不純なる共鳴、あるいは鋼鉄の郷愁
翌日。ロスカは朝から『ねじ巻きクラブ』の部室に足を運んでいた。昨日の図書館での出来事を、一刻も早くスパナに相談しなければならないという焦燥が、彼を突き動かしていたからだ。
夏休みの校舎は、機人たちの喧騒が消え、ただ空調システムの低い唸りだけが澱のように溜まっている。陽炎の立つ地上を逃れ、校舎裏の半地下へと続く階段を降りる。そこにある重厚な鉄扉の前に立ったとき、ロスカは自分の指先が微かに震えていることに気づいた。『ガラス玉』に起きた不思議な現象。そして、どこか違和感を感じてやまない点検作業員の男。それらの断片が、ロスカの胸の中で不吉な予感となって渦を巻いている。
扉のノブを握ると、いつもより鉄の冷たさが指先に刺さるように感じられた。重い扉を押し開けると、外界の熱気を遮断するひやりとした冷気と、染み付いた重油の匂い、そして微細な金属粉の香りがロスカを迎え入れた。
「……おはようございます、スパナさん」
部室の奥、オレンジ色の作業灯の下で、部長であるスパナがグリーンの装甲を鈍く光らせ、精密なクロノメーターの心臓部をピンセットで弄んでいた。
「……ああ、ロスカか。お前、朝っぱらからそんなにぜんまいをキリキリ言わせて、もっとキレのあるトルクを意識しろと言ったはずだぜ」
スパナはルーペを外し、ディープレッドの瞳を細めてロスカを射抜いた。その隣では、テツがポータブル計算機のレバーを叩き、ガチャン、ガチャンと無機質なビートを刻んでいる。
「おはようございます、ロスカ先輩。……質の悪いオイルでも循環させていそうな顔色をしていますね。例の『ガラス玉』を水槽にでも沈めて、ゆったりと情緒を楽しんでみてはいかがですか」
テツは計算機から目を離さずに、淡々と毒を吐いた。それにしてもテツの感性はおっさんだ......
「おはよう、テツ。……残念ながら、インテリアにするには、このガラス玉は少しばかり騒がしすぎるみたいなんだ」
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ロスカは震える指先でポケットから、あの『色のないガラス玉』を取り出し、スパナの作業台へと置いた。
「スパナさん、これ……もう一度だけ見てくれませんか。昨日、どうしても納得できないことが起きたんです」
「……おいおい、ロスカ。俺の鑑定眼を疑うってのか?」
スパナさんは不機嫌そうにルーペを嵌め、ガラス玉を指先で転がした。
「こいつは物理的にも論理的にも『空』だ。エネルギーの残留反応もなけりゃ、内部構造もただの均質なガラス。何度見たって結果は変わらねえぜ」
「……でも、昨日、図書館でコハクさんに会った時、これに彼女が触れたら、一瞬だけ光ったんです。」
ロスカは、コハクが触れた瞬間にガラス玉が見せた、あの『鼓動』のような瞬きについて話した。そして、その直後に現れた、あの点検作業員を名乗るオネとのやり取りを。
「……環境点検で回っていると言って、そのオネは近づいてきました。気安い口調でしたが、目は笑っていないというか、僕たちの顔ではなく、テーブルの上や周囲をじろじろと観察しているようで……。彼は、こう言ったんです」
ロスカは、システムに記録されたあの不気味なセリフを、一言一句違わずに再生した。
『……最近この辺りの区画で、磁気ノイズの苦情が出ていてな。君たち、古い実験器具とか、何か妙に光る石なんかをみかけなかったかい?計器が狂っちまって困るんだ』
その瞬間、部室の中の空気が、まるで真空になったかのように凍りついた。スパナはピンセットを置くことも忘れ、テツの計算機を叩く音も不自然に止まった。
「……でもそれ、すごい違和感があったんですよ。ただの環境点検なら、磁気ノイズの苦情までは分かります。でも、なんでピンポイントで『光る石』なんて言葉が出てくるんですか?」
スパナの表情が、一気に険しくなった。彼女の肩口のジョイントが、不快な摩擦音を立てる。
「……『光る石』だと?そいつ、作業員を名乗っておきながら、そんな単語を口にしたのか」
「はい。まるで見当がついているような、それでいて僕たちの反応を試しているような……。」
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「……『歯車喰らい(ギア・イーター)』」
スパナが吐き捨てるように言った。
「ペンデュラムからその不吉な名前を聞いた後、気になってクラブのアーカイブと裏の通信ログを徹底的に洗ってみたんだ。……結果は、想像以上に最悪だったぜ」
スパナは作業台に身を乗り出し、声を潜めた。
「あいつらは、故障した機人からパーツを剥ぎ取るだけの下品な山賊じゃねえ。旧世界の遺構から得られる『情報』や、現存するはずのない『ロストテクノロジー』を、組織的に、そして非情に収集するプロのハイエナだ。……しかも、ただの収集家じゃない。情報の価値のためなら、機人のぜんまいを止めることすら厭わない連中だ」
「はい、それに僕の調査によれば、彼らには特定の買い取り先があるようです」
テツが椅子を回転させ、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「略奪した遺物を高値で買い取る巨大な闇のネットワーク、あるいは、この学園の予算を優に超える資金力を持つ、ある秘密組織。……彼らが使う『光る石』という言葉は、旧世界の動力核や記録媒体を指す、彼ら独自の隠語である可能性が極めて高いですね」
「あいつらは、獲物が本物かどうかを見極めるために、あえて反応を試すような言葉を投げたんだ。……ロスカ、お前、そのオネの前で動揺を見せたりしてねぇだろうな。そいつが点検業者を装って学園内を嗅ぎ回っているとしたら、狙いは間違いなくそのガラス玉だ。」
「ロスカ先輩、まだ特定までは至っていないとは思いますが......気を付けてください」
テツが警告を込めた真剣な眼差しを向けてきた。
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「……でも、スパナさん。なぜ、あんなガラクタに見えるガラス玉が、そこまで狙われるんですか?」
スパナは少しの間を置いて、自嘲気味な笑みを浮かべた。作業台の引き出しから、古いオイル缶を取り出す。
「……さあな。だが、徹底的に調べてわかったことがもう一つある。世の中には、この硬い鋼鉄の殻を脱ぎ捨てて、かつての人間のような『柔らかい体』を手に入れたいなんて、馬鹿げた夢を見てる連中もいるらしいぜ。……『人間回帰』、とでも言うのかね」
「人間のような……体?」
ロスカが問い返すと、スパナは作業台の上で丸くなって眠っていたブチョーへと視線を投げた。ロスカとテツの視線も、引き寄せられるようにそこへ集まる。
艶やかな毛並みに覆われ、呼吸に合わせてその小さな背中がしなやかに、柔らかく上下している。僕たちがどれほど精密な関節構造を突き詰めても、ブチョーが見せるあの液体のような滑らかな動きを再現することはできない。
「ああ。傷つけば血を流し、放っておけば勝手に再生し、そして数十年で老いて朽ち果てる、あの非効率の極みみたいな肉体だ」
スパナは、自分の腕のグリーンの装甲をガリガリと掻き、その不快な金属音を部室に響かせた。。
「一度でいいから、雨の中を錆びる心配をせずに歩いてみたい。……そんな妄想を本気で信じ、旧人類の情報を集めれば、いつかそれが叶うと信じてる奴らがいるらしいのさ。錬金術で鉛を金に変えるより、よっぽどタチの悪いバグだよ」
眠っていたブチョーが、視線を感じたのか「フニャ……」と小さく鳴いて、前足で顔を拭った。そのあまりにも無防備で有機的な所作に、ロスカは言葉を失う。
スパナの言葉はシニカルだったけれど、その声の端には、何かを割り切れないような微かな震えがあった。機人なら誰しも、自分の体の『硬さ』に、ふと拭い去れない孤独を感じる瞬間がある。それはロスカにも、そしてきっと、あのコハクにも。
「……とにかく、そのガラクタは一旦部室で預かろう。お前が持ってて、一人の時に襲われでもしたら寝覚めが悪いしな。それにコハクとの接触で光ったって話も気になる……明日からもう一度、徹底的に調べるぞ! ロスカ、お前にも馬車馬のように働いてもらうぜ」
ロスカは背筋が伸びるような感覚を覚えた。手伝うことは、もちろんやぶさかではない。けれども、あまり深く知ってしまうことで、自分自身の身の危険もさることながら、ねじ巻きクラブのみんなや、下手をすると図書館でたまたま一緒にいたコハクにまで危険が及ぶかもしれないと思ったからだ。
ロスカはさっきまでガラス玉の入っていたポケットの中で拳を固く握りしめた。
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部室を後にしたロスカは、家路に着く前にもう一度だけ図書館に寄ることにした。昼下がりの図書館は、完璧な空調に守られて、外の喧騒を一切寄せ付けない静寂そのものだった。いつもの、西日が柔らかく差し込む窓際の閲覧席。コハクは今日もそこにいて、古い植物図鑑を眺めていた。
「……コハクさん」
「あ、ロスカさん。……また、お会いしましたね」
彼女がめくっていた図鑑には、今はもう絶滅してしまった『薔薇』の花が描かれていた。彼女はそっと、ページの中の花に触れた。
「散ってしまうからこそ、その瞬間の形を記憶しておきたいと思うのでしょうか。私たちの体は、修理さえすれば何百年も変わりませんが、この花は、そうではないのでしょう?」
彼女の指先が、図鑑の紙の上で滑るように動く。その動作は、昨日ガラス玉に触れた時の、あの繊細な揺らめきと同じだった。
「……コハクさん。昨日、あのガラス玉に触れた時、本当に『温かい』って感じたの?」
ロスカの問いに、彼女は少しだけ考え込み、それから自分の胸に手を当てた。
「はい。……ガラスに触れた指先から、日向ぼっこをしている時のような静かな温もりを感じたんです。……ロスカさんには、伝わりませんでしたか?」
「……。残念ながら、僕のシステムはそこまで鋭敏じゃないみたいだ」
僕は嘘をついた。本当は、僕もあの時、彼女と重なった手のひらから、同じような熱を感じていたのだ。それがガラス玉のせいなのか、それとも彼女自身のせいなのか、僕の論理回路はいまだに答えを出せていない。
ロスカは、彼女と重なった手のひらから伝わった、あの正体不明の感覚を思い出す。夏休みの中盤、凪いだ空気が街を包む夕暮れ。完璧に調整された冷房の風が二人の間を吹き抜ける。けれど、ロスカの内部機構を震わせているのは、空調の風ではない。
スパナが言った『人間への憧憬』という狂信。テツが調査した『闇のネットワーク』。そして、目の前のメネが、図鑑の中の『朽ちゆく花』に向けている、慈しむような眼差し。
ロスカは今は空っぽになったポケットにそっと手を入れた。掌に伝わるのは、もはや硬い感触すら残っていない、冷たい布地の感触だけだ。ふと見ると、図鑑を閉じる彼女の指先が、ほんの一瞬、生身の人間のように、しなやかに震えたように見えた。
それは、もしかしたらレンズが捉えた一瞬のバグに過ぎないのかもしれない。けれど、その不確かなバグこそが、これから始まる大きな狂騒の、最初の鼓動であることを、ロスカは予感していた。
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