一、兄と妹
「今日も猛暑日になるのかな」
悠基は玄関を出たところで空を見上げると、一つ大きなため息をついた。
楽しい夏休みも、既に一か月が過ぎていた。
学校の宿題はほとんど手付かずだったが、それも毎年のことである。
悠基は手にしたキャップを目深にかぶり、玄関先にとめてある自転車にまたがると、駅の方へと向かって行った。
山本悠基は、地元の公立中学に通う中学二年生である。
両親は、悠基が小学五年生の時に離婚していた。
このマイホームと二十年は残っている住宅ローンを父親が引き受けて、悠基と二人でこの家に住んでいる。
母親は、二つ下の妹奈緒美と、ここから電車で二駅ほど行ったところに、アパートを借りて住んでいた。
悠基と奈緒美は特別仲が良い兄妹という訳ではなかったが、両親の離婚をきっかけに、お互いの存在を改めて感じとっていた。
それから悠基は、母親とは月に一回会うかどうかだったが、妹とはほぼ毎週土曜日に、奈緒美の近くの公園で会うようになった。
二人は会うと決まって、お互いの学校での出来事を話し合った。
プールの水が冷たかったとか、英語のテストの点数が良かったとか、誰それさんの好きな人は誰それさんとか。
二人で一緒に住んでいたときは、あまり話さなかったことを、二人は時間を忘れておしゃべりした。
離れて暮らすようになって、より兄弟の絆が深まったようだった。
悠基は、妹のことをとても大事に思っていたし、奈緒美も兄のことをとても慕っていた。
そして今日も、悠基はいつもの公園へ向かうところだった。
駅へと向かう道すがら、悠基は先週会った奈緒美の様子を思い返していた。
梅雨に入った頃から、奈緒美の様子が少しずつ変わってきたのだ。
それまでは、無邪気に学校の事を話してきた奈緒美が、あまり学校のことを話さなくなった。
その代わりに、好きな芸能人のことや母親のこと、テレビゲームのことやファッションのこと等をよく話すようになった。
それにポツリポツリと学校のことを話す時には、どこか辛そうな表情であった。
悠基は、妹に何かあったのではないかと少し心配だった。
しかし学校が夏休みに入ると、奈緒美の表情が以前と同じ明るい表情に戻ったので、悠基は一安心してそれ以上は詮索をしなかった。
ところが、先週いつもの公園で会ったとき、奈緒美はまた思い悩むような表情を浮かべたのだった。
「きっと学校で何かあったに違いない。今日会ったときに奈緒美にそれとなく聞いてみよう」
そう思った悠基は、そんなことを心に決めていた。
少しでも奈緒美のために何かをしてあげたい。兄としての正直な気持ちだった。