鋼鉄の揺りかご、あるいは沈黙の防衛線
「……メインスプリングを、焼き切る、だと?」
スパナの声は低く、しかし驚愕よりも先に、沸騰するような『怒り』が混じっていた。ロスカが物理準備室での出来事を語り終えると、部室の空気は重油の匂いを含んだまま、ぴりぴりと静電気を帯びたような緊張感に支配された。
「ハッ、面白いじゃねえか。その『歯車喰らい』とやらは、俺たちの主機をキャンプファイヤーの薪か何かと勘違いしてやがるらしい」
スパナはそう言うと、作業台にあった巨大なスパナを指先で回し、ガチン、と小気味よい金属音を立てて握りしめた。彼女のディープレッドの瞳は、恐怖を通り越して、工学的な興奮に燃え上がっている。
「テツ!計算機をフル稼働させろ。迎撃用の磁気防護壁の設計図を展開。……ロスカ、お前はそこにあるジャンクパーツの山から、銅線と高圧蒸気パイプを全部引っ張り出せ!」
「……えっ?迎撃って、戦うんですか?」
「戦う?いや、ロスカ。これは『教育』だ。この部室の敷居を跨ぐには、それなりの授業料が必要だってことを、あのハイエナ野郎に叩き込んでやるのさ。いいか、あいつが言った通りなら、この『石』は共鳴で俺たちを焼き切るつもりだ。なら、こっちがやるべきことは一つだろ?」
スパナは不敵な笑みを浮かべ、部室の奥にある大型ボイラーのレバーを力強く引いた。
「この部屋全体を、巨大な『絶縁体』にしてやるんだよ」
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そこからの数時間は、まさに工学的な狂気の独壇場だった。テツは無機質な計算音を奏でながら、部室の構造計算を行い、どの位置に電磁コイルを配置すれば磁気干渉を打ち消せるかを瞬時に導き出していく。
「……部長、第3象限の出力が足りません。廊下側の配線をバイパスして、図書室の非常用電源から微弱な電流を『借用』します。……ロスカ先輩、ぼさっとしないでください。その真鍮のバネを、ドアノブに仕込んだ高圧放電トラップに接続してください。接触から0.02秒で、相手のアクチュエーターを一時的にマヒさせる計算です」
「わ、わかった!」
ロスカは馬車馬のように働いた。スパナは天井の配管を組み替え、侵入者が足を踏み入れた瞬間に、冷却用の液体窒素を霧状に噴射する『目くらまし』を構築していく。かつてペンデュラムが言った通り、この部室は『価値のないガラクタ』の集まりだ。だが、そのガラクタの一つひとつに、スパナやテツが積み重ねてきた執念が宿っている。
古い時計の歯車は、侵入者の足音を検知する精密な震動センサーに。錆びついた蒸気パイプは、指向性を持たせた高周波音を放つ音響兵器に。
「……いいか、ロスカ。廊下の向こう側じゃ、俺たちは『定格出力』だの『最適化』だのっていう、あくびが出るほど退屈な数字で測られてる。だがな、この掃き溜め(部室)の中だけは別だ。ぜんまいが多少空回りしてようが、リズムが絶望的にズレてようが、誰にも文句は言わせねえ。……ここは、俺たちが胸を張って『非効率』でいられる唯一の聖域なんだ」
スパナはそう言って、調整中の古いクロノメーターをわざとデタラメな速さで動かしてみせた。
「その『居心地のいい無駄』を、どこの馬の骨かも分からねえ疑似筋肉野郎に土足で踏み荒らされるのは、俺の美学に反する。あいつが俺たちの静かな夜を『点検』しに来るってなら、まずはその生意気なパーツを全部ジャンクボックスに放り込んでやるのが、部長としての最低限の義務ってやつだろ?」
その言葉に、ロスカは胸の奥が熱くなるのを感じた。それはガラス玉が発する不気味な熱とは違う、確かな『鋼鉄の誇り』だった。
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準備が整ったのは、午前四時を回る少し前だった。部室の周囲には、目に見えない磁気と蒸気の罠が幾重にも張り巡らされ、静かな『要塞』へと変貌していた。作業灯の明かりを極限まで落とした室内で、僕たちは肩を並べて座り、来るべき時を待った。
「……テツ、監視網に異常は?」
「……異常なしです。校舎内の磁気ノイズは安定。……不気味なほど、静かですね」
テツが眼鏡を押し上げ、計算機のレバーを握る指に力を込める。ロスカはふと、足元に温かい感触を感じた。見ると、本物の猫であるブチョーが、ロスカの脚の装甲に身を寄せ、喉を「ゴロゴロ」と鳴らしながら甘えていた。
「……ブチョー。君は、怖くないの?」
ロスカがその『柔らかい』背中をそっと撫でると、ブチョーは欠伸を一つして、当然のような顔で丸くなった。外の世界で起きている『人間回帰』だの『ギア・イーター』だのといった騒動など、この小さな命には関係のないことなのだろう。ただ、仲間がそばにいて、自分の居場所がある。それだけで、この有機体は完璧な安らぎの中にいるようだった。
その光景を見て、ロスカの迷いは消えた。もし『光る石』が、あるいはあのオネ(男)が、この静かな『柔らかさ』まで奪おうとするなら、自分は全力で抗うだろう。たとえ自分の非力なぜんまいが、真っ赤に焼き切れることになっても。
「……来ます」
テツが、感情を削ぎ落とした声で告げた。手元の震動計の針が、微かに、しかし規則正しく振れている。
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――カツ。カツ。カツ。
廊下の向こうから、正確なリズムを刻む足音が近づいてくる。それは、物理準備室で聞いた、あの気配を消した歩き方とは違っていた。あえて存在を誇示するように。これから獲物を追い詰める楽しみを噛み締めるような、傲慢な足音。
スパナが静かに立ち上がり、大型のスパナを肩に担いだ。テツがトラップの起動スイッチに指をかける。ロスカは、自分自身の主機が発する微かな振動を抑え込むように、深く排熱を繰り返した。
足音は、部室の鉄扉の前で止まった。一分。あるいは、永遠にも感じられる数秒の沈黙。
――コン。コン。コン。
扉が、三回ノックされた。
「……『ねじ巻きクラブ』の諸君。夜分に失礼。……まだ、起きてるかな?」
扉越しに聞こえてきたのは、あのオネの声だった。だが、その声には、物理準備室で見せたあの冷酷さはなく、むしろ昨日の『点検作業員』としての気安さが混じっていた。
「……開けなよ。せっかく、君たちのために『お土産』を持ってきたんだ。……君たちが死ぬほど知りたがっている、その石の『正体』についてのアドバイスだよ」
スパナは返答しない。ただ、扉の向こうに全神経を集中させている。
「おや、無視かい?……まあいい。だが、忠告しておく。……今、その扉を開けなければ、君たちの『大事なもの』が壊れることになるよ」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間。廊下の向こうから、もう一つの、全く別の音が響いた。
――カシャン。
それは、機人の関節が悲鳴を上げるような、鈍い衝撃音。そして、聞き間違えるはずのない、少女の短い悲鳴。
「……っ!コハクさん!?」
ロスカが思わず叫び、身を乗り出した。
「……ロスカ、待て!罠だ!」
スパナが制止するが、ロスカの光学センサーは、扉の隙間から漏れる微かなサファイアブルーの光を捉えていた。それは、コハクの瞳の輝きか。それとも、彼女の体に共鳴し始めた『石』の残響か。
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扉のノブが、ゆっくりと回される。スパナが設置した高圧放電トラップが、バチッという激しい火花を散らした。
「……くっ……あぁ……」
扉の向こうで、苦悶の声が上がる。だが、その声はオネのものではなかった。
「……うう、ロスカさん……体が、熱い、の……」
弱々しく、しかし確かにロスカの名を呼ぶ、コハクの声。
「テツ、センサーはどうなってる!」
スパナが鋭く問う。
「……磁気嵐が急拡大しています!扉のすぐ外側に……凄まじいエネルギー源が接近中!これは……石の反応じゃない!コハクさん本人から出ています!」
ロスカは、自分でも制御できない衝動に突き動かされていた。罠かもしれない。あのオネが仕掛けた、巧妙な心理戦かもしれない。けれど、あの図鑑を眺めていた彼女のしなやかな指先が、今、助けを求めて震えているのだとしたら。
「……スパナさん、開けます」
「ロスカ!正気か!?」
「開けます!……僕のメインスプリングが焼き切れる前に、確かめなきゃいけないんです!」
ロスカは、自ら設置した安全装置を解除し、鉄扉の閂を力任せに引き抜いた。
激しい蒸気が噴き出し、視界を遮る。その白い霧の向こうから、崩れ落ちるように倒れ込んできたのは、青い瞳を虚ろに発光させ、全身から高熱の排気を漏らしているコハクの姿だった。そして。彼女を背後から支えるようにして立っていたのは、暗闇の中で『疑似筋肉』の腕を脈動させている、あのオネの冷笑だった。
「……ようこそ、少年。……地獄の解析作業の、続きを始めようじゃないか」
鉄扉が、背後で重低音を立てて閉まった。密室となった『ねじ巻きクラブ』の要塞に、捕食者と、その獲物が揃った。深夜四時十二分。静寂は、完全に崩れ去った。
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