異世界転生した俺は、チートスキルで勇者となる
俺は、猫を助けようとしてトラックに轢かれて死んだ。
別に助けようとおもって助けたわけじゃない。
勝手に、身体が動いただけだ。
それでも、俺は猫を助けて、呆気なく死んだ。
最後に思い浮かんだのは、家族の笑顔だった。
「召喚、成功──!! 勇者様の召喚に成功いたしました!」
俺はトラックに轢かれて死んだ、はずだった。
だが、気がつけば俺は知らない人達に囲まれて、『勇者』だと持て囃され、喜ばれた。
何が起こっているのか分からない。しかし、一つだけ分かるのは──
──俺は、どうやら異世界転生をした、ということだ。
小説かマンガのような展開で世界は進む。
あれよこれよと連れられるうちに国王様らしき人に会わされ、涙を流して喜ばれた後は、豪華できらびやかな部屋に通され、メイド服を着た女の人に風呂に入らされ、前世でも体験したことのないマッサージをされてしまうと、いつの間にか眠りに落ちていた。
そうして、次の日には占いで使われるような宝玉に触らされ、それが強く光り輝くと、周りの奴らは酷く喜んだ。
俺も、周囲の反応を見て自分には特別な才能があるのだと自惚れた。実際にその自惚れは間違いではなかった。
【強化】──それが俺のスキルらしい。
単純明快な能力、しかしその力は一般的に知られている程度とは比にならず、自分自身を極限まで強化できるのはもちろん、他人にも強化バフを付与することが可能らしい。
えらく興奮した様子で伝えられた俺のスキルに、俺自身もテンションが上がったものだ。
そう、この時までは、俺も異世界で楽しく暮らしていけると思っていた。チートと呼ぶべき才能、持て囃される【勇者】の称号、周囲からの期待に応えるべく、俺は与えられたスキルを使いこなせるように頑張っていこうと、この時は思っていたんだ。
だが、ここから事態は急速に悪くなっていく。
スキルが判明した次の日から、俺は国の軍部で鍛錬を行うことになった。【強化】スキルがあるから必要ないだろうとは思っていたが、国王陛下からの命令ならば仕方がない。体力には自信が無いが、まあ異世界人ということで加減してくれるだろうと、この時の俺は呑気に訓練場に向かっていた。
そこで行われた鍛錬は、もう思い出したくもない。
元々ただの高校生だった俺には、過酷という文字だけでは表しきれない地獄の日々。走り込み、素振り、筋トレ、そしてまた走り込み。それが何分、何時間と続いたのか、気がつけば明るい朝日が見えていた空には、真っ赤な夕日が顔を出し、過呼吸を繰り返す俺をつまらなさそうに見つめていた。
初日で、これだ。それが何ヶ月も続いたと聞けば、この地獄の苦しみを少しだけでも理解してくれるだろうか。
それでも、愚直な自分は鍛錬に参加し、【強化】スキルをものにしようと努力していた。怒号が飛ぶ訓練場で、酸欠で気を失い倒れる仲間を置き去りに走り込む日々。もちろん倒れた仲間は上官にムチで叩かれ、その死にかけた肉体を必死に起き上がらせ、俺達に追いつこうと足を動かす。
その日々は、いつまで続いたのだろうか。
その日々は、突然終わりを告げた。
「戦いに参加する、ですか──?」
上官に告げられた、出撃命令。
だが、それを命じる上官の顔は期待に満ちていた。
すぐに理解する。これは【勇者】の初陣なのだと。
勝手に身体に力が入る。ようやくこの地獄から抜け出せることへの安堵と、それに報いるための戦いへの不安。
この戦いで【勇者】の格が決まる。
この戦いで負ければ、俺は【勇者】ではない。
そうなれば、これまでの地獄の日々が無駄になる。
【強化】──既に使いこなせているそれは、戦いでも役に立つのだろうか。
誰もが期待していた【勇者】の初陣。
それは【大勝利】という結果で幕を閉じた。
皆が喜び、安堵したことだろう。
これで国は平和になる。国王陛下も安泰だろう、と。
戦いが終わった後には、凱旋パレードも行った。
俺は【勇者】として、歓喜に踊る民に手を振り、清廉潔白な笑顔を振りかざし、皆の期待に応えた。
その裏で、【俺】はトイレに吐瀉物を流していた。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
なにが勇者、なにが才能──!!
俺は【勇者】として召喚されたのではない!
ただ【国の道具】として生贄に選ばれただけだ!
初陣で殺したものを思い出し、手が震える。
あれは──あれは、何のために戦っていた。
あの、【魔物】と呼ばれるものは、一体なんのために──なんのためにこの国と戦っていた。
俺を見る目が、俺の頭にくっついて離れない。
あの、家族を殺され、【勇者】を憎む魔物の目が、記憶にこびりついて離れない。
俺が、俺達が殺したものは、本当にただの【魔物】なのか?
俺が、奪ってしまった命は、本当に奪ってもいいものだったのか?
【勇者】が殺すべきは、本当に【魔物】なのか?
「おぅええぇぇ⋯⋯おえぇ⋯⋯」
口からべちゃべちゃと落ちていく吐瀉物が、ぐちゃぐちゃに殺された【魔物】に重なる。薄黄色の吐瀉物が、青色に潰された【魔物】の死体に変わる。トイレに流されていく吐瀉物のように、あの死体も腐った土に還るのだろうか。
「おぇ、げえ⋯⋯はあ、はあ⋯⋯」
もう胃液しか出てこない口から唾液をぼろぼろと垂らしながら、酸っぱい吐瀉物の香りを鼻に入れ、涙と混ざっていく【死体】を無心に見つめる。
「うぐ、ひぐ⋯⋯あぁ、あああぁぁ⋯⋯」
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
どこから、歯車が狂ってしまったのだろう。
こんな、こんな目に遭うくらいなら──あのとき、猫を──
「ああぁぁぁ⋯⋯ああああぁぁぁ⋯⋯!!」
それでも思い出す。トラックに轢かれ、今際の際で見たエメラルド色の瞳。白い、猫だった。毛並みが綺麗で、首には気古された赤い首輪。きっと飼い猫で、気分転換に脱走してみただけだ。
その散歩中にピンチに見舞われ、
そのピンチを、俺が救っただけだ。
「あぁ、ああぁぁ⋯⋯おぇ、げぇ⋯⋯」
痛い、とも思わなかった。ただ死ぬのだろうなと冷えた頭で悟り、ふと猫は無事だろうかと横を見た。そこにはエメラルド色に輝く宝石のような瞳を持つ猫が、ただ静かに、血まみれで倒れている俺を見ていた。その眼に宿るものは知らず、俺は霞んでいく視界の中で、こう思った。
──無事で、よかった。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」
その未来で、俺は【勇者】として讃えられ、チートスキルを貰い、魔物との戦いで大いに貢献し、そして今はトイレで嘔吐を繰り返している。
そのクソみたいな輝かしい未来に、今に、なってしまっても思う。
──猫が、無事でよかった。
そう思ってしまう自分が、世界で一番嫌いだ。
それからも俺は戦いに明け暮れていた。
空きがあれば鍛錬に参加し(させられ)、国王陛下からは積み重なっていく戦績にお褒めの言葉をいただき、民や同僚からは期待と羨望の眼差しを受け、戦場では先を切り開いていく俺に希望の歓声が上がる。
その裏で、トイレに吐かれていく【死体】は増えるばかりだ。
それでも俺は【勇者】なのだから、皆の希望とならなければならない。負けてはならない。期待を裏切ってはならない。
いつからか、与えられる期待はプレッシャーに代わり、背負いきれない荷物を抱えながら、俺は今日も剣を振るう。
それが、いつまでなのかを考える暇もないほどに。
「──強い個体が現れた?」
「はい。兵士でも対処が難しい魔物が現れ始め、各国も対応に追われているようです」
それは寝耳に水な報告であった。
今までの戦場を思い返しても、それに当たるような個体は見つからない。この国周辺には現れていないのではないか、とも思ったが、各国が対応に追われている時点で、その個体は世界のあちこちで見つかっているに違いない。
戦いの前の不穏な報告で、大きな不安がつきまとう。
しかし、周りの兵士は気にしていないようだった。
「はっ、強い個体だってぇ? そんなの俺達の前じゃあ屁でもねぇぜ!」
一人の兵士がそう言うと、他の兵士もつられて囃し始めた。
「おうおうそうだぜ! いくら魔物が強くても関係ねぇ!」
「そうだそうだ! 魔物なんて俺たちの敵じゃねぇ!」
「あたりめぇだぁ! なんせ俺たちには──」
「【勇者様】がいるからな!」
その呼び名に、称号に、嫌悪感が募る。
だが、それ以上にまとわりつく不安が俺を急き立てる。
「ま、待て、油断をするな。今までに見つかっていない個体だとしたら、君達でも危険だということに──」
「なんだぁ? 【勇者様】、ビビってんのかぁ?」
遮るように言われた暗い声色。それは落胆だった。
喉から、ヒュッとか細い息が鳴った。
「い、いや、違う! 俺は良くても、君達が死んでしまってはいけないんだ! だから──」
「はっ、そんなこと気にするなよ、【勇者様】」
「そうだぜ、なんせ俺たちには【勇者様】がついてる!」
「俺らは無敵だ! 【勇者様】バンザイ!!」
「【勇者様】バンザイ!! 【勇者様】バンザイ!!」
【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!【勇者様】バンザイ!!
民が、兵士が、国王が、国が、
【勇者】に期待している。
【勇者】に希望を持っている。
その希望の炎は、人々の骨の髄まで燃やし尽くし、
もはや、消えることはない。
「ねぇ、聞いた? 勇者様の話」
「聞いたわよ〜、魔物相手に全滅ですって?」
「いやいや、それが勇者様は生き残ったそうよ」
「えぇ? それじゃあ勇者様だけ逃げたってこと?」
「さあねぇ。でも、城の人たちによると、勇者様ってば帰ってからずうっと」
「部屋にこもっているらしいわよ──」
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
どこから、歯車が狂ってしまったのだろう。
俺は、なにを間違えたのだろう。
「あ、あ⋯⋯」
豪華できらびやかな部屋、そこに居るはずの俺は今、赤に染まった戦場に立っている。
強い個体──そう報告されていた魔物は、俺達の想像の範疇を超えていた。
リザードマンのような見た目であるにも関わらず、オークのように大きな身体、腕には大小様々な鉱石がゴーレムのように浮き上がっており、とても魔物とは呼べない、おぞましい化け物がそこにはいた。
それが振るう金棒は、仲間であったはずの兵士を肉塊に変える。目の前でついさっきまで生きていた仲間が意味の無い肉になる光景を見た兵士は、もう戦う気力すら残っておらず、スボンに染みを広げながら、ただ振るわれる金棒を見つめることしかできない。そうして、赤色に潰された【人間】の死体が量産されていく戦場で、俺はこれ以上犠牲を増やさんと奔走していた。
自身の肉体を強化し、強化し、強化して、走るスピードを上げ、振るう剣の威力を増やし、左手に持つ盾を硬くする。
俺は、自身の無力を嘆きながら、それでも仲間を助けようと、許容値を超えた【強化】スキルを使いながら、襲い来る魔物を斬り伏せた。
だが、気がつくと、周りには赤い肉塊だけが残っていた。
辺りを見回しても、仲間はいない。俺が助けるべき民たちは見つからない。【勇者】の、俺が、救うべきの、
『──哀れであるな』
ふと、言葉が聞こえて、その方に顔を向ける。
けれども、そこに居るのは救うべき仲間ではなく、殺すべき仇敵。人間の身体の何倍もの大きさもある金棒を軽々と振り回しながら、その魔物は【言う】。
『これが、【人間】か。なんと脆弱で、なんと醜い』
『こんなものに、我らは殺されたのか。なんの意味もなく、ただ国の近くに住んでいるというだけで、我らは蹂躙されたのか』
『許せぬ、受け入れられぬ。我が母は、我が兄は、なんのために戦っていたのか。なんのために、死んだのか』
『【勇者】よ。【人間】の希望よ。お前は、我が同胞の命を奪い、その尊厳すら壊した。お前を、許すことはできぬ』
魔物は金棒を振るい、怒りのままに地面を叩き割る。
その威力は、人間が受けてしまったら、頭蓋骨ですら容易に割れる。骨の髄までを叩き割り、後に残るのは赤く潰れたぐちゃぐちゃの【死体】。
その成れの果てを視界に収めながら、俺は無心で剣を取る。
もう【魔物】は喋らない。俺も言葉を口に出す気はない。
その間にあるのは、ただ命を散らすための死闘。
【英雄】を作るための、赤く血塗られた舞台。
【人間】の【勇者】と、【魔物】の【英雄】は相対する。
その戦いの決着は、覚えていない。
ただ、気がついたときには、地面に魔物の首が落ちており、青く潰されたぐちゃぐちゃの死体が、英雄の最期を物語っていた。
「あぁ、あ⋯⋯」
世界は進む。進んでいく。
パッと目を開けると、俺は暗い鉄格子の中にいた。
どうやら、【勇者】は必要なくなったようだ。
だからこそ、新たな【勇者】を召喚し、古い【勇者】を捨てるようだ。
あの日、猫を助け、トラックに轢かれ、異世界に来た日を思い出す。あの時、俺は【勇者】として持て囃され、あれよこれよと国に匿われた。
だが、その裏では、今の俺のように古い【勇者】は捨てられ、世界のどこにもその存在が残らぬように消されてしまったに違いない。
国の仄暗い過去と、いずれ来る俺の未来に、笑いがこぼれる。
結局、最初から俺は【勇者】ではなく【国の道具】だった。
誰からも期待され、その実、誰も俺を見ていなかった。
ただ、国の脅威となる【魔物】を排除するために召喚されたに過ぎない、ちっぽけな【勇者】。
国に踊らされた人形は、壊れてしまえば誰もが興味を失う。
そうして、再び別の世界から【勇者】となりえる【道具】を持ってくるのだ。
「は、ははは⋯⋯」
あぁ、本当に。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
歯車が狂ったのは、猫を助けたときか、【勇者】となったときか。
否、そもそも歯車は狂っていた。
それを、あたかも正常かのように見せていただけだ。
「ははははは、はははははははははは」
何も知らず、何も考えず、ただ与えられた義務だけを背負って。
俺は【勇者】として戦い続けた。
それが国が用意した舞台装置だったのだとしても、【魔物】を殺したのは、俺の意思だ。
俺が──【魔物】の命を奪ったのだ。
「ははははは! あはははははははは!」
もう、いい。もう十分、長く生きた。
国が【勇者】を消すというのならば、俺も【勇者】をやめよう。国が俺を殺すのではない。俺が、俺の意思で、死を望み、【勇者】を捨て、そうして、俺は国に殺されてやるのだ。
「はは、ははは! ははは、ははははは!」
視界が霞む。頭が淀む。身体が重く、侵されていく。
もはや、ここまでか。
最後を悟り、そのまま瞼を閉じようとする。
その時だった。
キィ、と甲高い音が聞こえた。
それはか細く、いや、か細く聞こえるように慎重に開けられたそれは、俺に自由を示していた。
「お逃げください」
開けられた鉄格子から中に入り、メイド服を着た女の人は、汚い地面に片膝をつけて、そう言った。
「お逃げください」
彼女は、いつものように無表情で、今度はゆっくりと、そう言った。
「ここから、お逃げください。主様」
そのメイドは、俺を【主】と呼び、そう言った。
彼女はいつもそうだ。
いつも彼女は、俺を【勇者】ではなく【主】と呼び、傷ついた肉体を風呂で癒し、吐瀉物に塗れたトイレを掃除し、悪夢で魘される俺の手をずっと握ってくれた。
彼女だけが、なんの期待もこもっていない目で俺を見つめ、無感情に、無愛想に、俺を俺として甘やかしてくれた。
その甘えに、優しさに、俺はいつも救われていた。
民を救う俺の心を、彼女だけが、いつも静かに癒してくれた。
だから──あぁ。
だから、やっと、彼女も解放されるのだと、そう思って。
そう、思っていたのに。
「なにを⋯⋯して、いるんだ」
ロクに潤っていない喉から絞り出される声は、老人とも聞き違うくらいにはガサガサだ。しかし、俺はそんなことも考えられないくらいに頭が回っていなかった。
「見ればお分かりになるのでは? 主様を逃がすため、貴方の従者が参上した迄でございます」
「なにを、言って⋯⋯」
「主様、なにを呆けていらっしゃるのですか。早くご準備を。目的地までの支度は、既に終えております」
彼女はあくまでいつも通りに、そう宣った。
虫やネズミが徘徊する地面に片膝をつけて、当然のように牢屋から出そうとする彼女に、愕然とする。
「なにを、言っているんだ。俺は、処刑されるんだぞ!」
乾いた喉から、振り絞れるだけの声で叫ぶ。
自分は重大な罪を犯しているのだと、そう理解してくれることを願って。
けれども、彼女は表情を変えることなく、ただなんの感情も見えない瞳を俺に向け、「存じております」と言った。
「は⋯⋯?」
「存じております。主様。ですから、貴方の従者が参上し、貴方を逃がすため、ここに居るのでございます」
「おま、え⋯⋯それが、どれだけのことか──」
「存じております」
メイドは、ただ静かに話す。それがまるで些事な出来事かのように、あたかも当然かのように、ここに居る。
「主様、私は貴方の従者。貴方に関すること全てを把握し、管理することが仕事でございます。ですので、私がここに居ることも、貴方を逃がすことも、重罪になるということは理解しております」
「それなら、なぜ⋯⋯」
「それは、私が貴方の従者だからでございます」
メイドは、淡々とそう言う。それが世の摂理かのごとく、世界の常識かのごとく、そうあっけらかんと宣言する。
「なにを⋯⋯俺は、【勇者】なんだぞ!」
「はい、その通りでございます」
「お、れは、民を救い、民のきたいにこたえ、民のきぼうとなるそんざいなんだぞ!」
「はい、仰る通りでございます」
「おれ、は⋯⋯もうひつようない、【勇者】なんだぞ!」
「いいえ、それは違います。主様」
メイドは、断固としてそう言った。それは違うと、間違っていると、彼女の全身から、瞳から、そう感じられた。
その虚無の瞳に感情が宿り、言葉が詰まった。
「貴方は勇者でございます、主様。民にとっても、兵士にとっても、国にとっても。そして、私にとっての、勇者でございます」
「どう、いう⋯⋯」
掠れた声で聞くと、メイドは無表情のままで、言う。
「主様。貴方は、勇者でございます」
「人々を助けるために奔走し、助けられなかった命を思い、苦悩し、それでも奪われ続ける命を拾い上げるため、努力する。その様を、勇者と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか」
「勇者とは、魔物を殺す人ではない。勇者とは、民に希望を与え、兵士を鼓舞し、誰かにとっての救いとなる存在でございます。──ある方の、受け売りでございますが」
「貴方はまさしく、民の希望となり、兵士の戦意を高め、そうして、私の救いでございました。【勇者】を見殺しにし続けてきた私にとっての、たった一つの光でございました」
「だからこそ、主様。貴方にだけは、生きていてほしいのです」
そう言うと、メイドは頭を下げた。
いつものように、俺の指示に了承するように。
しかし、今だけは懇願するように。頭を下げた。
「最早この国は滅ぶ運命。これまでの咎が巡り巡って私達に災厄をもたらすでしょう」
「けれども、貴方にこれまでの咎を背負わせてはなりません。貴方はこれまで国がしてきたことを知る必要はありません」
「ですから、ここからお逃げください。主様」
そう懇願されても、俺は動けなかった。
従者の怒涛の告白と、彼女の秘めた思いを知り、動けなかった。
あぁ、そうか、そうだったのか。
だから彼女は俺を【主】と呼ぶ。
そう呼ぶことが、彼女なりの贖罪だったのだ。
【勇者】が殺されることを知りながら、ただ側で世話をしているだけの自分を許せずに、ずっと、ずっと。
古い【勇者】が捨てられ、新たな【勇者】が現れるたびに、彼女は感情を殺して接してきたのだ。
それを『咎』と思い、いつか来たる滅びの日まで、彼女は贖罪を繰り返していた。
しかし、俺は思う。それは本当に『罪』なのだろうか。
「⋯⋯なら、いっしょに、にげよう」
ガサガサに掠れた声で、細くやつれきった腕で、俺は彼女に手を伸ばす。いつもなら【勇者】らしく格好つけるはずなのに、こんな姿でこんなことを言ってもみずぼらしいだけだ。けれど、別にいい。吐瀉物に塗れる【俺】を、悪夢に魘され苦しむ【俺】を知っている彼女には、どんな姿でも構わない。
ただ、【勇者】を見殺しにし続けてきたと苦しむ彼女の手を取ってあげたい。勇者として、俺が救ってやりたい。
それは義務感からではなく、いつからか失われた、かつて猫を助けた【俺】の意思だった。
「君が、それを、罪だとおもうなら⋯⋯それでいい。なら、その償いを、俺に⋯⋯してくれないか」
彼女を救いたい。
その一心で、俺は振りしきる力を全て言葉に注ぐ。
「おれ、また吐くかもしれない。また、悪夢を見るかもしれない。そのとき、きみが⋯⋯必要なんだ」
「そとは、危険かもしれない。でも、おれが守るよ。おれが、きみの勇者として、きみを守るよ」
「だから、だから⋯⋯いっしょに、にげよう」
手を伸ばす。声をかけ続ける。彼女の意志を解かすために、俺の手を取ってくれるように。俺は必死に手を伸ばす。
「ありがとうございます。主様」
霞れた視界の中で、彼女は頭を下げたまま、そう言った。
「ありがとうございます。主様」
震える手を伸ばすが、彼女はその手を取らないままに、もう一度そう言った。
「貴方の、その心に⋯⋯私はいつも救われておりました。そうして、今も死にゆく私の心を、貴方は手を伸ばして救おうとしてくださるのですね」
彼女は頭を上げた。霞れた視界で、表情が見えない。
「貴方は、誠の勇者でございます。これからは、どうか──その心を、他の優しき者達へ」
彼女はゆっくりと立ち上がる。俺は動けず、伸ばした手は空で止まったままだ。
「主様、広い世界をご覧になってください。
そうして、どうかこの世界を嫌いにはならないで」
ふわりと、下からすくい上げられたように、身体が浮いた。それが何故なのかを考える間もなく、俺は強い力で投げ出された。あっと思い彼女の名を呼んでも、もう間に合わない。
霞れた視界に映るのは、青く美しい、久方ぶりの空。
地にぶつかる、と思ったのも束の間、俺はまたもや強い力で全身を支えられる。それが人間の腕だと気づいたときには、既に周りには風が吹いていた。
「よお、勇者様! なんだか辛気臭い顔をしているな!」
「⋯⋯なっ」
パカラパカラと蹄が地面に当たる音と混ざり、その男はいつものように活気づいた声で俺を勇者と呼んだ。
だが、その呼び名に嫌味は感じられない。
それが、この同僚の性であり、良さであった。
「ははっ、なんでこんなところに居るんだって顔してるな! まっ、それも勇者様の人当たりにつられてな!」
ははは! と男は豪快に笑いながら、その身体だけは鉄のように動かない。なんとか身を捩り抜け出そうとしても、男はその太い腕を絶対に離さない。
それに腹が立ち、キッと男の顔を睨みつける。
すると、その頬にあるのは赤い文字が何重にも重ねられたような印。呪印だと、すぐに分かる。
「そ、れ⋯⋯」
震えた声で『それ』を指すと、男もそれには気づいているのか、「あぁ、これか?」と片目を閉じた。
「格好いいだろ? この国の奴らは全員これがある。これがある限り、逃げられない」
男の言葉に、俺は目を見開く。
「【勇者様】を殺そうとしたり、国に逆らおうとすれば、この印が赤く光って全身に痛みが走る。そして、国から出ようとすれば、ドッカーンだ!」
がはは! と男は豪快に笑う。
その片目は、閉じられたままに。
その片目を、思いっきり閉じているままに。
「まっ、別に俺は勇者様を助けてドッカーンでもいいけどよ! 流石にこんな距離じゃあ勇者様も怪我しちまうからな!」
パカラ、パカラと馬を走らせながら、男は快活に言う。
痛みに耐えながら、男はそれでも晴れやかに笑う。
その先に何があるのかを知っていながら、男は勇者を逃がす。
「勇者様! 世界ってのはな、こんなもんじゃねぇ!
だから、広い世界を見て、世界を感じろ!
それで、俺達はようやく救われるんだ!」
※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※▽※
計画的なはんこうだった。
そして、それは全て上手くいった。
共犯者が勇者を連れて国の端まで向かうのを見届けながら、彼女は密かに微笑んだ。
それは歴代の【勇者】達に『鉄の女』とまで言われた彼女らしからぬ、心からの笑みだった。
「主様、貴方には未来がある。それを奪わせはしません」
彼との最後の邂逅を思い出す。彼を壁の向こう側に思いっきり投げやったとき、彼は確かに彼女の名を呼んだ。
それは初めの出会いに名乗り、以降呼ばれなかった、もう彼女にとっても意味を成さないただの言葉の羅列。
しかし、それは彼が呼ぶことで意味が変わる。
「主様、私の名を、覚えていてくださったのですね」
『鉄の女』と言われた彼女の白い頬に、赤く輝く文字が何重にも重なった呪印が彫られた頬に、一筋の涙がつたう。それは薄汚れた床に落ち、硬い地面に染み込んでいく。
雪が降る寒い季節に、暗い路地裏の硬い地面で女を奪われた彼女は、それをみとめた国王に【勇者】の従者を命じられ、どこからともなく現れる【勇者】の世話をし、捨てられていく【勇者】を見殺しにし続けてきた。
それを【咎】と思い、いつからか【勇者】を【主】と呼び、国の温床に溜められていく闇を見ないようにしながら、【勇者】に従う者として生きてきた。
そうして、今、彼女は硬い地面で希望を見出し、彼女の勇者に救われ、奪われていった命を思いながら、滅びの日を待つ者として生きていく。
【勇者】が灯した希望の炎は、
絶えることなく、
彼女の御霊を燃やし続ける。
「感謝いたします、主様。
私は、貴方がたに救われました。
ですから、今度は私が、【勇者様】の命を背負って
ともに逝きます」
ある国があった。
その国は、【勇者】を迎え、【魔物】と戦い続けていた。
だが、その国は突如滅んだ。
本当に、前触れもなく。
ただ、【魔物】に蹂躙されて、滅亡した。
その理由を、後の歴史ではこう語られる。
その日、【勇者】が消えてしまったからだ──と。
スキル【すり抜け】
どんなに固い鉄の壁も、彼女の前では意味を成さない。




