたのは一瞬だった。骨の折れる生々しい音が響き渡り、化け物の体がくの字に折れ曲がる。
大きな痙攣は一度……そのまま化け物はピクリとも動かなくなった。
人をあっさりと殺す化け物の、あっけなさ過ぎる最期を前に、英人は確信と共にうなずいた。
(やっぱり、こいつら脆いんだな……。空を飛ぶための、代償ってやつか?)
おそらく、骨密度が限界まで落ちているのだろう。限りなく、体を軽くするために。
発達した胸筋や、両腕が変化した翼など、空を飛ぶために必要な構造はしっかりと備えているようだが……それでも、やはりこのサイズの生き物が空を飛ぼうとすれば必然的に構造的な欠陥が生まれるのかもしれない。
(そもそも、こいつら鳥にも見えないしな……)
化け物の元が一体何なのかは考えないようにしつつ、英人は駆け足で壁際まで駆け寄る。
黒沢が殴り殺した個体と、いま英人が踏み殺した個体。侵入してきた分も合わせてまだ三体の化け物が教室内を飛び回っている。
混乱に乗じ、殺されてしまった生徒たちは、その倍程だろうか。だが、それでも時間が経ってくればうかつに殺されてしまう生徒たちはさすがに減ってきていた。
……人がいなくなった分、スペースが空いたおかげであることは考えないことにしておく。
「く、くそ! このぉ!!」
委員長などは、掃除用具入れから取り出したらしいモップを手に、果敢にも化け物を撃退しようとしていた。
さすがに素人の棒さばきに引っかかってくれるほど化け物も甘くはないが、けん制には十分役に立っていた。
隣の教室から上がる悲鳴もかなり落ち着いてきている。おそらく、向こうでも犠牲者が減ってきているのだろう。……生きている人間が0になっていないことだけは祈っておくが。
(……だいぶ、隙ができてきている。抜けるなら、今か)
英人は小さくうなずき、湊たちの下へと駆け寄ろうとする。
「―――秋ちゃん!」
「あ、湊ちゃん!?」
振り返った英人が見たものは、湊が武蔵の静止を振り切って壁際から離れて駆け出したところであった。
「湊!?」
思わず目をむく英人。化け物が後三匹に減っているとはいえ、変に動けばその意識が湊に向いてしまう。
すばやく英人がその移動先に視線を向けると、腰が抜けたのかあるいはあきらめてしまったのか、完全にへたり込んだ秋山の姿が見えた。
彼女を守ろうとして動いていた委員長は、今は手にしたモップで化け物を追いかけることに集中してしまっており、秋山の様子には気が付いていない。
「秋山……!」
呪詛のようにその名をつぶやきながら、英人も秋山の元へ向かう。
「秋ちゃん! 立って!」
「ミナちゃん……」
秋山の元へと駆けつけた湊は、その体を何とか引き起こそうとするが、秋山の体は鉛が仕込まれているかと思うほどに重く、そして冷たかった。
自身を引っ張り起こそうとしてくれている湊を見上げ、秋山は緩やかに首を横に振った。
「だめだよ……。もう、だめなんだよ……」
「だめじゃないよ! あきらめちゃだめだよ……!」
弱音を吐き出す秋山に必死に声を掛け、湊は何とか立ち上がらせようとする。
「えりなも死んだ……里子も……広名も……みんな、みんな……死ぬのよ、みんな……!」
「死んじゃだめだよ! 確かにみんな、死んじゃったけど……だからって、あきらめちゃだめなんだよ……!」
もはや虚空を見上げる秋山の表情に生気はなく、瞳には何も映っていないように見える。
すでに死体といっても過言ではなさそうな秋山を、それでも湊は必死に立ち上がらせようとする。
「死んだらだめ……死んだらだめなの……!」
えりなの死。現れた化け物たち。目の前で死んでいく、クラスメイト……。
湊の精神もまた、限界に来ていたのかもしれない。許容範囲を超える現実を前に、心の受け皿から零れ落ちた何かを掬うように……彼女は必死に秋山を救い上げようとした。
だが、秋山の体は立ち上がらない。受け止めきれない現実に打ちのめされた少女は、ふと何かを見上げて壊れたように微笑んだ。
「ほら……ミナちゃん。終わりが来たよ……」
「えっ!?」
秋山の声につられて見上げた湊の目に映ったのは、鋭い牙の並ぶ口を大きく開けて急降下してくる、化け物の姿。
「っ! 秋ちゃん!!」
湊は反射的に、秋山を庇うようにその頭を抱きかかえ、化け物に背を向ける。
数瞬のちに来るはずの、牙の食い込む鋭い感覚に耐えようと湊はぎゅっと体を硬くした。
……幸いにして、湊の体に牙が食い込むことはなかった。
代わりに―――。
「っづぉあぁぁぁぁ!!??」
「―――!? 英人君!?」
英人の腕に、化け物の牙は鋭く食い込んでいた。
吹き上がる赤い血液。腕に走る、稲妻のように鋭い痛み。
「づあぁぁぁぁ!!!」
英人は叫び、腕に走る痛みを誤魔化そうとする。
だが、肉を抉り、容赦なく引き剥がそうとする化け物の口蓋は、英人の想像をはるかに上回る苦痛を彼に与え、その膝を突かせてしまう。
「―――!!」
血を得た途端に、爛々と輝き始める化け物の瞳。生の活力を得て、活性化でもしているのだろうか……。
「英人ぉ! こいつ!!」
遅れて駆けつけた武蔵が、英人から化け物を引き剥がそうとその胴体に蹴りを入れる。
化け物の体は木の葉のように吹き飛び……そして英人から口を離そうとはしなかった。
まるで口と体が別の個体であるかのように、腹部に受けたダメージなど無視して英人の腕に喰らい付き続けたのだ。
「ぐあぁぁっ!?」
腕に食い込んだ牙が揺れ動き、そのたびに英人の腕の肉は抉られ、血が噴出す。
痛みに耐えかねた英人は、さらに空いたほうの手まで床についてしまう。
「え、英人!? わりぃ!」
救おうとした友人が寄りダメージを受けたことに気が付いた武蔵は慌てて詫び、英人に喰らい付いている化け物への攻撃を止める。
だが、化け物は蹴られた事などなんでもないとでも言うように、英人の腕に喰らい続けている。
肉を裂いた牙はいまや骨に到達しており、今にも英人の腕が食いちぎられてしまいそうなほど、嫌な音が響き渡っている。
「づ、あ、あぁぁ……!!」
痛みにうめく英人。そんな彼に気が付いたのか、教室内上空を飛び回っていた化け物が、英人に向かって飛びかかろうとする。
「! クソ、英人!!」
立ち上がれない英人を守るべく、武蔵は拳を振り上げる。
鋭い牙を、化け物はさらに英人に突きたてようとする――。
「―――ぐ、が、あぁぁぁぁぁぁ!!!」
だが、それより早く、英人が吼える。
咆哮を上げながら、英人は己に喰らい付いている化け物に体当たりするように、一気に駆け出した。
「―――!?」
「うがぁぁぁぁぁぁ!!!」
走る振動が骨に響き更なる痛みを生み出すが、一切かまわず英人はクラスメイトたちの間を駆け抜ける。
そして、化け物の体を残った窓ガラスへと叩き付けた。
砕け散るガラス。化け物と、英人の体を粉々になったガラス片が切りつけてゆく。
「―――!?」
だが、それでも化け物は英人から口を離さない。腕の皮膜もぼろぼろになってしまったが、だからこそ最期の獲物を離さないとでも言わんばかりに英人の腕に喰らい付き続ける。
「あああぁぁぁぁ!!!」
英人はそんな化け物の頭を残った腕でしっかりと掴み――。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
そのまま、砕け残った窓ガラスの一辺に向けてその頭を叩き付けた。
割れたガラスは、とても鋭い。軽くかすっただけでも、血があふれ出すほどに。
「―――!!??」
鋭いガラス片は、容易く化け物の首に食い込み、あっさりと胴体と頭を切断してしまう。
ぶつり、と小さな音を立てて千切れた首から、化け物の体が落ちる。
「はっ……! はっ……!」
英人は荒く息を吐きながら、残った化け物の頭を自分の腕から引き剥がす。
そのとき、いくらか腕の肉も持っていかれてしまうが、もはやそんなことに構ってはいられない。
真っ赤に染まった腕を抱えて、英人はへたり込んでしまう。
「英人!」
「英人君!」
自分の体どころか、床までも紅く染め始めた英人に駆け寄る湊と武蔵。
そんな三人の姿を見てか、残った化け物たちが三人に狙いを定める。
それに気が付いた武蔵は、拳を固めて構えを取った。
「くそ……! 英人をやらせるかよ!!」
「英人君! しっかりして!!」
うずくまり、痛みに耐える英人を抱きしめる湊。
化け物たちは、鋭い鳴き声を上げ、自らの仲間を二匹も葬った英人に止めを誘うとするかのように、大きく翼を打ち。
―――サイレンが鳴り響いたのは、その時であった。
「!? サイレン!?」
誰かが、その音に驚き声を上げる。
唐突なサイレン。時間はちぐはぐで、鳴り終わった後に放送もない……。一体、何の意味があるのだろうか?
「―――」
そう、誰もが考えていたとき、不意に化け物たちが大きく動く。
「!?」
中空で翼を打ち、ひときわ強く羽ばたいた化け物たちは―――そのまま、ガラスの割れた窓から外に向かって飛び出していった。
「………え?」
バサバサと、音を立てながら消え去る二匹の化け物。
後に残されたのは……惨劇の跡だけであった。
「……なんで?」
誰かがポツリとつぶやいたが、それに答えられるものは誰もいなかった。




