黒い情報屋と静寂への挑戦
翌日の放課後。ロスカは再び校舎の裏手、半地下にある古びた機械室の前に立っていた。昨日のスパナの話は、ロスカにとって予想していた以上のインパクトで、無意識のうちにこの古道具屋の倉庫のような場所を目指して歩いていた。
ロスカが足を踏み入れた瞬間、足元の影から何かが飛び出した。トンッ。音もなく、それは作業台の上に軽やかに着地した。
「うわっ!」
ロスカは驚いて身構えたが、相手を見て目を丸くした。それは、一匹の猫だった。茶色と白のぶち模様。先日、学校に行く途中に見かけたあの猫だ。
「お、新入り。ビビらせてすまないな」
部屋の奥からスパナが現れた。いつものグリーンガンメタリックの装甲に、油にまみれた作業服姿だ。
「こいつは『ブチョー』だ。このクラブの影の支配者…愛すべき居候さ」
「ブチョー……?」
ロスカはおずおずと猫に近づいた。猫は、大きな金色の瞳でじっとロスカを見つめている。ロスカが手を伸ばすと、猫はあくびをして、しなやかに背中を伸ばした。
あたりまえのことではあるが、その動きには駆動音が全くなかった。関節のきしむ音も、歯車が回る音も、排気音もしない。ただ、柔らかな毛皮の下にある筋肉と骨が、無音で連動しているだけだ。
「どうだ、改めて見ると驚くだろ?」
スパナがニヤリと笑った。
「俺たち機人とは根本的に構造が違う。こいつらも俺たちも『生物』ではあるが、こいつらにはねじ穴もなければ、巻き鍵もない。飯を食って、勝手に動く。俺たちにとっての『究極の静音機構』を、生まれながらに持っている」
ロスカは、その静けさのレベルの違いを改めて体感した。
「本当に…今まであまり気にしてなかったけど、驚くほど静かだ……僕らの駆動音は、この子たちに比べたら、騒音でしかない」
スパナの言葉を聞いたとき、ロスカの脳裏に、あの転校生の姿が重なった。教室の喧騒の中で、一人だけ音もなく佇んでいたコハク。彼女のあの雪のような静けさは、機械の限界を超えて、この猫たちの『駆動系の静けさ』に通じる何かだったのではないだろうか。
「で、お前はどうなりたいんだ?」
スパナはブチョーを撫でるのを止め、ロスカを鋭いディープレッドの瞳で見据えた。
「あの高精度のコハクに合う軸を出したいだけか?」
ロスカは一瞬躊躇し、ブチョーの静かな佇まいと、自分の体を見比べた。そして、意を決したように口を開いた。
「それもありますけど……この猫や、あの静かなコハクに比べて、僕の駆動音がひどくうるさい気がして。僕、平均的とは言われたけど、この騒音をどうにかしたいんです。ダサい駆動音は、やっぱり嫌です」
ロスカは自分の胸の内の見栄と恥ずかしさを、なんとか言葉に押し込めた。
スパナはニヤリと笑った。
「よろしい。その動機の方が健全だ。『愛』なんて曖昧なものより、『ダサい』という屈辱の方が、よっぽどぜんまいを巻く力になる。いいか、ロスカ。お前の目標はコハクの軸になることじゃない。まずは、『コハクが振り返るくらい精密で格好いいオネ』になることだ。そのためには、その騒音を消せ」
「その通りですよ、ロスカ先輩」
唐突に、作業台の下の暗がりから声がした。
「……ッ!?」
影の中から、一人の小柄なオネが滑り出るように現れた。光を吸い込むようなブラックマットの装甲。フードを目深にかぶったそのオネは、エメラルドグリーンの瞳を光らせている。
「テツ、お前、いつからいた」
スパナが呆れたように言う。
「ずっとここにいましたよ。気配を消したんじゃありません。ロスカ先輩の駆動音がうるさすぎて、気づかなかったんじゃないですか?」
テツと呼ばれた一年生は、冷ややかな視線をロスカに向けた。
「テツです。一応、ここの部員です。……ロスカ先輩、昨日の昼休み、コハク先輩に話しかけたことも知っていますよ。でも、はっきり言って、ちょっとダサかったなぁ。僕の計算だと、動揺した先輩の駆動音は平均よりも15%ノイジーでした。」
「う……」
ロスカは少し言葉に詰まったが、テツは容赦なく続けた。
「コハク先輩は、機人としてはありえない、この『ブチョー』に匹敵するほどの驚異的な駆動精度を持っているんですよ?あなたのような標準型のガシャガシャうるさいオネは、ノイズだと思われて終わりですよ。ノイズに、最高の精度を持つメネが振り向くわけがない」
テツの言葉は、ロスカが抱いていた『ダサい駆動音を直したい』という見栄を、深く、深く抉った。
「テツ、さすがにいじめ過ぎだ」
スパナがロスカの前に立った。
「テツの口の悪さは置いておけ。だが、ロスカ、あいつの言っていることは間違ってはいない。お前の駆動音は三流だ。まずその構造の『垢』を落とせ。今日の課題は、右腕の『外装分解』と『駆動系初期メンテナンス』だ」
「僕が……自分でやるんですか?」
「当たり前だ。俺が整備してやっても、お前は綺麗になるだけだ。だが、お前自身が構造を理解し、どこで音が鳴っているかを知らなければ、一生『ノイズ』のままだぞ」
スパナはロスカに、工具箱と洗浄用のバケツを渡した。
「いいか、ロスカ。お前には、そのスチールグレーの装甲を自力で磨き上げ、内部の歯車全てを最高精度に調整する技術を叩き込んでやる。」
ロスカは覚悟を決め、スパナに教えられた通り、右腕の可動部を覆う外装カバーを固定している小さなボルトを緩めていった。硬いカバー板を外すと、ロスカは思わず顔をしかめた。内部の駆動軸の周辺には、長年の摩耗で削れた微細な金属粉と、黒く変色した古い潤滑油がヘドロのようにこびりついていた。それは、メインフレームの駆動系にまで入り込んではいないが、関節の動きを阻害するには十分な量だった。
「見てみろ。これが、お前の『ダサさ』の正体だ」
スパナが指さした。
「この汚れが摩擦を生み、お前の駆動音をうるさくしている。医者の領分じゃない。これは日常の不精の証だ」
ロスカは無心で磨いた。テツの冷たい視線と、ブチョーの静かな寝息を背中に感じながら。一歯一歯、丁寧に汚れを落とす。それは単なる掃除ではなく、自分の中にある『平凡』という恥を洗い流す儀式のようだった。
掃除が終わると、スパナが小さな銀色のボトルをロスカに手渡した。
「仕上げだ。クラブ秘蔵の最高級オイル。これを、稼働する軸受けに一滴だけ差せ」
ロスカは腕の部品に、恐る恐るオイルを垂らした。最初の一滴。油が浸透していくと、歯車と軸が触れ合う音が、まるで絹の上を滑るように消えていく。
組み立て直した右腕を、ロスカはゆっくりと動かした。
スッ。
動きが、信じられないほど滑らかになっていた。今まで耳障りだった関節の摩擦音が、かなり軽減されたのをはっきりと感じる。
「どうだ。これが自己管理の力だ」
スパナが満足そうに言った。
「すごい……これなら、僕でも……」
「そうだ。お前の素体は平凡だが、最高精度を目指すことはできる。最高のスチールグレーになれ。いつかその猫のように、音もなくコハクの隣に立ってみろ」
ロスカは自分の右腕をじっと見つめた。コハクへの憧れや、テツに改めて『ダサい』と言われた屈辱が、今や自分の体を最高の状態に保ちたいという、前向きな衝動に変わっていた。
自分の手で、自分を変えることができる。ロスカの胸の奥で、メインスプリングが希望のリズムで、チッチッチッと時を刻み始めた。
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