4 ねじが、つかむ
ほとんど駆け足のようになりながら、二人は跳橋へ。
「現地へ着いたらまず私が橋の制御を取る。そのまま高度を下げられれば問題ない。ただアスハ君がひっかかっている関係上、高度が下がりきる前に救助する必要がある」
「はい」
「もし管理プログラムの権限を取れなければ、その場で私がリバース・エンジニアリング処置を行う」
「り、りば? あ、ああ! わかりました」
こないだ授業で習ったところだ、リバース・エンジニアリング。
既に稼働しているプログラムを解析し、書き換えたりすること、のはずだ、たぶん。
「その場合、こちらの作業が終わるまでアスハ君が落ちてしまわないという保証がないため、物理的救助を並行させて行っておいたほうがよい。トモロウ、君はその間に上昇している跳橋を登って、アスハ君が落下しないよう救出、または現状維持するよう。いいね」
「の、登るんすか、あれを」
現場が近づくにつれ、状況が見えてくる。
およそ100mの可動橋が真ん中から開いており、恐らく滑り落ちたとおもわれる人々が橋の袂に集まっている。
その先端には、なにやら白い布がひっかかってはためいている。見間違えようもない、小柄なのに好んで大きな白衣を着る変な女、アスハ。
「難しそうか? 代案を出そうか」
本当に変な女だ、誰よりも賢いのにバカで、要領いいのにこういうときだけどんくさくて、ちっこいのに夢は誰よりも大きく。
そのアスハの下には、螺子の川。ざぁざぁぎしぎし恐ろしげな音を立てて、お互いをすりつぶしながら流れる、くすんだ銀鼠色の川だ。
もし、あれに落ちたら……。
あれ以来、動きの悪くなった右腕が疼く。
俺に、できるんだろうか。
だいいち、ずっと避けていた俺が助けにいったところで、アスハは喜ぶだろうか。
ネジ職人としての生活を捨て、特に自分のテーマもなく、片腕を失ってついてきただけの自分に。
一体自分になにができるというのか。
ネジ職人としても、上流工程としても中途半端な自分に。
「……また、非効率的な悩みかね」
すこし歩みが遅れていたことに気づき、急いで白衣の背中に追いすがる。
「いや、いや……。そうっすね」
「無駄なことを考えるな。お前は無能ではない。いや、まだ無能かどうかはわからない段階といっていい」
「それ、フォローですか」
「事実だ。無能以前に未熟。未熟なのはかまわない。未熟な人間がいるから、教師という職業は成立する。努力するものがいるから応援する者が必要になる。ネジを使うものがいるから、ネジを作るものがいるように」
「俺は……」
「お前は、ネジを作るために、ネジを作っていたのか?」
「いえ、たぶん……それは違う」
トモロウは走りながら白衣を脱ぎ捨て、赤銅色に焼けた逞しい左腕を日光にさらした。
「復旧不可能、元の制御コードは消去されている」
跳橋の管理棟に飛び込み、センセーは魔法のような速度で機器を操作していく。
「キノラはやはり落第だな、使わなくなったソースも念のためコメントアウトしておくように教えたはずだが……」
滑るようにキーボードを走る指が、展開したウィルス混じりの制御コードを書き換えてゆく。
「時間がかかりそうだ。トモロウ、分岐第二案の実施を」
「いきます!」
「任せた」
管理棟を飛び出すなり、叫んだ。
「アスハ!」
ちょうど開口部にいるときに跳橋が開き始めたのだろうか、アスハは持ち上げられた橋の一番高い位置で、橋の強度を支えるパーツ、補強のための鉄柱にひっかかり、ぶらさがっている。
アスハの瞳がトモロウを捉え、逸らす。
ああ、こんな簡単なことだったんだ。
さっきすれ違ったときより、こんなに距離は離れているけれど。
アスハは遥か高く。トモロウは地面に這いつくばっているけれど。
「アスハ!」
アスハがまた、トモロウを振り返る。
未来だけを視る目が、トモロウを捉える。
「トモロウ! 助けてよ!」
「まかせとけ!」
一瞬のためらいもなく応え、駆ける。
斜め45度ほどに傾いた橋を、側壁の凹凸に取り付きながらよじ登る。
ところどころで錆び付いて折れそうになっている補強金具を、ウェストポーチから取り出した自作のネジで留め直し、足場を固めてゆく。
作業用階段の強度を確かめる。ただの出っ張りに足を掛ける。錆びたネジを取り除き、手製のネジと取り替える。登る。登る。時折劣化したパイプが負荷に耐えかねて折れ、左腕一本で体を支える。傷んだ右腕で別ルートを探る。もうすぐだ。アスハに手が届く。
ぺしっ
「あっ」
緊張した場にそぐわない、枯れ木のような音を立てて、ネジが一本弾け飛んだ。
錆びたネジ、ではない。トモロウが精魂込めて鍛え上げた、自慢のネジ。いままでで一番うまくできたと自負するネジ。折れた一本のネジに掛かっていた負荷が全体に広がり、ぺしっ、ぴきっ。また一本、また一本とネジが折れてゆく。
折れてゆく、トモロウのネジ。
折れるたび、トモロウを支える橋桁が揺れる。揺らぐ。傾く。軋んでいく。アスハまで後少し、行く手には数カ所の要補修箇所。ここさえしっかりネジ止めすればトモロウの体重を支えることは可能なはず、それでアスハを助けられる。だが先の方まで行けば根本にかかる重さは増えるはず、では一旦戻って折れたネジの箇所を補修するべきでは? 眼下の橋梁、頭上のアスハ。ぐるぐるとトモロウの思考が巡る。手持ちのネジは足りるのか? 折れないのか? さっき折れただろう? 内域風に言えば、さっき折れたものと同等性能のものが同じ環境条件で折れない保証はない、ということになる。アスハなら? センセーならどうする? 自分の命がかかっていても、何より大事なものの命がかかっていたとしても、理路整然と鮮やかな回答を出してくれるのではないか? それに比べて自分は……。
「馬鹿野郎! シゴトの途中で止まんな! とにかく手ぇ動かせ!」
「……親方!?」
目の前に放り上げられたちいさなズタ袋を反射的につかみとる。じゃらっとした手応え。ずっしりとした重量。手に馴染む、ネジの感触だ。
「返事はァ!」
「りょ、了解ィ!!」
袋からネジをつまみだす。硬くて素朴で地味な、岩石だとか鋼鉄だとかいう呼び名がふさわしい、まさに親方のネジだ。
ネジはすんなり橋の各パーツを固定してゆき、足場を作り出し、たちまちトモロウはアスハにたどり着く。
「アスハ!」
「トモロウ!」
しばらくの後、壊れた跳橋の周囲で、野次馬たちの歓声が高らかに上がった。