高天の歯車、空虚な王座
学園の中央にそびえ立つ時計塔は、中機校における『秩序』そのものだった。
白亜の石造りの外装に、重厚な真鍮の装飾が施された巨大な文字盤。それは一分の狂いもなく時を刻み、生徒たちに規律を強いる。最上層には理事長室があり、学園で最も静かで、最も侵しがたい聖域として知られていた。
だが、放課後の夕闇が忍び寄る『ねじ巻きクラブ』の部室では、その静謐な象徴が、全く別の顔を見せ始めていた。
「――垂直方向。つまり、真上です」
テツが、憔悴した顔で投影モニターを指し示した。紫色の光を放つあの銀のコインから、細い糸のような波形が伸びている。それは校舎の床を突き抜け、空を指し、その先にある時計塔の頂上を明確に射抜いていた。
「時計塔……。理事長室がある、あの場所か」
スパナは愛用の工具を回す手を止め、鋭い視線を窓の外に向けた。夕日に照らされた時計塔は、今はまだ何も知らぬ顔で沈黙を守っている。
「ええ。発信周期を逆算した結果、コインは時計塔の最上部にある『心臓部』と同期しています。……部長、嫌な予感がします。ボルトがさっき付けていた、あの出所不明のパーツ。あれに使われていた特殊な超硬質ボルト、あれは時計塔のメインフレーム専用の特注品ですよ」
「……なるほどな。アイツ、あのゴミ溜めの倉庫から、時計塔の管理区域に通じる搬送ダクトに潜り込んでやがったのか」
スパナは不敵に、だがどこか忌々しげに吐き捨てた。
「あの場所は理事長直轄の管理区域だ。本来なら、ネズミ一匹入り込めないはずの場所から『極上のジャンク』が落ちてくる……。ボルトはただのパーツマニアだが、そのゴミを捨てている主が誰か、確かめる必要がありそうだな。――行くぞ、ロスカ、テツ」
「……はい、部長。理事長室の上がどうなっているのか、正直……少し見てみたいです」
ロスカは、自分の右手が微かに震えているのに気づいた。それは恐怖ではなく、あのコインに触れた時から続く、不気味な「共鳴」のせいだった。
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同じ頃。新聞部の部室では、リベットが震える手で一本の真鍮製の古びた鍵を握りしめていた。目の前には、影のように椅子に深く腰掛けた部長が、眼鏡の奥から彼女を見つめている。
「いいかい、リベット。君が昨日撮ったあの写真は、単なる生徒の痴話喧嘩ではない。もっと大きな……学園を根底から覆す『禁忌の実験』の断片なんだ」
「実験……ですか? ロスカたちが?」
部長はもっともらしく頷き、机の上にいくつかの盗撮写真を並べた。そこには、夜な夜な廃棄物集積所(倉庫)で、出所不明のパーツを自らに組み込むボルトの姿があった。
「……リベット、最近二年機のボルトという生徒が、見るに堪えない姿で校内を徘徊しているのは知っているね? 彼は廃棄物集積所に投棄された、出所の怪しい『部品』を拾って自らを改造しているという噂だ。だが、問題はその部品の質だよ」
「部品の……質?」
「ああ。私の情報網によれば、彼が拾っているのは、既存のメーカーの型番すら刻まれていない……我々が普段利用する外付けパーツとは全く質感のが異なる金属片らしい。そして、その『ゴミ』が捨てられる時間は、決まって時計塔のダクトが清掃される時刻と一致している」
部長は眼鏡のブリッジを押し上げ、声を潜めた。
「理事長は、学園の最高権威という立場を利用して、どこか外部の不透明な機関から『禁忌の技術』を買い取っている可能性がある。……ボルトが拾っているのは、その実験の過程で出た、口外できない廃棄物だ。ロスカという生徒が急激な変調を見せているのも、あるいはその技術の『試作品』として、何らかの接触を受けているからかもしれない」
リベットの喉が鳴った。部長の言葉は飛躍しているようにも聞こえたが、目の前の『合鍵』と部長の真剣な眼差しが、彼女の疑念を野心へと塗り替えていく。
「この鍵を使えば、理事長室の裏手にある廃棄ダクトの点検口が開く。そこを遡れば、理事長が隠そうとしている『証拠』に辿り着けるはずだ。……君ならできるだろう? 私が最も信頼する記者、リベット君。真実を白日の下に晒すんだ」
「……やります。私が、この学園の化けの皮を剥いでみせます!」
自尊心を煽られたリベットは、部長自身の言葉を鵜吞みにして揚々と部室を飛び出した。
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廃棄部品集積所の倉庫から続く、メンテナンス用の狭いダクトを這い進み、ロスカたちはついに時計塔の内部――巨大な機械室へと足を踏み入れた。
――ズ、ゥゥン。
外側からは想像もつかない、重厚な地響きが三人のフレームを揺らした。
数メートルはあろうかという巨大な歯車が噛み合い、真鍮のシャフトが呻きを上げながら回転している。それは時計を動かすための機構というより、何か巨大な『生き物』の消化器官を思わせる、禍々しいまでの機能美だった。
「……ひどい音ですね。外からは、あんなに静かに見えるのに」
ロスカの呟きに、テツがセンサーを周囲に走らせながら答える。
「遮音材が幾重にも張り巡らされています。……いえ、これは音を消すためというより、内部の『異常な振動』を外に漏らさないための設計です」
「見ろ。お目当ての『鉄屑中毒者』がいたぞ」
スパナが顎で示した先、巨大な脱進機の影に、ボルトの姿があった。
彼は時計塔のメインシャフトから火花を散らしながら、剥き出しの配線を自らのクローに巻き付けていた。その姿は以前にも増して歪で、肩の排熱ファンは異様な回転数で悲鳴を上げている。
「ヒヒッ! ジャンク・ドクター、また会ったね! 見てなよ、この時計塔は最高の宝箱だ。上にある理事長室のダクトから、見たこともないようなパーツがボロボロ降ってくるんだ!」
「ボルト、お前……その腕に巻いているコードは何だ」
スパナの声が鋭くなる。ボルトが誇らしげに掲げた腕には、金属の柔軟性を超えた、まるで『筋肉』のように脈打つ銀色のケーブルが絡みついていた。
「さあね! でも、これをつなぐと頭の中の回路が焼けるように熱くなって、最高に『自由』な気分になれるんだ。理事長はバカだよ、こんな最高なものをゴミとして捨てちゃうんだからさ!」
ボルトは虚ろな瞳で笑い、再び作業に没頭した。彼は知らないのだ。自分が拾っているものが、誰かの意志によって意図的に流されている餌であることに。
「……最悪だな」
スパナは腰のスパナを強く握りしめた。
「理事長は、この狂った実験の残骸を隠蔽するためにダクトに流し、それをボルトに処分させている……。アイツ、あの椅子に座って、生徒をなんだと思っていやがる」
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同時刻。リベットはボルトのいる機械室よりもさらに上、理事長の私室へと繋がる点検歩廊(メンテナンス通路)に辿り着いていた。
渡された真鍮の鍵で小さなハッチを回し開けると、そこは巨大な時計の文字盤の裏側を縫うように走る、人一人がようやく通れるほどの狭い金属通路だった。
(ここが、理事長室の真裏……。静かすぎて、自分のギアの音がうるさく感じるわ)
足元の金属板は冷たく、壁の隙間からは隣接する理事長室の豪華な絨毯や、無駄に大きな執務机が、まるで額縁の中の絵画のように覗き見える。表側の平穏な静寂とは対照的に、リベットがいる通路側は、油の匂いと古びた真鍮の冷気が澱んでいた。
「……おかしいわね。何もないじゃない」
隙間から部屋を覗き込み、決定的な証拠を探して落胆したリベットが引き返そうとした、その時だった。
天井の錆びた配管の隙間から、何かが「ピチャリ」と落ちた。
リベットの手の甲に、透明で粘り気のある滴が付着する。
彼女は反射的に、それを拭おうとして動きを止めた。その滴からは、機人のオイルにはありえない、甘ったるい、鉄の匂いが漂っていたからだ。
「……え?」
見上げると、通路の低い天井の隙間から、その『滴』が糸を引くようにいくつも垂れ下がっていた。それはまるで、巨大な怪物の涎のようだった。
――カチャリ。
背後で、ハッチが音もなく閉まった。
それと同時に、リベットの通信端末から激しいノイズが走り、部長との通信が途絶した。
「部長? ……部長! 冗談はやめてください! 出して、ここから出して!」
暗闇の中で、ボルトが発していたような機械音とは決定的に異なる、滑らかで、湿った『呼吸音』が響いた。
リベットの光学レンズが、通路の奥で蠢く、機人の体には存在しない『肉の色をした触手』を捉える。
「あ……ああ……あああああああッ!」
断末魔の悲鳴が、夜の空を告げる時計塔の重厚な鐘の音に、無慈悲に掻き消された。
翌朝。時計塔の下には、リベットがいつも鞄に付けていた『黄色い羽根のストラップ』だけが、無残に踏み潰された状態で落ちていた。
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