3 ねじを、つなぐ
「ひとつ、上流工程は常に冷静であるべし。
ひとつ、全ての現象にはしかるべき原因と過程があり、偶然などはない」
「でもセンセー、博打で買ったり負けたりとかって偶然じゃないんですかね」
「偶然などはない。確率はあってもね。
博打が業務である以上胴元は確率論を冷徹に組み込んだ上で利益を確実に確保できるシステムを構築することは必然である。そうでなければそれはただの個人営業のギャンブラーか、自殺志願者なのだろう」
でもセンセー、それって……と指をさそうとして右手の指はなにも指し示していないことに気が付き、左手を上げる。
二年前、トモロウは川に右肩から先を喰われ、全てを失った。
結果としてトモロウを川へ突き落とすこととなった上流工程は、案外悪いやつではなかったのか、職人としての未来を閉ざされたトモロウを、到底見込みはないが、と断った上で、内域へ誘った。
外縁は職人の町であり、技術を失った職人に居場所はない。元職人として工房の下働きに甘んじるか、外縁より更に外、「圏外」へ出て「採取業」に就くか。
賠償金の用意はあるが、という上流工程に、迷わずトモロウは首を振った。
そうして、親方にも、アスハにも相談せず、トモロウは「内域」の住人となることを決め、上流工程となるための基礎カリキュラムを叩きこまれてきた。
「しかしキミは適性がなさすぎるな。反対の意味で興味深い」
「ほっといてください」
「いや、放置するわけにはいかない。私は君の推薦人で身元保証人であり、担当教官でもあるのだから」
いや、そういう意味では。
「どうせ俺はバカで飲み込みが悪くて、納得できなけりゃそこから一歩も動かないって。昔から幼馴染とかにもよくいわれたもんです」
幼馴染。
アスハとは、あれから一度も会っていない。
入ってみるまで知らなかったが、一概に内域、上流工程といっても更にその中で細かく階層があり、教育カリキュラムの進行レベル、実務の実績によって厳しくふるい分けられる。
トモロウは最下層のいわゆる「PG」であり、アスハは既に教育過程最上級の「PM《Premium Meister》」となっていると聞く。
「君の幼馴染、アスハ君は大変優秀だ。ああいうのを天才というのだろうな」
「へえ。もしかして、センセーよりも?」
「もちろんそうだろう」
トモロウの意地の悪い笑みを、「センセー」は受け流す。
「私は内域に生まれなければ、上流工程になろうとは思わなかっただろうからね。ほとんどの者が生まれつきの職業を変えるという発想を持たない中、その一つを取ってみてしても彼女は異端だ。異端でなおかつ優秀、それを天才と呼んでも差し支えないと私は判断する」
センセーの手元で黒い缶が、カシュッという音をたてる。金属製のデスクに置かれたスチールのマグカップが堅い音を響かせ、缶から注がれる黒い液体を受け止めてゆく。
「アスハ君を目指すのはいいさ」
ごくり、とひといき。
「だが、天才を目指してはいけない」
「それ、なにか違うんですか」
「天才が天才として生まれるのは必然だが、凡人が天才になることは偶然性の範疇であり、我々は偶然を認めない」
黒い液体がトモロウのカップにも注がれる。
インスピレーションを生む飲み物さ、とセンセーは言うが。
「トモロウ、まだ『コーヒー』が嫌いかな」
「嫌い、ってわけじゃないけど」
「嫌いなら嫌いで構わない」
トモロウのカップを取り上げるセンセー。
「まだまだロジックが幼いな、トモロウ」
「『コーヒー』が飲めないくらいで、そんなこと言われる筋合いはない」
奪い返してあおったそいつは、鉄錆の味がして、トモロウは思わず顔をしかめた。
「ね、トモロウ」
「キノラさん」
しゃがみこみ、真っ黒に汚した左手を箱に突っ込み、ネジを取り出してためつすがめつ。背後からかけられた甲高い声にも振り向かず、トモロウは今日も放課後のノルマに没頭する。
「ありがたいわー、トモロウが検品やってくれて。ネジがいいとかわるいとか私全然わからないから」
「ネジの良し悪しは、この」
「あーもーいいのいいの! そんなことよりもっと楽しい話、しましょ?」
銀色に染めた指先を、トモロウの右肩に置いてキノラはささやく。
金色の髪、金色の瞳。ゆるく白衣を着崩し、その大きく開いた胸元に光る上位工程の証、研究修学棟卒業済みを示す黄金ネジのネクタイピンの輝きが、強制的にトモロウを作業から中断させる。
「ヒマなんすか」
「だってわたしの仕事って、タイマーセットしたらあとは放っとくだけだし? 賢いコードちゃんたちが勝手にやってくれるし」
「それはよかったですね」
「なんでそんなよそよそしいの? ね、今度のお休み、どっか遊びにいきましょ?」
「……いや、俺は」
「だって! 内域って本当に窮屈! わたし、トモロウに外の楽しいとこ、いろいろ連れていってほしいなー、なんて。ダメ?」
「いやいや、ダメってわけじゃないけど」
「OK! じゃあ、今週末の朝10時にゲートのところで待ち合わせて、トモロウは里帰りってことで外出申請を出しておくこと! わたしは付き添いね!」
「ちょっとまって、まだOKとは」
「えー? じゃーなによ、特に用事ないでしょ、彼女もいない寂しい男子?」
まだチェックしていないネジとキノラを見比べ、ため息をつくとトモロウはネジの箱に蓋をして、担ぎ上げる。
「部屋で続きやりますんで、じゃあ」
「なになに、怒った? いいじゃん、彼女を追って内域に来たのに全然相手してくれない薄情なコ! ひどいよね! トモロウがかわいそうだよ! そう思わない?」
「べつに、アスハとはそんなんじゃねえ」
倉庫番のおっちゃんに一言掛け、台帳にサインをいれて資材部を出る。
「まってよ! そんな早足で。怒った? ダメだよ怒りは冷静な判断力を奪うんだよ?」
「そういうとこ、キノラさんもやっぱ内域の人間なんだな」
「どうして? どこが?」
足早に廊下を歩く。
「べつに」
廊下の角を曲がろうとして、向かいから来た相手とぶつかりそうになり、慌てて避ける。よく磨かれた白いシューズ、床に擦りそうな丈の長い白衣。大きなカバンを抱えて、見慣れた顔に見慣れないメガネ。
アスハ。
彼女は衝突回避のため一瞬足を止めただけで、道を譲ろうとする様子もなく、そのまま通りすぎてゆく。
トモロウに一瞥をくれることもない。
トモロウも、そんな彼女に声をかけることもなく、頭を下げて道を譲る。
時間単価が下のものが上のものの時間を浪費させてはならない。
内域の基本ルールに従い、トモロウはアスハに声をかけない。
内域の基本ルールに従い、アスハはトモロウに声をかけない。
足音が聞こえなくなるまで、トモロウは頭を下げて待つ。
「なにあれ感じ悪い! あのまま探索から帰ってこなかったらいいのに!」
「探索?」
「私絶対あのコから仕事振られても、2割増し料金で受ける!」
「受けるのかよ……」
「だって! 理由のない業務拒否は非理性的行為で懲罰対象だけど、対話性能の問題から来るコスト増加を見積に加算することは認められてるからね!」
「はいはい……、で、探索って?」
ネジ箱をがちゃがちゃ言わせて歩きながら。
「あのコ、『最終日計測プロジェクト』のサブリーダーに何人も飛ばして大抜擢されたんだって! 入ったばっかりなのに先生たちもひどくない? 圏外に行って計測の途中にネジにたべられちゃえばいいのに! ってトモロウも右手ネジにたべられたんだよね、ごめんね。でもそれとこれとは別だよね!」
「プロジェクト・リーダー……か」
アスハはどんどん進んでいく。
夢を叶えてゆく。
自分のテーマをとうとうプロジェクトにまでして通してしまった。
それにひきかえ。
「トモロウ! またお前は……非効率極まりない」
トモロウの部屋の手前で、センセーとばったり出くわす。
「センセー……、すいません、ネジの検品を」
「そんなものは資材の専門のスタッフがやることだ。元ネジ職人がネジに詳しいのは当たり前だ。浮かれるな」
「浮かれてなんか」
「主目的でないところで達成感を得てどうする、ということだ。キノラ、お前もだ。トモロウは基礎学習中の身、単価の低い作業を押し付け、感情に働きかけて無料奉仕を強いるその効率化手法は評価できない」
「はあーい」
「とにかく入れ。ネジを置け」
トモロウの部屋には簡素な机とベッドと本棚。
両手に抱えた箱いっぱいのネジがどさっと机上に放り出される。
センセーに促されるまま床に正座するトモロウ。
ベッドに腰掛けきょろきょろ辺りを見回すキノラ。
パイプ椅子にこしかけたセンセーは、机においたネジ箱を掻き回し、じゃらっ、と音を立てて、
「まったくお前は、このような仕事は我ら上流工程の職域ではないと何度言えばいい」
「申し訳ありません」
センセーは、窓から「塔」を、その向こうに広がる内域、外縁を眺め、苦い表情で口を開く。
「お前は自分一人の満足のために最適効率を忘れている。
お前がネジの検品というお前一人分の稼働しかしていない間、他の者がお前がやるはずだった一人分以上の業務を行なっている。我々は一人で一日分の稼働だけすることを許されていない。
我々は論理とソフトウェアの力を使い、一人で一日に十人分以上の働きをすることを求められている」
「十人分……そんなの無理ですよ」
「無理かもしれない。だが無理だからこそ頭を使うのだ。無理でなければ頭はいらない。できるかどうかわからないことに対して偶然に賭け無計画にトライし、終わってから結局間に合いませんでしたね、ということは誰でもできる」
小さいころから習ってきた、親方の怒鳴り声とは大違いだ。
(バカ野郎、考えてるヒマがあったら手ぇ動かせ!)
「予測し、計画せよ。計画という基準点があればこそ、イレギュラーに対応するための変化も生まれる」
(とにかく数をこなしゃあ勝手に勘所は身につくもんだ!)
センセーのことばがトモロウの頭の上を通りすぎていく。
ずっと親方に教わってきたこと、センセーに食らいついて教わってきたこと。
外縁にいたころは、考えなけりゃいいものなんか作れない、と思っていた。
内域に来て、考えてばかりじゃ一歩も進めないじゃないか、と思うようになった。
進歩しているようでもあり、ただもがいているだけのような気もする。
俺は結局、どうしたかったんだろう。
センセーのことばが途絶え、沈黙が落ちる。
(♪ドッドドッドオドドドオオドド~ナッツ)
(♪ドドドドドドドドドドド~ナッツ色の~)ピッ
「はい、私だ」
センセーが胸ポケットから「ケータイ」を取り出した。
遠隔地から簡単に他者の時間を奪ってしまうその機能のため、緊急時のみ使用が許されている機械だ。世界に12個しか現存していない、この「ケータイ」と呼ばれる機械は非常に貴重なもので、トモロウがこれを見たのは昨年、生産工場がひとつ爆発で吹っ飛んだとき以来のこと。
「事故、場所は、メインゲートブリッジ、状況は? ……ああいい責任だとかそういうのは、障害状況を冷静に端的に報告したまえ」
昨年もそうだ、センセーはどんな大事故でも常に冷静で、氷のように現状の把握に務める。まったく共感はできないセンセーだが、こういう姿は正直尊敬できる。
「なに、アスハ君が……! わかったすぐに、」
センセーが立ち上がり、パイプ椅子が派手な音をたててひっくり返った。
冷静に白衣の裾を払って、冷静に椅子を戻すセンセー。
「キノラ、トモロウ。出動する。補助を頼む」
「はいっ!」
「……は、は、はい、ええ、その、はいっ」
「回答は簡潔に」
「は、はい」
キノラを見れば、さっきまでぼーっとしていたのもどこへやら、目は窓の外をそわそわと、指先は落ち着きなく制服の袖や襟周りを触り続けている。
「キノラ、君が関与しているのか」
「センセー! なにがあったんですか、アスハになにか」
トモロウには応えず、
「内域から外縁へ渡るメインゲートの大跳橋が、アスハ君の通過中に突然稼働し、彼女はその開口部の金具に引っ掛かり高度20メートルで宙吊り。跳橋管理機器はハードウェア的に操作された形跡なし。ソフトウェア面でのクラッキングと考えられる……。キノラ、君の専門はメンテナンス自動化だったな」
「は、はい!」
「ウィルスか」
「そんな! ウィルスなんて、わ、わたし、こんなつもりじゃ……ちょっと通行止めにしてびっくりさせようかな、って、その程度で。軽いイタズラの、つもり、で」
「イタズラは構わん。そこを問題視しているわけではない」
「じ、じゃあ」
「人間が通過する時間などという偶発性の高いものをトリガーキーにし、意図通りの動作をさせられなかった設計上の不備。100年以上動作しておらず老朽化した跳橋の可動部位をこの加速度で動かせばどうなるか、想定していなかったハードウェア実装上の不備」
センセーの右腕が素早くキノラの胸座をつかむと、ネクタイピンとして飾られた上位工程の証がもぎ取られる。
「好奇心も結構、悪意も結構。未熟なのも結構だ。だが、ここでは無能だけが許されん」
「あ、ああ……っ」
「キノラ、君を除名処分とする。残念だが」
「な、なんで! そんな!」
膝から崩れ落ちるキノラ。センセーの白衣の裾にすがりつく。
「だって! アスハはひどいんです先生、後から入ってきて、あんな偉そうにして、こんな、優しい幼馴染の彼氏もいるのに無視して、好きなことして褒められて、私だって昔は先生に、先生だってほめてくれて、がんばってきたのに、なんで」
センセーは着崩れた白衣のボタンを上から順にとめてゆき、一番下のボタンホールにかかっていたキノラの指をゆっくりはがし、最後のボタンをとめた。
「行こう、トモロウ。あまり時間がない」
「は、はい……」
四隅をネジでとめられた鋼板をレンガみたいに敷き詰めた廊下を、センセーが早足でゆく。
「センセー、ひどいんじゃないですか、さすがに」
「かまわない。僕には任免権があるし、それに」
センセーは、振り返らない。
「嫉妬や怨恨など、我々にとっては最も縁遠い感情であるべきだ」
宿舎から内域の街へ歩み出す。
現場までは、すぐそこだ。
トモロウも、振り返らない。