熱の正体と錆びの警告
転校生、コハクがやってきた翌日。ロスカの背中の熱は、一晩寝ても微かに残っていた。昼休み。ロスカは昼食として持ってきたニッケル合金の破片を口に運ぶが、噛み砕く音すら耳に入ってこない。彼の心は、通路を挟んで斜め後ろの席に座るコハクの姿に、完全に囚われていた。
教室は騒然としていた。ギアをはじめとするオネコ(男の子)たちは、コハクの周りに群がり、質問攻めにしている。ギアのマットブラウンの装甲とオレンジ色の排気は、その熱意を示すように激しく動いていた。
「コハク、君の素体は本当にすごいな!これ、生来の構造か?」
ギアが興奮気味に尋ねた。
「俺なんか、ちょっと走るとすぐ排熱が追いつかなくてオレンジ色になっちまうんだぜ。羨ましいよ!」
コハクは、そんな熱意を冷ややかな白銀の装甲で受け止めている。彼女の駆動音は相変わらず深い雪が音を吸い込んだような静けさで、騒がしい教室の中でも、彼女の周りだけが真空地帯のように感じられた。
「…特に何も。生まれつき、この構造なんです」
コハクは静かに答える。そのサファイアブルーの瞳は感情を読ませない。
別のオネコが、無遠慮な好奇心を隠さずに尋ねた。
「君の素体はそんなに滑らかだと、動力の効率もすごいんだろう? 一度巻いたら、どれくらい動けるんだ? まさか一週間以上か?」
ロスカはニッケル片を噛み砕くのを止め、思わず聞き耳を立てる。
コハクは顔色一つ変えず、淡々と答えた。
「出生時構造診断によると、私の駆動系はかなり特殊な構造で、巻き上げ効率は非常に高いとのことでした。確かに、一般的な生活であれば、一週間程度の稼働は問題ないと思います」
コハクは言葉を継いだ。
「ただ、構造が非常に繊細だそうで、自分で巻き上げる時でも、あまり乱暴に巻くと体調を崩すこともありますね。あとは巻き鍵も、結構特殊な合金だそうです」
「なんだよ、そりゃ! 結局、俺らとは根本的なデキがちがうってことかよ!」
ギアががっかりしたように腕を振る。
その時、コハクが鞄から巻き鍵を取り出した。ロスカの鍵はシンプルな真鍮製だが、コハクの鍵は透き通った合金でできており、先端は三日月のような優美なカーブを描いている。彼女は誰にも見せないように、そっと背中に手を回し、ぜんまいを巻いた。ギリリ、というごく僅かな音が、ロスカの耳にはなぜか鮮明に響いた。
昼休みが終わり、次の授業のために皆が席に戻った。ロスカは、このまま黙っていることができず、意を決してコハクに声をかけた。彼のスチールグレーの装甲は、ひどく緊張して強張っている。
「あの……コハク」
呼ばれたメネは、音もなく振り向いた。
「ロスカ、さん……ですね」
「うん。僕の名前はロスカだ。よろしく」
彼女の青く冷たい視線を受け、ロスカは鼓動(メインスプリングの振動)が速くなるのを感じた。本当は背中の熱のことを聞きたかったが、そんな勇気はなかった。
「あの、君は……どうして、そんなに静かなんだ?」
質問は、ロスカが一番聞きたかった核心から遠く離れた、当たり障りのないものになった。
コハクの瞳(サファイアブルーとエメラルドグリーンが混ざる)が、わずかに揺れた。
「静か、ですか。私の駆動系は、生来の部品の精度が高いため、摩擦音が発生しにくいようです」
「そっか……すごいね。周りの音が、君の周りだけ遠いみたいに聞こえる」
ロスカは、それ以上言葉を続けることができなかった。
コハクは分析するように言った。
「ロスカさんの駆動音は、平均的な中械校の生徒と同じくらいですよ。健康体です」
「あ……ありがとう」
ロスカはそれだけ言って、すぐに前を向いた。
たったこれだけの会話。それなのに、ロスカの心臓代わりのメインスプリングは激しく振動し、油圧が上がりっぱなしだった。なぜこんなに苦しいのか、彼にはまだ整理がつかなかった。
放課後、ロスカは一人、校舎裏の半地下にある古びた機械室に向かった。そこで彼は、上級生のスパナに会う予定だった。スパナはこの中械校の「ねじ巻きクラブ」の部長だ。
機械室の中には、錆びたブリキや廃棄された部品が山積みになっている。その中で、スパナが小さなぜんまいを分解していた。彼女の装甲はグリーンガンメタリックで、光沢は鈍いが、作業服に付いた油汚れすら、彼女の専門的な雰囲気を高めていた。彼女の瞳は、真剣に作業する際に細められている。
「スパナ先輩」
「お、ロスカ。来たか」
スパナは手元の作業工具(スパナという名の通り、巨大なスパナだった)を置いた。
「どうした。顔色が悪いぞ。ぜんまいが足りないのか?」
ロスカは迷った末に、昨日転入生コハクを見て背中に熱を覚えたこと、そしてそれが何なのかを知りたいと正直に打ち明けた。
スパナは、ふむ、と顎に手を当てた。
「背中の熱、か。それは、軸の兆候だ」
ロスカは息を飲んだ。
「お前の生来の構造は、コハクというメネに対して、生涯を共にしたいという強い愛情の可能性を感じ取ったんだ。だから、『相互巻上げ(そうごまきあげ)』のための『軸』が生成されようとして、ねじ穴の奥が熱を持った。それ以外の要因で軸が出ることはない。純粋な愛情だ」
「相互巻上げ……」
ロスカはその言葉を反芻した。僕が、彼女と、互いの命を巻き合う?
「だが、お前は運が悪いな」
スパナは厳しい顔で続けた。
「コハクだろ? 噂は聞いた。あの生来の精度は、この学園でも飛び抜けている。普通
のオネの軸じゃ、まず無理だろうな」
彼女は足元に転がっていた、錆びついたぜんまいを拾い上げた。
「見てみろ、ロスカ」
それは、茶色く変色し、巻くための溝がボロボロになったぜんまいだった。
「これが、俺たちの運命だ。ぜんまいは必ず錆びる。巻くのが重くなり、やがて巻けなくなる。これが俺たちの生老病死だ」
スパナはロスカに、小さなオイル缶と、精密なねじ回しを手渡した。
「ねじ巻きクラブに入りな。お前には、そのスチールグレーの装甲を自力で磨き上げ、内部の歯車全てを最高精度に調整する技術を叩き込んでやる。コハクは、精度の低い男など、愛さない。それが彼女の生来の価値観だ」
ロスカは渡されたオイル缶を握りしめた。ひんやりとした冷たさが、熱を持った掌に染み込んでくる。
その夜、自室のベッドで、ロスカは巻き鍵を取り出した。ロスカは恐る恐る、背中のねじ穴に鍵を差し込んだ。
(スパナ先輩の言っていたこと……)
脳裏に、あの茶色く変色したボロボロのぜんまいが焼き付いている。『いつか巻けなくなる』という言葉が、呪いのようにリフレインしていた。
ギリリ。巻く。いつもと同じはずのその行為が、今日はひどく恐ろしかった。指先に伝わる反発力が、いつもより少し重く感じる。いや、実際に重いわけではないのかもしれない。けれど、『僕の構造は平凡だ』という自覚と、『いつか止まる』という恐怖が、僕の感覚を鈍らせ、鍵を重く感じさせているのだ。
(これが……凡庸な僕の現実か)
コハクの精巧な白銀の背中が思い出される。彼女の時間は、僕よりもずっと長く、滑らかに続いていくのだろう。今のままの僕では、彼女の隣に立つことすら許されない。
ロスカは恐怖を振り払うように、鍵を握る手に力を込めた。背中には、まだ微かな熱が燻っている。これが『愛』という名の希望なのか、それとも身の程知らずな『錆』への入り口なのか、今の僕にはわからない。
「コハク……」
彼女の名前を小さく呟いてみる。答えは出ない。ただ、胸の奥のメインスプリングが、チッチッチッと正確に、けれど少しだけ切なげに、夜の静寂を刻んでいた。
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