中間市:中間高校・屋上 -11:28-
「「っ!?」」
「みんな! ひとまず……なにをしてるんだ?」
突然の物音に、委員長と黒沢はびくりと体を震わせた。
教室の中に入ってきた教師はそんな二人の様子と、何やら議論していた風情のクラスメイト達の姿を見て訝しげに眉を顰めたが、すぐに気を取り直したように口を開いた。
「……まあ、いいか。ひとまず、今後の方針について固まったから伝えるぞ。これから、何人かの先生たちで、屋上で狼煙を上げることにした」
「狼煙……ですか?」
気を取り直すように眼鏡の位置を直した委員長が、訝しげに問いかける。
「屋上には鍵がかかっていませんでしたか? いえ、それに狼煙の材料になるものは……」
「屋上の鍵は、相良先生が持っていた。……屋上というか、マスターキーをな。それを使う。狼煙の道具は、夏期講習に使う予定だったプリント類だ。どれだけ燃えてくれるかはわからないが……まあ、一、二時間は持つだろう」
「マスターキーが……」
委員長は盲点だったというように小さく頷いた。
これだけ大きな施設ともあれば、当然どの扉にも対応できるマスターキーの一本や二本は存在しているものだ。
まあ、最近はカードキータイプの施錠方式も増えてきているため、マスターキーは存在しなかったり、逆にほとんどのカードがマスターキーモドキだったりもするわけだが……。
それはともかく朗報ではある。マスターキーはあっても、一階の職員室の中……ということも十分あり得たわけなのだから。
「狼煙を上げることで、どこかにメッセージが届けばよし……。そうでなければ火種が尽き次第、何名かを学校の外に送り出すことになった」
「学校の……外に!?」
だが教師の続く言葉に委員長は驚愕する。
彼の言葉は、先ほどまで委員長が否定していた策だからだ。
「な、何故ですか、先生! わざわざ危険を冒さずとも、狼煙を上げれば……!」
「いや、狼煙なんてものは100%有効な策とは言えない。現状においては、苦し紛れの作戦だ……当然、学校の外に出るのもな」
教師の言葉に喜色満面になりかける黒沢を一睨みしつつ、彼は重いため息をついた。
「……みんなも試したかもしれんが、携帯電話が市外に通じない。理由は不明だし、意味は分からないが……少なくとも市内で連絡を取り合うのには不都合がない。なら、携帯電話を使って、少数班を外に送り出し、脱出ルートや食料の確保、あるいは安全が確立できそうな場所を捜索しようという考えだ」
「………」
「安心しろ委員長。お前たちは誰一人として連れて行かない……。外に行くのは、数名の教師だけだ」
「なっ!? そういう時こそ、俺たちみたいな目端の聞く若いのの出番じゃねぇか!」
教師の言葉に、横暴だと言わんばかりに黒沢が教師へと噛みついた。
委員長を押しのけ、教師の胸ぐらをつかみ、必死の形相で声高に黒沢が叫ぶ。
「先生らだけじゃ市内全体なんて見て回れねぇだろ!? 数人じゃ、出ていっちまったら速攻ゾンビどもの返り討ちじゃねぇか! だからもっと人数が……俺たちみたいなのがいるだろう!? な!?」
「――そうして血気に逸って、元々の目的を忘れ、一人で助かろうとする奴もいるだろうな、当然」
対する教師の表情は冷徹なものだ。
自身の胸ぐらをつかむ黒沢の手を掴み返し、ゆっくりと引き剥がす。
「黒沢……お前の言っていることは勇敢の限りだが……それは誰のためのものだ?」
「だ……誰って……!?」
「クラスメイトか? 家族か? あるいは俺も知らない誰かか……? お前の腹の内はどうか知らんが、俺には自分のためだけにしか聞こえんな……」
そのまま教師は黒沢の手を乱暴に振りほどくと、二、三歩下がった。
振りほどかれた勢いで、黒沢は尻餅をつく。
「っつ! てめぇ!」
膝をついた黒沢は教師を睨みつけるが、教師もまた黒沢を睨みつける。
普段の彼からは想像もつかないような、暗い眼差しで。
「黒沢……自分にとって都合のいいことが、いつまでもまかり通ると思うなよ……?」
「……っ! ……んに、ってん、ぁ……!」
黒沢は、教師に向かって反論しようとするが、とても声にはなっていなかった。
自身の胸の内を見透かされたせいか、あるいは彼の発する威圧感に圧されたのか。
教師はそのまま教室の扉まで戻ると、最後に教室の中へと顔を向ける。
「じゃあ、教室からは出ないように。――委員長、後を頼むぞ」
「はい。わかりました」
先ほどの様子が嘘のように穏やかな顔でクラスの皆や委員長に告げ、教師はそのまま外へと出て行った。
委員長は眼鏡を少しだけ押し上げ視線を伏せながら、黒沢に声をかける。
「……見透かされていたようだね、黒沢君」
「見透かされてねぇよ! 見透かされてなんか……!!」
ようやく声を取り戻したと言った風情の黒沢はそう反論するが、その場にいる誰も彼の言うことを信じなかった。……もともと、彼のことを信じている者もいなかっただろうが。
「………」
「………」
黒沢を擁護していた者たちが、気まずそうに視線を床や天井、あるいは霧煙る外へと向けている。
別に、彼らに対して言われたわけではない黒沢に向けられた言葉が、自分の胸に突き刺さっていたたまれないのだろう。
結局、可愛いのは自分自身だ。他の人間のことなどどうでもよいのだろう?と、暗に指摘されてしまったわけだ。
自身の黒い一面を突き付けられ、平静でいられるわけもない。いくらこんな、極限状態とはいえ。
「………」
「………」
さりとて、それを指摘したり、あるいは追い討ちに走ったりする者はいない。そんなことに意味はないというのもあるが……それ以上に教師が打ち立てた方針のことが引っ掛かっていた。
狼煙を上げる……。電波が市外に通じない現状において、これ以上なく最良な策だと言えるが……。
教師も言っていたが、限りなく苦し紛れの策だろう。何故ならば、上がった狼煙を観測してくれる人間が一体どこにいるのか、という問題があるからだ。
市内全域が晴れであれば「学校で煙が上がってるな? もしや火事か!?」と消防辺りが勘ぐり、飛んできてくれるかもしれないが……市外の人間では「あ、隣町で火事が起きてるわ。大変だなー」と思ってくれれば幸い。そもそも、プリントを燃やした程度で上がる煙が、隣接市街で認識できるのか?という問題もある……。
狼煙を上げる、というのは教師自身が口にしたように“苦し紛れの策”なのだ。
「……うまく、いくかな」
そうなってほしいと願いを込める湊の言葉に。
「……うまくいくといいな」
そうなることはないだろうと考える英人が返す。
重く沈む室内をよそに、どこかで重い扉の開く音がした。
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「「せぇーのっ、せーい!!」」
長い間、誰も開放しなかったせいか蝶番がすっかり錆びついていたようだ。
ひどく重く、軋んだ音を立てながら屋上へと続く扉は複数人の教師の手によって開かれた。
「っづぁー、重たいですねぇー……」
「ああ……。何しろ迂闊な生徒に破られないよう、防火扉に近い設計になってるらしいからな。開校以来、一回も開かれたことがないそうだ」
「どんだけ厳重なんですか、それ」
付いた埃を払うように初老の教師が手を払いながら屋上へと進む。
それに続きプリントを抱えた女教師や、何名かの喫煙家教師も屋上へと上がっていった。
「わぁ、広い……」
「霧もここまでは上がってないか……青々としたもんだな」
空を見上げれば満天の青空に、煌々と照る太陽の姿が見える。階下の薄暗さが嘘のような晴天だ。
辺りを見回せば、完全に霧の内側に埋没してしまった中間市の姿が見える。この学校以外にも、霧から頭を出している建物は何件か見えるが……その屋上に人が立っている気配はなかった。
建物内部に人間はいないのか……それとも、全滅してしまったのか。
嫌な考えが走り、一人が軽く身震いする。
「……っ。……? あの、ここ、なんか寒くないですか?」
――と、その時に気が付く。
何故か、肌寒いのだ。
彼の言葉に何人かが軽く体を震わせる。
「……ホントだ。少し寒い……?」
「ここが、屋上だからだろう? 気にしすぎだろう」
「いや、でも、夏……」
夏の直射日光の影響化だというのに、ほとんど日差しの熱を感じない。
こんなこと、ありえるのだろうか……?
だがそんな些細なことを気にしても仕方がないと言わんばかりに初老教師は女教師を手招きする。




