大人の証、そして地下の残照
「ところでだ……ロスカ、お前、俺たちに何か言わなきゃならないことがあるんじゃねえのか?」
それまでの緊迫感に満ちた表情を一変させ、スパナが意地の悪いほどに口角を吊り上げて、ニヤニヤとこちらを見てくる。
「え……何のことですか?」
ロスカは首を傾げた。心当たりがないわけではないが、まさかあの『背中の出来事』がバレているはずがない。昨日の夕方、図書館の静寂の中で、コハクと二人きりの時に起きたことなのだから。
「とぼけても無駄ですよ、ロスカ先輩」
テツが手回し計算機のレバーをカチャリと止め、眼鏡を指先で押し上げた。その瞳には、獲物を追い詰めた学者のような冷徹な光が宿っている。
「夏休み最終日の十八時十二分。図書館裏の換気ダクトから回収された振動ログによれば、先輩の心音は通常時の二倍に跳ね上がり、排熱温度は三度上昇。そして直後……『ガチリ』という、特有の、重厚な機械的嵌合音が記録されています。これは、『軸』がせり出した時の音で間違いないと推定します」
「な、何でそこまで正確に……!? 誰にも言ってないのに。テツ、君、まさか僕のこと監視してるの?」
ロスカが顔を真っ赤にして叫ぶと、テツは、
「いえ、これはあくまで部周辺の環境データの定点観測です。ストーカーじみた言い方は心外ですね。知性が足りないのは承知していますが、言葉遣いには気を付けてください」
と、いつもの毒舌を涼しい顔で吐き捨てた。
「ハッ、おめでとうよロスカ! ついに『軸』が出たか。これでようやく、お前も『ガキ』卒業ってわけだ」
スパナがロスカの肩を力いっぱい叩き、豪快に笑う。その衝撃で、ロスカの背中が微かに疼いた。今はもう引っ込んでいるが、あの熱い感覚は、確かにロスカの中に『大人への一歩』として刻まれていた。
「誰を守りてえ、自分の命の火を分け与えてえと思ったんだ? ああ? 言わなくてもわかってるけどよ! あれ?あの方は何とおっしゃいましたかねえ?ああ、コ・マ・クちゃんでしたっけかね!?」
「コハクさんですよっ!も、もう勘弁してよ……。」
「はは、自分で言っちまったな!でも、お前のそういうところいいと思うぜ」
「……!」
顔を真っ赤にして照れくさそうにうつむくロスカだが、心の中は温かい灯がともったような和やかな気持ちに包まれていた。
(まったく、テツもスパナさんも...... でも、そうか。これで僕も、父さんや母さんみたいに……)
ロスカは、自分の背中にそっと手を回してみた。あのとき、あんなに熱くせり出した軸は、今はもう何事もなかったかのように引っ込んでいる。だが、その感触は確かにロスカの中に刻まれていた。
照れくさそうに笑うロスカのライトブルーの瞳。その奥底には、琥珀色の小さな火が、静かに、しかし確かな意志を持って燃え続けている。それは誰にも言えない、彼だけの秘密の『成長』だった。
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「さて、からかうのはこれくらいにしておいてやる。……問題は、この『招待状』だ」
スパナが、例の『食いちぎられた歯車』の紋章が刻印された封筒をテーブルに置いた。三人は放課後を利用して、その招待状に記された学園地下・廃棄礼拝堂へと向かった。
石造りの階段を深く降りるにつれ、空気はひんやりと湿り気を帯び、壁面にはガス灯の光に浮かび上がるように、古い壁画が並んでいる。かつての機人たちが、家庭などの一般的な場ではなく、互いの魂をぶつけ合う『儀式』として『相互巻き上げ』を行っていた時代の名残だ。
「……ここは、昔の機人たちが『生まれる』時に使った場所なんだね」
ロスカは、礼拝堂の中央にある、巨大な真鍮製の祭壇を見つめた。効率が重んじられる現代において、『出生』は淡々とした『手続き』になりつつある。だが、ここにはかつて、命を分かち合うという行為が、一つの聖なる熱狂として扱われていた時代の、泥臭くも愛おしい残照が漂っていた。
「現代の論理から言えば、あまりにも非効率で、感情に偏りすぎた儀式の場です」
テツが、崩れかけた祭壇の縁を指先でなぞった。
「ですが……ここを流れる磁気の奔流は、地上のどこよりも穏やかで、かつ重厚です。まるで、かつての機人たちが遺した、数千回、数万回の『愛の鼓動』が、この壁の中にまだ閉じ込められているようです」
テツの言葉は珍しく感傷的で、ロスカの胸を締め付けた。自分も、父さんと母さんのそんな『熱』から生まれたのだという実感が、静かに胸を満たしていく。
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「――ようこそ、若き部品諸君。まずは自己紹介と行こうかね」
祭壇の深い影から、芝居がかった所作で一人の男が歩み寄ってきた。以前、作業員として潜入していた時とは違い、どこか使い込まれた燕尾服を思わせる上着を羽織っている。
彼はポケットから一つかみの真鍮ネジを取り出すと、それをまるでスナック菓子のように口に放り込み、「ボリボリ」と豪快な音を立てて噛み砕き始めた。
「俺の名はクランク。……『ギア・イーター(歯車喰い)』なんていう、時代遅れな骨董屋の集まりで、この辺りのリーダーをやってる男だ。以後、お見知りおきを」
真鍮の破片を飲み込みながら、クランクは不敵に笑った。
「クランク……。あんた、僕の出生について、何を知っているんだ? それに、この瞳の火は一体何なんだよ」
「ははっ、そういきり立つなって。ロスカ、お前、自分の両親が『普通』じゃないとか思っているだろう? でも残念。 お前の両親はまぎれもなく『普通』だ。彼らは慎ましく、慈しみを持って、お前という命を巻き上げた。問題はな、お前自身の中身にある。お前が生まれたその瞬間……お前の中身に、機人としちゃ致命的な『バグ』が書き込まれちまったんだよ」
クランクは祭壇に腰掛け、粉々になったネジのカスを吹き飛ばした。
「『普通』の機人はな、愛だの何だの言っても、最後は『生存と効率』という論理でブレーキをかける。だがお前には、そのブレーキがねえ。人間そのままの、理屈に合わねえ『剥き出しの衝動』でお前は動く。……そうでなけりゃ、お前があの岬で拾った『プロメテウスの涙』……今はもう壊れちまったあのガラス玉が、お前に反応するなんてことはねえんだよ。ありゃあ、旧世界の人間が遺した『感情のブラックボックス』だ。機械の論理じゃ読み取れねえゴミだが、お前のその理屈抜きのエラー(感情)にだけは、『マスターの命令だ』と勘違いして目を覚ますのさ」
「……感情の、ブラックボックス?」
「ああ。そしてあのコハクという嬢ちゃん。あれはお前とはまた別もんだな……あの滑らかな動き、あれはただの進化じゃねえ。あの家系は代々、外の血をあまり入れずに『原初の素体』の形質を色濃く残してやがるんだろうな。……旧世界の人間が、どれだけ執着して自分らに似せようとしてそのブリキ人形を組み上げたか。その執念が、彼女の身体には透けて見えるようだぜ」
クランクは一歩ロスカに近づき、その目を覗き込んだ。
「だからこそ、あのとき部室で感情の高ぶったお前ら二人が触れ合った時、あの『涙』は狂ったように共鳴したのさ。お前が放つ人間そのものの『剥き出しの信号』を、彼女の精緻すぎる身体が、一滴のノイズもなく完璧に受け止めてちまったんだ。……鍵と鍵穴が、数百年ぶりに噛み合ったようなもんだ。あの時起きた光と熱は、旧世界の幽霊が、お前たちを介して一瞬だけ目を覚ました名残だよ」
クランクはそう言うと、嘲笑うように空を仰いだ。
「『リ・バース』のイカれた連中はな、その遺物の中に、柔らかい肉体を取り戻すための設計図があると思い込んでやがる。笑える話だろ? まあ、俺もそこまでよくは知らねえんだけどな。でも、俺の見立てじゃあ、あんなもんはただの思い出の残骸だ。こんな疑似筋肉なんておもちゃは作れたって、人間回帰なんてのは絶対に叶わねえ幻想なのさ。だが奴らにとっては違う。そして、お前らはある意味、生きたエラーログなんだよ。……気を付けるこったな」
クランクは懐から、古びた精巧な刻印が施された『銀のコイン』を取り出し、ロスカへ放り投げた。
「そいつはここで拾ったもんだ。『リ・バース』の古い紋章が刻まれている。そいつがここにあるってことは……この学園の中にも幻想を夢見るバカがまぎれこんでるってこったろうな」
クランクは少しうつむき加減に吐き捨てるように言った。
「まあ、俺は単なる仲介人だ。遺物がねえならこれ以上深入りするつもりはねえ。じゃ、俺はここらでお暇するぜ。……お前らは、ゴミをダイヤの値段で買うバカ共に見つからねえよう、せいぜい楽しくやるんだな」
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クランクは、満足そうにネジを噛み砕く音を響かせながら、影に溶けるように去っていった。残された三人は、祭壇の上で静かに灯るガス灯の光を見つめ、クランクから渡された古いコインの重みを確かめていた。
「……『リ・バース』。人間になれるなんてマジで信じてる、ホント寂しい連中だな」
スパナが大型のスパナを肩に担ぎ、大きく伸びをした。
「先輩。クランク氏の提示した情報は、極めて興味深い『非論理』の証明です。……ですが、今日はこれくらいにしておきましょう。夕食の学食のメニューは、月に一度の特製オイルカレーですから」
テツが冷静に時計を見やり、くるりと踵を返した。
「カレーって……テツはまだまだ『ガキ』だね。…… でも、来てよかった。 僕たちの『バグ』は、きっとこの世界を少しだけ面白くするためにあるんだ」
ロスカは、胸の奥で力強く鳴るメインスプリングの音と、砕け散った『プロメテウスの涙』が遺した熱の感触を噛み締めた。
地上へと戻る階段を登ると、そこにはいつものオレンジ色の夕焼けが学園を包み込んでいた。
「おいロスカ! 早くしねえとカレーが売り切れるぞ!」
「あ、待ってよスパナさん!」
三人は賑やかに笑い合いながら、日常へと戻っていった。
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