2 ねじは、はずむ
「なんとか間に合った……手を止めない、手を止めたら死ぬけど、止めなくてもいずれひとは死ぬんだ」
「えらいねトモロウ」
30ケースのネジと幼馴染をひとり大八車に積みこんで、トモロウは上り坂をゆく。
寂れた「外縁」とはいえ、「内域」へと通じる大通りは鉄製のレンガで舗装されていて、多少錆びてはいるものの、大八車はギシギシとスムーズに進む。
「ところでトモロウ暇でしょ! 耳と頭っちゃ」
「暇だね」
ネジ箱の上に座って足をぶらぶらさせるのが幼馴染のアスハ。親方には口ごたえしてしまう俺も、このアスハにはもう反論しない。
「暇じゃなくてもはいじゃーこれー! 私の楽しいプレゼンでごきげんを伺います」
アスハとは、そういう存在なのであった。
「いま! 世界は終わろうとしている!」
「デカい!」
「ツカミなのちゃ。次から具体的に世界がどのように終わるのか現状の分析と改善のご提案」
アスハは後ろ向きに大八車にのったまま、器用にぺらぺらと紙芝居をめくり、震動を受けては時折後ろにひっくり返る。
「この星はネジと月からの資源供給で支えられているちゃけれど、月は年々小さくなっています! なくなる!」
「なくなる! かなあ……?」
「ネジもマズイ! 年々品質は下がってきているのです」
「……すいません」
「違う違う、採ってすぐの原ネジのことを言ってるちゃ」
トモロウ一行は中央通り橋へ。「内域」を取り囲むように流れる川、そこに掛かる橋はこれ一本。ここにはゲートがあり、「内域」への出入りを厳しく取り締まっている。
「許可証を! 用が済んだらさっさと立ち去るように!」
妙に声を張る警備員にパスを見せ、ゲートの倉庫へネジを搬入する。大抵トモロウ達職人が入れるのはここまでで、内域へ立ち入ることはめったにない。と、ゲートの方でなにやら揉め事が起きている。アスハか。またあいつは……。
「警備員さん、わたしも用事があるちゃ! 『ペーパー』持ってきたら、内域の偉いセンセーが見てくれるって聞いた!」
「バカを言うな、『上流工程』でもない外縁のものが『ペーパー』など出せるわけがないだろうが!」
「ほら、ちゃんと書いてきたちゃ、ほらこれ、お願い! あ、トモロウからも! お願いしてちゃ」
トモロウはふぅ、と肩を落とした。
「なにその態度、たすけてよ! いつも助けてくれるちゃ! いっしょに世界をよくしよう!」
「別に、世界なんて俺たち『下流工程』の職人には関係ない」
「えっ」
「俺達はひたすら日々、同じ仕事をするだけさ。別になんもよくなったりしなくても。正直、あんまりピンとこねーな。それに今日は納期明けでとにかく一休みしたい……」
「……そっかー」
ぐっ、と『ペーパー』を握りしめ、丁寧に封筒にいれると、「気が向いたらでいいちゃ」と、アスハはそれを警備員に渡した。
ごめんねー、トモロウ、疲れてるちゃー。気づかなくてごめんね。斜め後ろをとてとてついてくるアスハは、大通りから工場へ向かう交差点のところで、手を振って別れた。
アスハ、と声をかけようかともおもったが、なんていっていいか分からず、トモロウはそのまま大八車を工場の倉庫へしまいこんで、鍵をかけた。
「でね、ムカつくんちゃ! おやかたならわかってくれる!」
「わかるぜお嬢! 若者はそうでなきゃいけねえ!」
翌日。久しぶりに定時に出勤してみれば、親方とアスハがトモロウの定位置で意気投合していた。
「トモロウは日常生活にすり潰されてしまったのちゃ! 警備員も! 終わった! 世界とともに!」
意気揚々とこの街の制度改革を語るアスハ。うるせーうるせー、とぼやきながら、トモロウは今日の仕事の準備を始める。まあ、元気なのはいいことさ。作業依頼書を確認して、使い慣れた道具の整備。
「アスハさんはこちらと伺ったが?」
そんな中、白衣にメガネ、見るからに「上流工程」然とした男が工場に訪れた。
「はい、わたしちゃ」
「昨日は警備のものが失礼した。彼は雇われでね、本当の意味で『誰からのペーパーでも受け取る』という言葉の意味を理解していない」
男は懐のバインダーから数枚の紙片を取り出し、アスハの前、研磨機の上へ並べた。
「ちょっとあんた、仕事中だ」
「失礼」
「じゃあこっちがいいちゃ」
アスハが指定したデスク、もちろんトモロウの作業机の上に広げられたのは移籍届、委任状、宣誓書。
「アスハさんの提出された『ペーパー』に見るべき所あり、『上流工程』の素質ありと認む。よって即日内域へ転居し勉学に励むべし。よろしいか?」
「えっ、読んでくれたんちゃ、ですか? 願ってもない! 行きます! すぐ!」
あれ、通ったのか……。マジか。それこそ世界が終わるぜ。
「トモロウもついてきてよ! 一緒に勉強して、手伝ってね。家事もしてほしいし、機械にも強いし」
「いや、俺は……いいって、内域なんて」
「そうだな、彼は賢明だ。同行者は認められていないし、第一彼は見るからに『下流工程』。内域に入れることはできない」
わかっちゃいるが、はっきり言われると腹も立つ。
どうして上流工程ってのはこんなやつばっかりなんだ?
「……アスハ、お前も。行くこたねえって。性格の悪い連中ばっかりだ、内域に住んだらきっといじめられるぜ」
「いじめなどは存在しない。外縁ではあるまいしね」
「なんだぁ? 陰険メガネが」
「眼鏡は単なる視力補助具であって、性格と有意な関連性があるというデータはないが……」
「そんなこた当たり前だろうが、その回りくどいイヤミが鼻につくんだよ!」
上流工程の男はトモロウから視線を外す。
「アスハさん、このような下流工程の人間と今後関わらぬよう。非論理的思考は周囲の環境によって伝播する傾向にあることが、昨年度の研究会で報告されている」
「てめえ、下流下流ってバカにすんな!」
「馬鹿にした覚えはない。下流工程のものに対して侮辱的言辞を弄するなど、時間の無駄でしかないと思わないか」
「それが……バカにしてるってんだよ! おらっ!」
掴みかかろうとするトモロウ。躱そうとして躱し切れず、もつれ合って工場の外へ。
取っ組み合いながら坂を転がる二人。トモロウの腰には、さっきまで手入れをしていた愛用のスパナが。
ネジも削ったことのないような針金野郎に負けるか!
だが、スパナを振りかぶったトモロウの右腕は、力学的に効率良くいなされ、錆びた川べりの堤防を虚しく叩いて響く。
「くそぉっ」
距離を取られ、再度跳びかかるトモロウ。
今度は躱す、白衣の男。
その向こうには、ギシギシと音を立てて流れる、銀鼠色の、川。
工場へネジを汲み上げて加工する、原ネジの流れる川。
目の前に迫るゴツゴツした川面へ、トモロウは右肩から突っ込み、
「……ャアアァアァアアアッッッッァァァーーーーーー」
すり潰されるような痛みに、たちまち、意識を失った。