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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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不協和音と極静音の転入生

 教室の引き戸を開けると、むっとするような油の匂いと、幾重にも重なる金属音が僕を包み込んだ。ガシャガシャ、チッチッ、ウィーン。クラスメイトたちが動くたびに発する駆動音の不協和音。これが僕ら中械校ちゅうかいこうの日常だ。僕は自分の席――窓際の後ろから二番目――に鞄を置き、椅子の座面にお尻の装甲を沈めた。硬い素材同士が触れ合い、カツンと乾いた音がする。


 一時間目の科目は『人間史』。担当はピストン先生だ。彼はその名の通り、感情が高ぶると肩口にある排気シリンダーが激しく上下する、かなり旧式の構造をした教師だった。キィ、キィ、と黒板にチョークを走らせる音が神経に障る。


 『人間:有機生命体。非効率なエネルギー変換と、排他的な闘争本能』


 先生が書きなぐった文字を見ながら、僕は頬杖をついた。


 「いいかー、お前たち。よく聞け」


 ピストン先生が振り返ると、教室中にシューッという蒸気の音が響いた。


 「かつてこの地上を支配していた『人間』という創造主たちは、非常に不合理な設計をしていた。彼らの体は水分とタンパク質という、極めて脆弱な有機物で構成されていたのだ。叩けば傷つき、赤い液体が漏れ出す。その上、彼らは『食事』と称して、他の有機物を大量に摂取し、体内で燃焼させねば動くことすらできなかった」


 クラスのあちこちから、嘲笑のような排気音が漏れる。


 「燃費、悪すぎだろ」


 「俺らなんて、週一で鉄くず食うだけでも大丈夫なのにな」


 前の席に座る生徒が、自分の腕のボルトをスパナで締め直しながら軽口を叩いた。


 「静粛に!」


 先生が教卓を金属の手で叩く。ガアン、と大きな音がしてチョークの粉が舞った。


 「だが、彼らの最大の欠陥は肉体ではない。『心』の制御システムだ。彼らは資源を奪い合い、思想の違いで殺し合い、ついには自らが作った兵器でこの空を汚染し、滅びた。……いいか、我々機人きじんが彼らより優れている点はここだ。我々はねじ巻きという『制限』を持つことで、互いに支え合い、生まれ持って無駄な争いを避ける仕組みとなっている」


 僕はあくびを噛み殺し、窓の外へ視線を逃がした。先生の言うことは教科書通りだ。僕らは合理的で、頑丈で、平和的だ。でも、本当にそうだろうか。校庭の隅には、風雨にさらされて赤茶色に変色した機人の残骸――かつての校長先生だったモノ――が、今日もじっと空を見上げている。


 人間は『死』ぬ。僕らは『止』まる。そして『錆』びる。言葉は違うけれど、終わりがあることに変わりはない。僕の左手首の装甲には、小さな傷がある。先月、転んだ時についたものだ。痛みはないが、そこから少しずつ酸化が始まっているのがわかる。毎日オイルを塗っているけれど、茶色いシミは消えない。僕らは生まれた瞬間から、ゆっくりと死に向かって錆び続けている。


 この教室に満ちている賑やかな駆動音も、いつかは全て静寂に変わるのだ。そう思うと、胸の奥のぜんまいが少しだけ重くなったような気がした。


 (……退屈だ。そして、少し怖い)


 思考が暗い方へ沈みかけた、その時だった。教室の入り口の扉が、ガララと開いた。



 現れたのは教頭先生だった。いつもなら生徒を叱りつけるために顔を出す彼が、今日は妙に畏まった様子で手招きをしている。


 「授業中にすまん。転入生の手続きで手間取ってな」


 教頭の言葉に、教室中の視線が入り口に集まる。ピストン先生がシリンダーをプシューと鳴らした。


 「ほう、この時期にかね? 入れ」


 一歩、その生徒が教室に足を踏み入れた瞬間。僕は奇妙な感覚に襲われた。騒がしい教室の駆動音の合間に、彼女から発せられるべき『個体の音』が、ほとんど聞こえないのだ。僕らが動く時に必ず発する微細な機械音――関節の擦れる音、歯車の回る音、排気音――が、彼女からは深い雪が音を吸い込んだような、無音に近い静けさとしてしか感じられなかった。まるで、高性能な防音材で覆われているかのように。


 「コハクだ。隣町の中械校から転校してきた」


 教壇に立ったのは、一人のメネ(女子)だった。教室の空気が、一瞬で変わった。ざわめきが波が引くように消え、全員がその姿に見入った。彼女は、圧倒的に精巧だった。彼女の全身を覆う装甲は、継ぎ目が肉眼では確認できないほど滑らかだった。まるで水銀をそのまま人型に固めたかのような流線型。


 光の加減で青白く輝くその素材は、僕らが持つブリキや鉄とは一線を画す、希少な合金レアメタルを含んでいるのが明らかだった。これは生まれつきの素体の質の差だ。髪にあたる部分は、驚くほど細い無数の光ファイバーと銀線で構成されており、彼女が首を傾げるたびに、サラサラと微かな音を立てて光を弾いた。


 しかし何より異質だったのは、その瞳だ。僕らの目はガラスレンズと絞りでできているが、彼女の瞳孔の奥には、複雑な幾何学模様が浮かぶ深い蒼色が灯っていた。


 「……コハクです。よろしくお願いします」


 発せられた声もまた、ノイズの一切ない純粋な音波だった。クラスの男子連中が、一斉に色めき立ったのがわかった。


 「おい、見ろよあの装甲。素体の質が違うぞ。すげえ滑らかさだ」


 「どうしたらあんなに精密に生まれてこれるんだ?まるで芸術品だ」


 隣のギアも、口を半開きにして目を見開いている。


 「うわあ……。駆動音もほとんど聞こえねえ。どんだけ軸と歯車の調整が完璧なんだよ。」


 コハクは周囲の反応など気にする様子もなく、ただ淡々と教壇に立っていた。その孤高な佇まいは、彼女自身がこの空間における異物であることを自覚しているようだった。先生に促され、彼女が顔を上げた時だ。ふと、その蒼いレンズが、教室をスキャンするように動き、そして一瞬だけ僕の方を向いた気がした。


 その瞬間。ドクン。僕の胸の奥、メインスプリングのさらに奥底で、今まで聞いたことのない音がした。ぜんまいが強く弾けたような、あるいは、錆びついた扉を無理やりこじ開けたような衝撃。そして、それに呼応するように――


 「……っ、熱ッ!?」


 僕は思わず小さな悲鳴を上げ、背中に手を回した。痛い。いや、熱い。肩甲骨の間にある『ねじ穴』の奥が、急激に熱を持ち始めたのだ。まるで、体内の炉心が暴走して、そこ一点に熱を集中させているかのように。何かが、内側から外側へ、激しく押し出そうとしている感覚。


 「おいロスカ、どうした?急に大声出して。油切れか?」


 ギアが驚いて僕を見る。


 「い、いや……なんでもない。ちょっと背中がつって」


 僕は脂汗を流しながら、必死に平静を装った。背中の熱は引くどころか、ドクンドクンと脈打ち、僕の思考を焼き尽くそうとしていた。まさか。まさか、これが。


 (これが……「軸」の兆候だって言うのか?)


 僕は信じられない思いで、教壇のコハクを見た。まだ一言も交わしていない。名前を知っただけだ。それなのに、僕の体は僕の理性を飛び越えて、彼女という存在に勝手に反応している。彼女は一番後ろの空いている席――僕の席から通路を挟んで斜め後ろ――に向かって歩き出した。彼女が僕の横を通り過ぎる瞬間、ふわりと香りがした。それは鉄や油の匂いではない。雨上がりのオゾンと、冷たく澄んだ冬の朝のような、清潔で鋭い香り。


 彼女は席に着くと、教科書を開き、静かに前を向いた。その背中はあまりにも完成されていて、誰の侵入も、誰の鍵も受け付けないような拒絶のオーラを纏っていた。


 窓の外では、陽光が校庭の錆びたモニュメントを照らしている。僕の背中の熱は、微熱のようにくすぶり続けていた。退屈だった『肉の時代』の授業は終わり、僕らの『ねじ巻きの青春』において、最も残酷で美しい歯車が、今まさに回り始めたのだ。

読んでいただきありがとうございます。


皆様の率直な感想や「ここが好き!」、「ここがイヤ!」、「こんな展開にしてほしい」など、何でも結構です。レビューをいただけると、画面の前で飛び上がって喜びます。


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