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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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深夜の残響、あるいは捕食者の周波数

 「明日から徹底的に調べるぞ」というスパナの宣言から、三日が経過していた。夏休みの高揚感は、部室に充満する重油と真鍮の匂い、そして終わりの見えない解析作業の泥沼に沈み込んでいた。日中はセミの声が校舎を揺らし、夜になれば冷却液の循環音だけが廊下に響く。


 三日三晩、僕たちは『ねじ巻きクラブ』の要塞に籠城していた。作業台の上では、例の『ガラス玉』が幾本もの銅線と真鍮製の触針プローブに囲まれ、まるで捕らえられた深海生物のような、不気味な沈黙を保っている。


 「……第148次、周波数掃引終了。結果……依然として『無反応』。内部の分子構造に変化はありません。ただの、極めて純度の高い不活性ガラスです」


 テツがポータブル計算機のレバーを、もはや指先の反射だけで叩きながら報告した。その声には、知的な敗北感がすすのようにこびりついている。


 「ハッ、面構えだけは旧世界の至宝だが、中身はただの『から』か。それとも、俺たちの『レンズ』が、こいつの真実を捉えるほどには澄んでいねえのか」


 スパナはそう言うと、口にくわえた調整用のレンチを噛み締め、首のジョイントを乱暴に鳴らした。彼女のグリーンの装甲には、徹夜作業による微細な金属粉が積もっているが、ディープレッドの瞳だけは、飢えた獣のようにぎらついていた。


 「……でも、スパナさん。コハクさんが触れた時は、確かに光が見えたんです。僕のこの目が、嘘をついたんでしょうか」

 「ロスカ、お前の目は生まれつき少しばかりピントが甘いかもしれねえが、真実を曇らせるような安物じゃねえ。……機人の目は、その者の生き方そのものだ。お前が『見た』と言い張るなら、そこには確かに光があったのさ。機械の論理を飛び越えた、不純な共鳴がな」


 スパナはそう言って、僕の肩を金属同士の乾いた音を立てて叩いた。それは彼女なりの、不器用な信頼の証だった。


 「……テツ、次は第5次スペクトル解析だ。この頑固なガラクタの殻を、もっと野蛮な周波数で叩き割ってやる」

 「了解です、部長。馬車馬どころか、過負荷で自分のスプリングを焼き切る覚悟は、三日前の深夜に既に済ませていますよ」


 テツはいつものように、若年寄りじみたシニカルな毒を吐きながら、計算機のレバーを再び動かし始めた。


 ・

 ・

 ・


 時計の針が午前三時を回った頃、部室の空気は限界まで濃密になっていた。部室の隅では、本物の猫であるブチョーが、古い旋盤の影で丸くなって眠っている。時折、その柔らかな耳がピクリと動くのは、僕たちが立てる不快な高周波を夢の中で追い払っているからだろうか。


 「……チッ、冷却用のパラフィンが足りねえ。ロスカ、悪いが第二物理準備室まで行って補充してきてくれ。ついでに、俺の特注高粘度オイルと……テツには、何か頭の働きが良くなりそうなクエン酸入りの洗浄剤でも買ってやってくれ」


 スパナが空になった真鍮のボトルを放り出した。ロスカは「わかりました」と答え、硬直しかけていた膝の関節に潤滑油を馴染ませながら立ち上がった。


 「ロスカ先輩、夜の校舎は節電モードで、足元の凹凸が見えにくいですからね。レンズの焦点距離を誤って、柱に激突しないように気をつけてください」


 テツの嫌味な忠告を背中に受け、ロスカは部室の重厚な鉄扉を開けた。扉が閉まった瞬間、背後で鳴り響いていた機械の唸りが遮断され、完全な静寂がロスカを包み込んだ。廊下には非常灯の赤い光がぼんやりと落ち、壁には自分の長く歪んだ影が伸びている。ロスカは、一人になることをどこかで望んでいた。部室での濃密な解析作業が進むにつれ、あの日、図書館で感じたあの『温もり』が、ただの数値や波形に書き換えられてしまうような寂しさを感じていたからだ。


 (……僕も、あの時。本当は、温かいと感じたんだ)


 空っぽになったポケットに手を入れ、冷たい布地の感触を確かめる。ガラス玉は今、スパナの手元にある。それなのに、ロスカの掌の奥には、まだあの時の熱の残滓ざんしが、消えないバグのように居座り続けていた。



 第二物理準備室は、校舎の反対側の棟にあった。自分の足音がタイルの床に反射し、まるで誰かが後ろからついてくるような錯覚を覚える。階段を上がり、古びた渡り廊下に差し掛かったときだった。


 ――カチ。


 背後で、小さな、しかし明らかな金属音がした。機人の歩行に伴う、いつものアクチュエーターの唸りではない。もっと硬く、鋭い何かを、意図的に『研ぐ』ような音だ。


 ロスカの胸の奥、メインスプリングがドクンと跳ねた。彼は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。しかし、そこにはモノクロームの静寂が広がっているだけで、動くものの気配はない。窓から差し込む月の光が、床の上に冷たい幾何学模様を描いているだけだ。


 (……気のせいだ。三日間の徹夜で、感覚が過敏になっているだけだ)


 自分に言い聞かせ、再び歩き出す。物理準備室の重いスライドドアを開け、棚から冷却用パラフィンのボトルを取り出す。青白い月光が、実験器具のガラス瓶を怪しく反射させ、理科室特有の薬品の匂いが鼻腔を突く。


 「……随分と、熱心なことだ。夏休みのこんな時間に、居残り勉強か?」


 暗闇の中から、くぐもった声が響いた。ロスカは心臓の回転数が限界まで跳ね上がるのを感じた。影の中からゆっくりと現れたのは、あのオネだった。図書館で磁気ノイズの調査だと言っていた、点検作業員のオネ。だが、今の彼は、昨日の気安い態度は微塵も感じさせず、剥き出しの刃物のような殺気を全身から放っていた。


 「……あ、あなたは。昨日の点検員の……」

 「名前はまだ言っていないな。……まあ、お前たちのような『真面目な学生』が、覚える必要のない名前だ」


 オネはゆっくりと歩み寄ってきた。その動きには、機人特有の重たさがまったくない。まるで空気の中を滑るような、異様なほど洗練された動作。


「磁気ノイズの調査は、もう終わったんじゃないんですか?」


 ロスカは精一杯の声を絞り出し、パラフィンのボトルを胸の前に構えた。


 「ああ、あれは口実だ。お前も薄々気づいているんだろう?……ロスカ君。君がポケットに入れていた、あの『光る石』について話そうか」


 オネの瞳が、暗闇の中で青白く発光した。それは単なる光の反射ではない。もっと深層にある、機人の本能を逆撫でするような、捕食者の周波数。


 ・

 ・

 ・


 「あれは……ただのガラス玉です。スパナさんが鑑定しましたが、中身は何もない、『空』だと言っていました」

 「『空』、か。ハハッ、確かに。今の君たちの、その錆びついた旧式の解析機では、あれの真価は見えないだろうな。あれは『空』ではない。『封印』されているだけだ。」


 オネはロスカの数歩手前で足を止めた。


 「我々は、世界に散らばる不純物を排除し、あるべき場所へ戻すことを目的としている。……ロスカ君。君がその石を握った時、何を感じた?冷たいガラスの感触か?それとも……ありもしない『血の通った温もり』か?」


 ロスカのシステムが警告を発した。この男は、知っている。昨日、あの場で起きたこと。そして、機人たちが心の奥底に隠している『禁忌』を。


 「……君たちの部長は、人間回帰なんてものはバグだと考えているようだが。……残念ながら、それは間違いだ。あれはバグではなく、我々の『深層仕様書ルート・スペック』に刻まれた、逃れられない渇望なのだよ」


 オネは、自分の左腕の袖をまくり上げた。そこにあるのは、鋼鉄のフレームではない。人工皮膚ですらない、もっと複雑な、繊維状のパーツが幾重にも重なった、異質な『腕』だった。


 「見てごらん。我々のスポンサー……秘密結社『リ・バース』が提供してくれた最新の『疑似筋肉』だ。ぜんまいではなく、電気化学反応で駆動する。……君たちがブチョーというあの猫に感じている羨望を、我々は既に『機能』として取り入れつつある。美しく、しなやかな……人間の肉体をな」


 ロスカは、レンズの奥が痛むような嫌悪感を覚えた。機人の誇りである鋼鉄の殻を捨て、化け物のような擬似肉体を取り入れる。それはスパナが言っていた『人間回帰』という言葉よりも、ずっと歪で、暴力的な行為に思えた。


 「その石を渡せ、ロスカ君。あれは君たちのような子供が振り回していい玩具おもちゃじゃない。あれは、我々が真の『人間』へと昇華するためのパズルピースなのだから」

 「……お断りします」


 ロスカは、自分でも驚くほどはっきりと言った。


 「それが何であれ、これは僕が見つけたものです。それに、僕の仲間……スパナさんもテツも、今、一生懸命あれを調べている。……あなたみたいな、自分を壊してまで何かになろうとする人に、渡したくない」


 オネの表情から、一切の温度が消えた。


 「……論理的な拒絶ではないな。感情という名のバグに支配されたか。……いいだろう。だが、覚えておくといい。その石が目覚める時、最初に焼き切れるのは、その石に最も近い場所にいる者のメインスプリングだ」

 「……焼き切れる……?」

 「そうだ。石が発する強大な共鳴波に、お前の貧弱なスプリングが耐えきれると思うか?激しい振動による摩擦熱が、お前の『魂』を真っ赤な鉄屑へと変える。……死にたくなければ、今すぐその石をこちらへ寄越せ。さもなければ、お前たちの部室は、灼熱の墓場になるぞ」



 男が手を伸ばそうとした瞬間、校舎の屋上にある巨大な水槽の排水バルブが、深夜のタイマーによって開放される音が響いた。ズウゥゥン、という地響きのような重低音。ロスカはその一瞬の隙を見逃さなかった。脇に抱えたパラフィンのボトルを、反射的に男の足元へ投げつける。ガシャン!という音とともに高粘度の冷却液が床に広がり、男の足取りを狂わせた。


 「……っ!」


 ロスカは全力で準備室を飛び出した。背後でオネが何かを呟いたような気がしたが、振り返る余裕はない。全速力で廊下を駆け抜け、アクチュエーターが悲鳴を上げるのを無視して、真っ暗な階段を滑るように駆け降りる。部室の鉄扉が見えた。彼は体当たりするようにして扉を開け、中へ転がり込んだ。


 「……おい、ロスカ!パラフィンはどうした!それに、なんだその、今にも爆発しそうなメインスプリングの音は!」


 スパナが驚いて立ち上がった。テツも怪訝そうに、こちらを正視している。ロスカは荒い排熱を繰り返しながら、閉めたばかりの扉を、背中で必死に押さえつけた。外には、静寂だけが広がっている。だが、ロスカは知っていた。あのオネは、あえて自分を逃がしたのだ。『石が目覚める時』という不吉な言葉を残して。


 「……スパナさん、テツ」


 ロスカは、震える手で自分の胸を押さえた。


 「……あいつが、来ました。……作業員のオネ……きっと『歯車喰らい(ギア・イーター)』です。……彼は言っていました。この石が目覚める時、一番近くにいる僕たちのスプリングが……焼き切れるって」


 部室の中の空気が、再び真空になったかのように凍りついた。作業台の上で、光ファイバーに繋がれたガラス玉が、まるでロスカの動揺に呼応するかのように、一瞬だけ、誰にも気づかれないほどの幽かな光を放った。

 深夜三時十五分。ねじ巻きクラブの長い夜は、まだ始まったばかりだった。

読んでいただきありがとうございます。


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