カナリアの沈黙、広がる波紋
※作品の入口を整えるため、タイトルを少し調整しました。
内容に変更はありませんので、これまで通りお楽しみいただければ嬉しいです。
中機校の朝は、多種多様な金属音が混ざり合う、騒がしくも穏やかな喧騒とともに始まる。自らのネジの巻き上げから始まり、朝のルーチンを済ませた生徒たちが、一人、あるいは数人のグループで、思い思いの歩調で校門をくぐる。友人同士で昨夜の課題について語り合い、時には遅刻しそうになって全速力で駆けていく生徒のトルクが、悲鳴のような高音を奏でることもある。それは、個々の機人が自律して生きる、当たり前の登校風景であった。
だが、その日の朝、その雑多な喧騒は、一人の少女の欠落によって、急速に冷え切った不安へと変わっていった。
校門のそば。いつもなら誰よりも早く登校し、特ダネを求めてカメラ片手に騒がしく飛び回っている『学園一のカナリア』の姿が、どこにもなかったのだ。
新聞部の部室が位置する西校舎からは、耳を劈くような叫び声が響き渡った。
「リベットがいない……!? 昨夜、自宅に戻った形跡もなく、今朝の登校記録にも反応がないだと!?」
そのニュースは、生徒たちの雑談を止めるには十分すぎるほどの衝撃を持って、瞬く間に学園中へ霧散していった。
リベットは情報の最前線で常に羽根を動かし、誰よりも生命力に溢れていた。彼女が連絡もなく登校しないという事態は、精密な時計の部品が、一つだけ不自然に、そして唐突に抜き去られたような、言いようのない不気味さを学園に生じさせた。
ロスカ、スパナ、テツの三人が新聞部の部室前に辿り着いた時、そこはすでに不安に駆られた生徒たちで溢れかえっていた。
人だかりの中央で、分厚い眼鏡を曇らせ、今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くしていたのは、新聞部の部長である。彼は周囲の生徒たちに、必死の形相で訴えていた。
「彼女は昨日、理事長の不祥事を暴くと言って時計塔へ向かったんだ! 理事長は昨夜から公務で学園を空けていることになっていたから……、でもそんなの嘘だ! 自分の秘密を嗅ぎ回るリベットを、あそこに……あの聖域に、閉じ込めたんだよ!」
新聞部の部長の声は、恐怖と怒りに震えていた。普段は高潔な象徴として仰ぎ見られている理事長が、一人の生徒の失踪に直接関与しているという疑惑。それは平穏な日常の底に、底知れぬ暗黒の深淵が口を開けていることを、全生徒に予感させるのに十分な破壊力を持っていた。
「……スパナさん、行きましょう」
テツが、静かに、だが鋼のように硬い声で告げた。いつも冷静なテツだが、今回ばかりは放っておけない理由がある。リベットには先日『深入りするな』と忠告したばかりだったのだ。
「おう、リベットの足取りを追う。昨日のビーコンが指した場所――時計塔の麓だ」
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学園のシンボルである中央時計塔は、朝の柔らかな光を浴びて、昨日と変わらぬ威容でそびえ立っていた。白亜の壁面に刻まれた複雑なレリーフは、見る者に秩序と伝統を想起させる。しかし、その足元にある植え込みの影に足を踏み入れた瞬間、ロスカは息を呑んだ。
湿った芝生の上に、不自然に鮮やかな『黄色』が落ちていた。
「……あ」
テツが、吸い寄せられるように膝をついた。彼が指先で拾い上げたのは、真鍮製のカナリアの羽根を模したストラップだった。リベットが『記者の魂』と呼び、肌身離さず持ち歩いていた大切な品だ。だが、それは今や、巨大な力で踏み潰されたように無残にひしゃげ、泥に汚れ、本来の輝きを失っていた。
「みんなこっち。これは何だろう?」
ロスカの声に、三人は石畳を覗き込んだ。そこには、透明で粘り気のある『滴』が、点々と線を描いて時計塔の外壁へと続いていた。それは太陽の光を浴びて、まるで何かの生き物の粘液のように鈍い光を放っている。
「テツ、解析しろ。……これはオイルじゃないな?明らかに異常だ」
スパナの指示を受け、テツは震える手でポータブルスキャナーを起動させた。投影される波形は、機人が本来持つべき潤滑オイルの組成とは、似ても似つかぬ不規則なパターンを描き出す。
「……信じられません。タンパク質、脂質、それに未知の有機化合物。我々が機械体を維持するために使っているオイルとは、分子構造が根本から異なります。これは……記録にある『生物の体液』……それに限りなく近い、生きた液体です」
「生きた、液体……?」
ロスカの脳裏に、昨夜目撃したボルトの歪な姿、そしてクランクが腕に宿していた疑似筋肉の姿が蘇る。あの脈打つような質感のケーブル。あれが放っていた異様な熱量。
「理事長は不在なんだよな……、この時計塔で一体何が起きているんだ。あの中には、一体何が……」
スパナが時計塔の最上階、理事長室の窓を仰ぎ見た、その時であった。 背後から、幾重にも重なる規則正しい金属の足音が響いた。
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「――そこまでにしておきなさい。君たちの不安は、痛いほど伝わっている」
振り返ると、そこには教頭が立っていた。背後には、顔のない、同じ体格をした、ゼンマイ駆動の量産型『警備ユニット』たちが控えている。彼らは機人のような心や意思を持たず、ただ命令を遂行するためだけに造られた機械人形だ。だが、教頭は彼らを制するように片手を上げ、自らロスカたちの前へ歩み寄った。
その顔には、教え子を心から案じる、深く、そして温かい憂いの色が浮かんでいた。
「教頭先生……。リベットがいなくなったんです。この液体は、一体――」
テツが必死に問う。教頭はリベットの無惨なストラップをそっと見つめると、耐え難い悲しみに耐えるかのように、深く、深く目を伏せた。
「……分かっている。私も昨夜から、彼女の行方を必死に探しているのだ。本来ならば、理事長が指揮を執り、全学を挙げて調査すべき事態だが……あいにく、急な公務で、まだ連絡が取れていない。だが、安心してほしい。私が全責任を持って、彼女を必ず君たちの元へ連れ戻す」
教頭は、震えるテツの肩にそっと温かい手を置いた。その手からは、慈愛に満ちた確かな重みが伝わってくる。
「学園の安全を守るのが、我々教師の務めだ。君たちのような未来ある生徒を、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。……今は時計塔周辺を封鎖し、専門の捜査を行わせる。君たちは部室へ戻り、心を落ち着かせていなさい。何か分かれば、真っ先に私が君たちに伝えに行く。約束だ」
教頭の言葉は、混乱の渦中にいた生徒たちにとって、暗闇を照らす唯一の希望の灯火のように聞こえた。ロスカたちも、その慈愛に満ちた言葉に、深く心を支えられているような安堵を抱いていた。
「……行きましょう、二人とも。教頭先生を信じるんだ」
ロスカの言葉に、スパナもテツも、沈黙のまま頷いた。
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教頭による暫定的な管理が始まり、学園には束の間の静寂が戻った。だが、ねじ巻きクラブの部室に戻った三人の間には、重苦しい空気が停滞していた。
スパナは無言のまま、作業机の下から大型の解体用工具を取り出し、丁寧に手入れを始めた。その手つきには、いつにない焦燥感が混じっている。
「……部長、本当に待っているつもりですか?」
テツが沈黙を破る。その瞳には、ある種の覚悟が宿っていた。
「教頭先生はああ言ってくれたけど、ただ待っているなんて僕たちらしくない……。先生が学園の騒ぎを鎮めてくれている間に、僕たちでリベットを救い出すんです。やりたいことは、他人の手を借りずに自分たちでやり遂げる。それが、ねじ巻きクラブのやり方じゃないんですか!」
スパナは工具の手入れをする手を止め、窓の外の時計塔を睨みつけた。
「ハッ、言ってくれるじゃねえか。……そうだよな、お前カレー以外でもそんなに熱くなることがあるんだな」
スパナは不敵な笑みを浮かべると、使い込まれた大型のモンキースパナをカチャリと肩に担ぎ上げた。その瞳には、かつての相棒が見せていたような、危険で、それでいて頼もしい光が宿っている。
「いいぜ、お前がそこまで言うなら、とことん付き合ってやるよ!」
「……ありがとうございます、部長」
テツが小さく頷き、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「でも、理事長は公務で不在なはずだよね……。テツ、もう一度だけ確認してくれないか」
ロスカの問いかけに、テツは無言で端末を操作し、時計塔方面の監視ログを再走査した。やがて、その指がピタリと止まる。
「……おかしい。時計塔の最上階、理事長室の付近から、依然としてあの銀のコインと同じ周波数の反応が出ています。誰かが……何かが、あそこに潜んでいるんだ。理事長は不在だというのに」
「理事長は公務と偽って、部屋の中で何かをしているのかもしれない。あるいは……」
三人は、夜の帳が降りるのを待ち、再び闇に沈んだ学園へと駆け出した。
警備ユニットの巡回ルートを回避し、倉庫の奥の汚れたダクトを這い進む。辿り着いた理事長室の扉の前は、不自然なほど静まり返っていた。
「理事長! いないんですか!? 開けてください!」
スパナが重厚な扉を力任せに叩くが、返事はない。だが、扉の隙間からは、甘ったるい、錆びた鉄のような独特の匂いが、夜の冷気に混じって漂ってくる。
「……テツ、中の様子はどうだ?」
「……。熱源反応、非常に不規則です。機人のコアが放つ一定の熱ではありません。もっと低くて……うごめくような熱の塊が、部屋のいたるところで蠢いています。……理事長という個体の反応は、感知できません」
「誰もいないはずの部屋で、何が動いてやがるんだ……」
スパナが扉の取っ手に手をかけ、渾身の力で回す。だが、扉は内側の強固な物理ロックによって、びくともしない。
「……理事長は公務と偽って、この中で一体何を隠してやがるんだ。どっちにしろ、この扉の向こうに『答え』があるはずだ」
スパナが工具を扉の隙間に差し込み、こじ開けようとした、その瞬間であった。
――ガガ、ガギギギギギギッ!
突如、時計塔の頂上から、巨大な金属が引きちぎられるような衝撃音が轟いた。
最上階の美しいステンドグラスが、内側からの圧力に耐えかねたように粉々に砕け散り、闇夜に舞った。その破片に混じって、月光の下、何か『白く、長いもの』が、夜空に向かって蛇のようにのたうちながら伸びていくのをロスカは目撃した。
「……あれは、何だ……?」
理事長室の中から聞こえてきたのは、人の叫び声でも、機械の稼働音でもない。 どこか滑らかで湿った、生理的な嫌悪感を誘う『呼吸音』だった。
ロスカの脳裏に、戦慄すべき想像が閃く。理事長は、公務などに出かけてはいない。 彼はこの部屋に潜み……禁忌の実験の果てに、リベットを何かおぞましい怪物へと『作り変えて』しまったのではないか。
昨日まで平穏だった学園の頂で、今、何かが致命的な変貌を遂げようとしていた。
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