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中間市 -16:16-

 熱波も光波もなく、ただ衝撃だけが小さな一両電車を襲う。


「………っ!」


 一瞬でバラバラにされかねないほどの轟音が響き、尋常でない揺れが激しく湊と礼奈の体を揺さぶってきた。

 今だ深い眠りにある礼奈の体の上に被さり、何とか小さなその身を守る湊。

 必死に想い人の妹を守りながら、心のどこか遠くの部分が小さく呟く。

 ああ、終わったのだ、と。

 激しい衝撃は長く長く続くものかと思われたが、現れた時と同じように一瞬で収まっていった。

 森の中にある電車はあわや脱線しかけるものの、何とかレールの上にしがみついてくれた。

 横転することなく、静かに停車した電車の中で、湊はゆっくり体を起こした。


「………」


 そして、中間市の方を見る。

 キッチンカーのような様式になっている電車の中からでは、あいにく中間市を見ることは叶わなかった。

 どちらにせよ、かなりの距離を走っている。人間の視界では、その姿を捉えることは出来なかっただろう。

 だが、それでも湊は中間市の方を見た。

 多くのものを置いてきてしまった、自分の生まれ故郷。

 恐らく二度と訪れることの出来ない、思い出の街。

 それらは、ディスクの言を信じるのであれば、七基の原子炉によって消滅してしまっているはずだ。


「……お父さん、お母さん……」


 昨日の朝別れ、結局その後の行方の知れなかった両親。


「……秋山さん、委員長……」


 自分たちの目の前で、バケモノと化した級友たち。


「……武蔵君……」


 彼女たちを逃がし、自分はあの街に残った、親友。


「………………英人君………………っ!!」


 そして、この世で一番初めに恋をした、少年。

 人ならざるバケモノと化し、しかし自分たちを逃がすために囮になってくれた、誰よりも優しい怪物。

 もはや会えぬとわかっても、胸に湧き上がる恋しさを止めることは出来ない。

 再び両の瞳から溢れ出す涙を止めることが出来ず、湊はしゃくりあげるように嗚咽をもらす。

 パタパタと雫がこぼれ、そのいくつかは礼奈の頬をぬらしてしまう。


「………ん、んぅ………?」


 その冷たさか、あるいは熱さか。

 いずれにせよ、礼奈は頬にかかる小さな雫に気が付き、うっすらと目を開けた。


「……おにい、ちゃん……?」

「っ!? れいな、ちゃん」


 小さな少女の呟きを聞き、湊は慌てたように彼女の顔を覗き込む。


「大丈夫!? どこか、痛いところ、ない!?」


 今までピクリとも目を覚まさなかった彼女に、どのような体調の変化が現れたのか。

 ディスクの言葉を借りるのであれば、彼女の体にはウィルスが今だ存在している。

 彼女の体はそのウィルスとの奇跡的な共生を果たしているらしいが、どこまでそれが信用できるかはわからない。今までずっと目を覚まさなかったのがその証左だ。

 自分の頬を掴んで慌てたように顔を覗き込んでくる湊を見上げ、礼奈は夢現のような状態で呟いた。


「おにい、ちゃんが……」

「英人君? 英人君が、どうしたの!?」

「おにいちゃんが、ないてるの」


 どこか遠くを見つめながら、礼奈はポツリポツリと呟いた。


「おっきなこえで、ないてたの……おにいちゃんが、おおきなこえで」

「英人、君が……?」

「うん……。その、そばでね? むさし、くんがねてたの。でも、ふしぎなの」

「不思議? 一体、何が?」

「うん。むさしくん、ね? ふたりいたの」

「ふた、り?」

「うん。おててとあしがふたつにわかれて……おにいちゃんのそばで、ねてたの」

「―――」


 幼児のような言葉遣いでそんなことを呟く礼奈。

 彼女の言葉を聞き、湊は想像する。

 あの街に残った武蔵が、最期にどこに向かうか。

 そして、そのあとに何が彼を襲うのか……。


「むさしくんが、ねむってるばしょはね? すごく、あかくなってて……おにいちゃんは、それをみて、ないてたの」

「―――」


 いやな想像が、礼奈の言葉によって補完される。

 恐らく、武蔵は、英人の目の前で……。


「おにいちゃん、おおきなこえでないてて……それで、おっきなくろいどうぶつになってね」

「礼奈ちゃん……」


 湊は、礼奈の体をぎゅうっと抱きしめた。


「お兄ちゃんは……英人君はね? 皆を守るために、戦ったんだよ……」

「みんなを? まも、る?」

「うん、そう。最期の最期まで……皆を……私たちを………!!」


 礼奈の言葉を、戯言と切って捨てることもできた。

 だが、湊はそうしなかった。いや、むしろ彼女の言葉を信じた。

 きっと、彼女の体の中に存在するウィルス。

 それが、彼女の夢の中に映したのだろう。彼女の兄の、最期の姿を。

 友を失い、悲しみにくれ、憎しみを背負い、本当の怪物になってしまった彼の姿を。

 どんな方法なのかとか、なぜそんなことがとか、そんなことはどうでも良かった。

 共生を果たしたというウィルスが、彼女に最初に見せた優しさ。きっと、そういうものなのだろう。


「う、うう……ううぅぅ……!!」

「おねえ、ちゃん?」


 英人の最期。その一端を垣間見。

 幼い少女に……嘘をつき。

 湊は涙を流す。

 もはやずっと遠くに来てしまった……己の身を呪いながら。






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 最終システムの起動は“組織”の本部及び全支部に伝達が行なわれる。

 それは最終システムの起動した支部から逃亡したものを捕獲(保護ではなく捕獲)するためであり、最終システムが起動したことに対する全てのスポンサーへの説明のためであり、最終システムが起動したという証拠を抹消するためである。

 その全ては迅速に行なわれ、最終システム起動から五時間以内には全ての作業が完了する予定となっていた。

 ……その作業が終了する、ちょうど五時間前の話である。


「―――」


 核融合炉を利用した原子炉、七基。その同時起爆による核爆発の威力は、筆舌に尽くしがたいものであった。

 かつて中間市と呼ばれた都市には、もはやその痕跡すら窺うことができず、辛うじて残存した隔離防壁に囲われた大地は、一面全てが赤茶けた大地と化していた。

 核のエネルギーによって、大地に存在していたすべてのものは溶けたか或いは微塵に砕かれたのか……かつて中間市と呼ばれた土地は、もはや動くものの存在できない死の大地と化していた。

 そんな中で、奇跡的に動ける者がいた。

 土くれの中にでも隠れていたのか、ボコリと大地の中から這い出してきたのは、全裸の少女。もう数日も何も食べていないかのように痩せこけた、小さな少女であった。

 少女は這い上がるのすらやっとといった風情で土くれの上に乗っかり、己の真上にある太陽を見上げ。


「―――」


 その突き抜けるような青い空を見上げ。


「……あは、あははは」


 笑い始める。


「あはは、あはは。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」


 辺りに少女の哄笑が響き渡る。

 もはや聞くものも見るものもいない大地の真ん中で、少女はぐっと両の拳を握り締めて、空に向かって突き上げる。


「やった、やったぁ!! 私は、生き延びたんだぁぁ!! やったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 少女は……適合者の少女は、全身に浴びる日の暖かさを直に感じ、辺りに吹く風の冷たさを感じ、己の生を実感する。

 黒い獣に噛み潰されていたあの瞬間……同時に原子炉が自爆したあの時。

 彼女は、幸運にも致死量を遥かに上回る放射能をほとんど浴びることはなかった。

 彼女を喰い殺そうと懸命に顎を動かしていた黒い獣……奴が、彼女が浴びるはずであった放射能のほとんどを浴びてしまったのだ。

 あの時点での黒い獣の質量は彼女が持っていた質量など比べ物にならないほど膨大であり、その全身を襲った放射能が適合者の少女の下に届くのを防いでくれたのだ。

 何が幸いするか、わかったものではない。彼女自身、圧倒的な質量によって放射能を減衰し、本体を防御しようと考えていたのだが……あの瞬間、彼女を殺そうとしていた黒い獣の肉体は彼女が生み出したものより遥かに強靭であり、見事に彼女を守ってくれた。

 皮肉と言うより他はないだろう。己を殺そうとしていたものを逆に守る結果となったのだから。


「あはは! あはははは!! ばんざぁーい!! やったぁぁー!!!」


 少女は笑みを浮かべ、諸手を挙げ、己の生を全霊で喜ぶ。

 もはや、彼女を縛るものはない。“組織”が来るまでまだ時間はあるはずだ。その間に市政に降れば、連中がこちらを見つけ出す方法はないだろう。

 世界中をウィルスで多い尽くすのは、そのあとからでも構わない。自分には、それだけの時間がある。

 もう、前を遮る者は何もない。自由と夢は、もう目の前にあるのだ!

 ――少女は、その瞬間絶頂に陥っていた。幾度となく果てたといっても過言ではあるまい。

 だから、だろうか。


「―――」


 彼女は気が付かなかった。己の髪に……微かに黒い破片が付着していたことに。


「やったぁー!!」


 諸手を挙げて、揺れ動き。

 ポロリと落ちた破片が僅かに蠢き。


「やぁっ―――!!」


 瞬き一つした瞬間には、黒い獣の顎と化したことに。


「――たぁー!!」


 彼女は、最後まで気が付かなかった。

 己が、黒い獣に食い殺されたことに。

 幸せをかみ締めていた彼女は、最期の最期まで。

 己の絶望には、気がつくことはなかった。






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