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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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13/32

図書館の静寂、ガラスの瞬き

 夏休みの中盤というのは、実に奇妙な時間だ。最初の頃にあった「自由だ!」という蒸気圧のような高揚感はどこへやら、気づけば「今日も暑いな」とオイルをすするだけの、気だるいルーチンワークに変わっている。


 冒険から一夜明けた朝。僕は自宅のベッドで、天井の板目を数えながらそんなことを考えていた。一階からは、母親が家事をするカチャカチャという金属音が聞こえてくる。


 「ロスカ!いつまで寝てるの?夏休みの宿題、半分も終わってないんでしょ!」


 階段の下から響く母親の声は、昨日までの『古代遺跡』や『謎の守護者』とは無縁の、あまりにも日常的で耳の痛い周波数だった。僕は渋々起き上がり、自分のネジをギリリ、と巻き上げた。合宿の過酷な振動でわずかに緩んでいた駆動系だが、とりあえず動く。スパナ先輩の怪しいコーティング剤の効果か、単なる運か。


 リビングに降りると、父親が新聞を広げていた。


 「おや、帰ってきたばかりだというのに、もう出かけるのか」


 父がモノクルの位置を直しながら尋ねてくる。


 「うん。図書館に本を返さないと。延滞したら、二週間貸出禁止になっちゃうからさ。あの司書さん、期限には厳しいんだ」

 「感心だな。若い頃の知的好奇心は、良質なオイルと同じだ。大切にしなさい」


 父は満足そうに頷き、再び市況欄に視線を落とした。僕は苦笑いを噛み殺す。もし僕がポケットの中にある『色のないガラス玉』を取り出し、


 「父さん、これ、昨日の冒険のお土産なんだけど、何の役に立つと思う?」


 と聞いたら、彼はどんな顔をするだろう。おそらく、


 「綺麗なビー玉だな。水槽にでも入れたらどうだ?」


 と気軽に返すに違いない。


 旧世界の記憶を解き明かす鍵? まさか。 僕にあるのは、ただの夏休みの思い出と、未着手の宿題の山だけだ。僕は「行ってきます」と短く告げ、逃げるように玄関のドアを開けた。


 ・

 ・

 ・


 真夏の太陽は、都市全体を巨大な蒸し焼き器に変えようとしていた。石畳から立ち上る陽炎が、遠くの建物の輪郭を歪ませている。通りを行き交う蒸気自動車たちが、暑さに喘ぐように白い排気をプシューと吐き出していた。


 学園へと続く通学路には、人影もまばらだった。大半の学生は、エアコンの効いた涼しい自室でゴロゴロしているか、あるいは市民プールで錆びるのを覚悟で水遊びでもしているのだろう。僕が向かうのは、いつもの学校の図書館だ。そこは知識の宝庫であると同時に、無料で涼めるという、貧乏学生にとってのオアシスでもある。そして何より、そこには『彼女』がいるかもしれない。


 ポケットの中で、指先がガラス玉に触れる。冷たくて硬い、ただの球体。スパナ先輩は「中身が空っぽになったガラクタだ」と断じた。あの地下空間で見せた青白い輝きも、不思議な脈動も、今は微塵も感じられない。だが、僕は捨てることができなかった。これがただのガラス屑だとしても、あの強烈な体験の証拠品であることに変わりはないからだ。


 図書館の重厚な扉を押し開ける。途端に、外界の熱気と喧騒が遮断された。古い紙とインクの匂い。ワックスのかかった床の香り。そして、程よく冷やされた空気が、僕の吸気口を優しく満たした。


 ・

 ・

 ・


 僕の予測は当たっていた。いつもの、西日が柔らかく差し込む窓際の閲覧席。そこに彼女はいた。


 コハク。僕のクラスメイトであり、その静かな佇まいが、まるで図書館の一部であるかのように馴染んでいる少女メネ。彼女は分厚い歴史書をテーブルに広げ、その美しい姿勢を崩さずに活字の海に没頭していた。ページをめくる指先の動きすら、精密な時計仕掛けのように優雅だ。


 僕は足音を忍ばせて近づこうとしたが、彼女の聴覚は僕よりずっと優秀だった。僕が二メートル圏内に入った瞬間、彼女の頭部の内部ギアが「チチッ」と微かな作動音を立てた。


 「……こんにちは、ロスカさん」


 顔を上げた彼女のレンズ(瞳)が、僕を捉えてわずかに絞られる。逆光の中で輝くその瞳は、透き通るようなサファイアブルー。いつ見ても吸い込まれそうなほど綺麗だ。


 「やあ、コハクさん。奇遇だね……なんて、ここにいると思ったけど」

 「ふふ。私の行動パターンは単純ですから。……合宿、お疲れ様でした。無事に帰ってこられたんですね」


 彼女は本を閉じ、穏やかに微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、僕の胸の主ぜんまいが、カチリと音を立てて少しだけ強く巻き上げられた気がした。


 「うん、なんとか五体満足でね。……これ、借りてた本。やっと読み終わったよ」


 僕は持ってきた本をテーブルに置いた。


 「どうでしたか?」

 「正直に言うと、最初の三章で三回くらい寝落ちしたよ。でも、後半の古代遺跡の話は面白かった。……実はさ、今回の合宿で、ちょっと似たような体験をしたんだ」

 「体験?」


 コハクが小首をかしげる。その仕草の可愛らしさに、僕は一瞬、言葉を詰まらせた。


 「……そう、聞いてくれる?」


 僕は隣の椅子を引き、彼女の向かいに腰を下ろした。そして、声を潜めて語り始めた。逆回転する風車のこと。地下で見つけた巨大な空間。そこで出会った、奇妙な自律人形たちのこと。彼女は時折、相槌を打つ代わりに静かに瞬きをし、真剣な表情で僕の話に耳を傾けていた。僕の話す冒険譚は、半分は事実だが、もう半分は彼女に『すげえ』と思われたい一心で、ほんの少し(いや、かなり)ドラマチックに脚色されていたかもしれない。



 「……それで、最後に残ったのが、これなんだ」


 話が一通り終わると、僕は意を決してポケットから例のガラス玉を取り出した。図書館の閲覧机の上、午後の日差しの中に置かれたそれは、どこにでもあるビー玉のように頼りなく転がった。


 「綺麗な……ガラスですね」


 コハクが素直な感想を漏らす。


 「うん。最初はもっと、こう……青白く光っていたような気がするんだけど、今はただの石ころさ。先輩に言わせれば『出がらしの空箱』だって」

 「触れても、いいですか?」

 「もちろん。壊れたりしないよ。たぶん」


 コハクは恐る恐る、その細い指先をガラス玉へと伸ばした。彼女の指が、ガラスの表面に触れた、その瞬間。

 僕の視覚レンズが、奇妙な現象を捉えた。

 コハクの指先が触れたガラス玉の中心で、消えたはずの光が、まるで残り火が風に煽られたように「ポッ」と一度だけ、微かに瞬いたのだ。


 「……あっ」


 コハクが小さく声を上げる。


 「今、光ったよね?」


 僕が身を乗り出すと、彼女は不思議そうにガラス玉を見つめたまま呟いた。


 「……温かい」

 「え?冷たいよね、それ」

 「いいえ、温かいんです。……まるで、懐かしい場所に帰ってきた時のような、胸の奥のぜんまいが緩むような……そんな感じです」


 彼女のサファイアブルーの瞳が、小刻みに揺れている。僕は思わず、彼女の手を覆うようにして、その石に触れてみた。その時、僕の手のひらと彼女の手のひらが重なった。ひんやりとしているはずなのに、そこには確かに、言葉にできない熱があった。


 コハクがハッとして顔を上げる。至近距離で視線が交差する。彼女の頬のあたりで、冷却ファンがわずかに回転数を上げたような音がした。僕自身の排熱系も、明らかに異常値を叩き出しているに違いない。


 「あ、ご、ごめん!」


 僕は反射的に手を引っ込めた。コハクもまた、恥ずかしそうに視線を伏せ、手元の本に指を這わせる。ガラス玉は、今はもう沈黙し、ただの透明な球体としてそこにあった。


 「……不思議ですね」


 コハクがポツリと言った。先ほどの動揺を隠すように、努めていつもの口調を取り戻そうとしている。


 「私、この石に触れた時、なんだか……とても大事なことを思い出しそうになった気がしました。私の記憶装置メモリには、そんな記録どこにもないはずなのに」

 「大事なこと……?」

 「はい。気のせいかもしれません。暑さで私の頭のネジが一本、緩んでいるのかも」


 彼女は少しだけ上目遣いに僕を見て、はにかむように笑った。その笑顔を見て、僕は確信した。たとえネジが緩んでいたとしても、今の彼女の表情は、どんな精巧な歯車よりも魅力的だと。彼女は何も知らないはずだ。世界の秘密も、旧人類のことも。けれど、彼女とこの石の間には、何かがある。それは理屈じゃ説明できない、もっと感覚的な『何か』だ。



 二人の間に流れる、くすぐったいような沈黙。僕は何か気の利いた冗談でも言って、この空気を和ませるべきか悩んだ。だが、その必要はなかった。


 カツ、カツ、カツ。


 静かな書架の向こうから、一人のオネが歩いてきたからだ。作業用のつなぎに、工具ベルト。この辺りの設備点検をしている業者だろうか。手には圧力計のような計器を持っている。


 オネは周囲を見回し、ふと僕たちのテーブルで足を止めた。僕は特に理由もないのに、なんとなくガラス玉をポケットの奥へと押し込んだ。


 「失礼。ちょっと環境点検で回ってるんだが」


 オネは僕たちに近づくと、気安い口調で言った。だが、その目は笑っていないというか、僕たちの顔ではなく、テーブルの上や周囲の空間をじろじろと観察しているようだった。


 「……最近この辺りの区画で、磁気ノイズの苦情が出ていてな。君たち、古い実験器具とか、何か妙に光る石なんかをみかけなかったかい?計器が狂っちまって困るんだ」


 心臓にあたるメインスプリングが、ドクンと跳ねる。ただの点検作業員のはずだ。でも、なんでピンポイントで『光る石』なんて言葉が出てくるんだ?


 僕は平静を装って首を横に振ろうとした。その時、コハクが涼しい顔で口を開いた。


 「いいえ、特にないですね」


 彼女の声は、驚くほど自然だった。


 「私たちはここで宿題をしていただけです。図書館ですし......ノイズが出るようなものは、何も」


 オネはコハクの澄んだ瞳を一瞥し、それから「ふうん」と興味なさそうに肩をすくめた。


 「……それもそうか。まあ、何か気づいたことがあったら教えてくれ。漏電とかだと危ないしな」


 オネはそれだけ言うと、計器を叩きながら奥の書架へと歩き去っていった。何の変哲もない後ろ姿。だが、僕はなぜか背筋がゾワリとするのを止められなかった。今のオネ、本当にただの作業員だったんだろうか。


 オネの姿が見えなくなると、僕は小さく息を吐き出した。


 「……ごめん、なんか変なこと聞かれちゃったね」

 「いいえ。……でも、少し不思議な方でしたね」

 「うん、そうだね。……そろそろ帰ろうか」


 夏休みも中盤を過ぎた夕暮れ。街はまだ気だるく熱を孕んだなぎに包まれている。けれど、この静かな図書館での午後は、僕の内部機構こころに冷たい冷気と、心地よい爽やかな風を同時に吹き込んだ。


 一つは、あのオネが残していった、錆びた鉄のような冷たい予感。そしてもう一つは、コハクさんの指先から伝わった、あの正体不明のぬくもりだ。


 それは、きっと設計図プログラムに記されたものではない。けれど確かに僕のぜんまいを震わせる『バグ』のような衝動だった。ほんの一刻ひととき、僕と彼女の歯車が、偶然にも同じ速度で噛み合った……そんな、証明のしようもない淡い錯覚。


 僕はポケットの中のガラス玉を、その微かな感触を確かめるように、そっと掌の奥へ沈めた。

読んでいただきありがとうございます。


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