限界過駆動(オーバードライブ)の憂鬱
夏休みを目前に控えた学園は、ある種の『終末論的』な空気に包まれていた。元凶は、今年の体育祭実行委員長に就任した3年A組の通称『重戦車』こと、タイタンである。
昼休みの食堂。ロスカとギアが「低粘度オイル(あっさり味)」のチューブを啜っていると、食堂の入り口が物理的に拡張された。文字通り、ドア枠がメリメリと悲鳴を上げ、左右にひしゃげたのだ。そこを通って入ってきたのは、生徒というよりは『自走する要塞』と呼ぶべき巨体だった。
タイタン。全身を複合装甲板で覆い、歩くたびに床の耐荷重制限をテストしているような男だ。彼のメインスプリング(大ぜんまい)は、おそらく小型のクレーン車並みの太さがあるように思われる。彼は食堂の中央に立つと、演説を始めた。声量が大きすぎて、ロスカの聴覚センサーが自動的にノイズキャンセリングを始めたほどだ。
「諸君!今年の体育祭のテーマは『淘汰』である!スペックの低い旧式が、最新鋭の装甲にひれ伏す姿を見るのが楽しみだ!」
タイタンは愉快そうに笑い、手に持っていたスチール缶を、まるで紙屑のように指先だけでペシャンコに潰した。
「なお、最下位のクラスには罰として、夏休み中の『校舎全域オイル拭き掃除(強制労働)』を命じるぞぉ!」
食堂が凍りついた。この酷暑の中、冷房の効かない校舎で、床に染み付いた古いオイル汚れを延々と拭き取る作業。それは機人にとって、精神回路をショートさせるのに十分な苦行だ。
「……なぁロスカ。あんな『質量保存の法則』を無視したような怪物と、騎馬戦でぶつかるのか?」
隣でギアが震えていた。彼のマットブラウンの装甲が、小刻みな振動でカチカチと音を立てている。
「俺たち、あのスチール缶みたいに潰されるぞ」
「落ち着け、ギア。彼にも弱点はあるはずだ」
ロスカは努めて冷静に言った。
「例えば、あの巨体だ。燃費は最悪だろうし、小回りは利かない。それに、廊下を曲がるたびに壁を削っているようじゃ、修理費で自滅するかもしれない」
「希望的観測がすぎるだろ……」
ロスカたちのクラス、2年B組の空気はお通夜状態だった。軽量級や中量級ばかりのB組が、タイタン率いる3年A組の『重機軍団』に正面から挑めば、物理演算の結果は火を見るより明らかだ。
必要なのは筋肉(出力)ではない。悪知恵(技術)だ。ロスカは決意を固め、震えるギアの腕を掴んだ。
「行くぞ、ギア。専門家に頼むしかない」
・
・
・
放課後。ロスカは嫌がるギアを引きずって、ねじ巻きクラブの部室を訪れた。重い鉄扉を開けると、ひやりとした冷気と、独特のオイル臭、そして金属粉の匂いが鼻を突いた。
「へえ、ここがロスカの隠れ家か。……なんか、ヤバイ店に来た気分なんだけど」
ギアが恐る恐る周囲を見回す。部外者である彼にとって、この部室は『マッドサイエンティストの巣窟』という噂通りの場所に映ったようだ。
作業台の奥では、部長のスパナが、得体の知れない部品を万力で挟み、楽しそうにヤスリをかけていた。その横では、テツが分厚い専門書と計算機を交互に睨みつけている。そして、部屋の主である猫のブチョーは、涼しい顔で、転がっていたベアリングを前足で弾いて遊んでいた。
「スパナさん、お願いがあります」
ロスカは一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「断る!!」
食い気味に、スパナの鋭い声が飛んできた。
「は?」
「断る!!!」
スパナは手元を見たままで、まるで反射行動のように二度目の拒絶を叩きつけた。
「って、まだ何も言ってな……」
「わかるんだよ、どうせ体育祭のことだろ! 俺は面倒ごとはお断りなんだ。そもそもこのくそ暑い時期に体育祭とか、この学校は何を考えているんだか……正気の沙汰じゃない!」
スパナはやっと顔を上げると、手に持ったヤスリで天井を指した。
「この時期に全力疾走なんてしてみろ。ぜんまいの熱で内部のハンダが溶ける。俺はそんな非合理な行事のために、貴重なパーツと時間を使う気はない。以上、解散だ。……おい、そこの茶色い奴。部外者は立ち入り禁止だ。出ていけ!」
指されたギアが「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
「スパナさん、そこをなんとか!負ければ夏休み中ずっとオイル拭きの強制労働なんです。部室に来る時間もなくなります!」
ロスカの必死の訴えに、スパナがわずかに眉を寄せた。
「オイル拭き……。チッ、あのタイタンの野郎、相変わらず悪趣味な罰則を。……テツ、こいつらの勝率は?」
「計算上、現状のスペックでは3.4%です。タイタン先輩の質量エネルギー係数が高すぎます」
隣でテツが淡々と答える。
「3.4%か」
スパナはヤスリを置くと、ニヤリと不敵に笑った。
「気に食わないな。その低すぎる数字も、その『無理ゲー』を仕掛けてきたタイタンの慢心もだ。……おい、茶色。そこへ座れ」
「え?俺?いや、俺はロスカに連れてこられただけで……」
「実験台が自ら歩いてくるとは手間が省けた。いいか、ボランティアじゃない。お前の機体で『新しいパーツ』の臨床試験をさせてもらう」
スパナが棚の奥から取り出したのは、不自然なほど高密度のバネが詰まった、重厚な真鍮製のユニットだった。
「名付けて『脚部増設ぜんまい:オーバードライブ・ユニット』。そして、その超高速回転を支えるのがこの『無摩擦オイル・改』だ」
「……名前からしてろくな予感がしないんですが」
ロスカの懸念を余所に、スパナは目をギラギラさせながら続ける。
「ひっひっひ。一度これを解放すれば、お前の脚は持ち主の意志を無視して大地を叩き続ける。そしてロスカ、お前の仕事はその『止まれない暴走特急』を、重心制御だけで乗りこなすことだ。一歩間違えれば二人ともスクラップだぞ。……さあ、地獄へ行こうか」
「「それ、ただの特攻兵器ですよね!?」」
ロスカとギアの悲鳴のような抗議を無視して、スパナは工具箱を開けた。
「さあ、改造手術の時間だ。茶色、そこ座れ。ブチョー、邪魔だからそっち行ってろ」
ブチョーは「やれやれ」といった様子で、高い棚の上へと避難していった。
・
・
・
翌日の放課後。グラウンドの隅で、ロスカとギアの特訓が始まった。監督役のスパナは、日陰のベンチに寝そべり、やる気なさそうに冷却剤をかじっている。
「いいかギア! 脚の回転に振り回されるな! 遠心力を前への推進力に変えろ!」
ロスカが叫ぶ。
「無理無理無理! 勝手に足が動くんだよォォォ!」
ギアの悲鳴が遠ざかっていく。
ギアの両脚に装着された『オーバードライブ・ユニット』は狂暴だった。一度ロックを外せば、内蔵された高張力ぜんまいが凄まじいトルクで地面を叩き続ける。ギアの意志とは無関係に、彼の脚は爆走するピストンのように回転し、凄まじい速度を生み出していた。
「おいロスカ、何やってんだ。さっさと手綱を握れぇ」
スパナが欠伸混じりに指示を出す。
「タイタンはお前らが準備できるまで待っちゃくれないぞぉ」
ロスカは意を決して、暴走するギアの背中に飛び乗った。
「うおっ!」
激しい上下動と、制御不能な加速。二人の重量バランスが崩れ、そのまま直線コースを外れて猛烈な蛇行を始めた。
「目が……ジャイロセンサーが……!」
ロスカの平衡感覚がエラーを吐き出す。
その時だった。流れる視界の端に、日傘をさしてベンチに座る人影が見えた。プラチナホワイトの装甲。コハクだ。彼女は膝の上に本を広げ、優雅に読書を楽しんでいた。
(げっ、コハクさん!)
最悪のタイミングだ。ロスカは今、自身の意志を無視して爆走するギアの上で、必死にしがみつく無様な姿を晒している。しかも、ギアの暴走軌道が、吸い寄せられるようにコハクのベンチの方へ向かっていく。
「ギア!逆ハンだ!右へ跳べ!」
「ハンドルなんてついてねえよ!跳んだら着地でバラバラになるだろォォォ!」
二人は猛烈な駆動音を撒き散らしながら、コハクの目の前を矢のように通過した。ロスカはせめてもの抵抗として、すれ違いざまに何とか平静を装おうとした。
「よ、よう、コハクさ……ん……」
しかし、超高速移動によるドップラー効果のせいで、その声は「ヒョロロロロ……」という間抜けな電子音になって響いただけだった。コハクは本から顔を上げ、猛烈に飛び去っていく二人を目で追った。彼女の表情は読み取れない。ただ、ページをめくる手がわずかに止まっただけだった。
ガシャーン。
遠くの植え込みを突き抜け、防球ネットに突っ込む音が響いた。
・
・
・
「……で、ネットと心中したわけか」
部室に戻ったロスカとギアは、全身に小枝と葉っぱをくっつけていた。ギアの両脚からは、まだ使い切れないエネルギーが余韻としてカチカチと音を立てている。
「笑い事じゃないですよスパナさん。あんな暴走状態、乗りこなせるわけがない。止まることすらできないんですよ」
ロスカが葉っぱを払いながら愚痴る。
「でも、データは取れました」
テツが冷静にホワイトボードへ数式を書き込んでいく。
「ギア先輩の爆発力は、タイタン先輩の質量を弾き飛ばすに足る数値です。問題は『制御』……激突の瞬間まで、そのベクトルを維持できるかです」
「そう。問題は『どう当てるか』だ」
スパナは新しい冷却剤を取り出した。
「力学の授業だ。タイタンは巨大な壁だ。普通にぶつかればお前らが壊れる。だが、お前らはただの弾丸じゃない。……『闘牛士』になれ」
スパナは棚から降りてきたブチョーを抱き上げ、ロスカの目の前に置いた。
「猫を見ろ。こいつらは身体が柔らかい。衝撃を吸収し、受け流す天才だ。ロスカ、お前の仕事は、ギアという制御不能の弾丸に跨がりながら、そのエネルギーを逃がさず、タイタンの『急所』へと一点に誘導することだ」
ブチョーは迷惑そうに「ナァ」と鳴き、スパナの手から液体のようにすり抜けて着地した。
「力を、いなして当てる……」
ロスカは自分の手を見た。それは、図書館で学んだ『熱を出さない動き』――無駄な抵抗を排した、究極の効率の応用でもあった。
「ギア、お前は何も考えなくていい。ただ、このユニットを信じて地面を叩き続けろ。ブレーキのことは忘れるんだ」
「……忘れるのは得意ですけど……本当に死にませんか?」
「死にはしないさ。壊れたら直してやる。……たぶんな」
スパナはニカっと笑い、不安げなギアの背中をバンと叩いた。
・
・
・
体育祭前日の放課後。ロスカは一人、教室に残って自分の関節ボルトを増し締めしていた。窓の外からは、祭りの準備に浮き足立つ生徒たちの喧騒が聞こえてくる。
明日の作戦は、シンプルかつ、これ以上なくリスキーだ。ギアの脚に装着された『オーバードライブ・ユニット』を解放し、制御不能の猛加速でフィールドを撹乱。あえてタイタンの突進を真っ正面から誘い出す。そして、回避不能と思える激突の寸前、ロスカがギアの爆走エネルギーを強引に捩じ伏せ、その推進力を一点に込めて撃ち抜くのだ。
(……一歩間違えれば、ギアの脚は粉々に砕けて、僕もただの鉄屑になる)
スパナが施した過剰なまでの強化は、勝利への切符であると同時に、自壊へのカウントダウンでもある。
ロスカは極限の緊張に包まれる中、ふと、机の上に誰かが置いたメモがあることに気づいた。ロスカが席を外している間に置かれたらしい。そこには、達筆な文字で一言だけ書かれていた。
『ご武運を。B組の勝利を期待しています』
瞬間、ロスカの視覚センサーが激しく明滅し、フォーカスが合わなくなった。名前はない。だが、その筆跡の几帳面さと、微かに残る上質な潤滑油の香り(たぶん、ラベンダー系の添加剤だ)が、誰からのものかを雄弁に語っていた。
(こ、これって……コハクさんの、直筆……!?)
胸の奥のぜんまいが、今までにない速度で『ギュルギュル』と音を立てて巻き上がる感触がする。背中の排熱ファンが、静かな教室で不似合いなほど勢いよく回り始めた。
「期待、してるって……僕たちのことを? いや、B組のことだよね。でも、僕の机に置いてあるってことは、僕への……?」
動揺のあまり、手に持っていたレンチを床に落とした。『ガシャーン』という音が静寂に響く。ロスカは震える指先でメモを拾い上げ、壊れ物を扱うように大切に折りたたんだ。胸の装甲の裏、最も大ぜんまいに近いメンテナンスハッチの中に、それをそっと仕舞い込む。
(落ち着け、落ち着くんだ僕。熱暴走で自爆するわけにいかない……!)
頬の装甲が摩擦熱で熱を帯び、冷却水が結露して滴り落ちる。『期待しています』そのフレーズが脳内のメインメモリで無限ループし、思考回路が使い物にならない。明日の作戦のことなど、半分以上がラベンダーの香りに吹き飛ばされてしまった。
「……やる。やるしかない。やるぞ、絶対勝ってやる!!」
ロスカは立ち上がり、意味もなく拳を振り上げた。勢い余って机の角に膝をぶつけたが、今の彼には痛みすらも快い出力信号に感じられた。
部室では、恐らく今もスパナが「面白い見世物になりそうだ」と笑いながら、ギアの機体に最終的な『悪だくみ』を施しているに違いない。 そしてロスカは、胸の中にある『小さな紙片』から伝わる確かな熱を感じながら、決戦の朝を待つのだった。
読んでいただきありがとうございます。
皆様の率直な感想や「ここが好き!」、「ここがイヤ!」、「こんな展開にしてほしい」など、何でも結構です。レビューをいただけると、画面の前で飛び上がって喜びます。
★をポチっとしていただくだけでも大歓迎です。皆様と一緒にこの「ねじ巻き世界」を広げていければ嬉しいです!




