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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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歌う灯台と、放浪の測量士

 「イチ、ニ、サン、シ。関節角度、正常。油圧ポンプ、加圧良し」


 朝の光が降り注ぐ『錆びつき岬』の砂浜に、無機質な号令と、あちこちで関節が軋む音が響き渡っていた。ねじ巻きクラブ夏合宿、二日目の朝。日課の『機関維持体操メンテナンス・ラジオ』の時間である。


 「……イテテ。昨日の砂遊びのせいで、膝のベアリングに砂利が噛んでやがる」


 列の後ろで、ギアが悲痛な声を上げた。彼のボディは昨晩の『再生オイル』のおかげで、動くたびに安物の廃ランプ油のような匂いを漂わせている。ロスカもまた、首を回すたびに「ジャリッ」という嫌な感触を味わっていた。潮風に含まれる塩分は、機人の装甲を容赦なく酸化させる天敵だ。


 「おい、そこ。動作が遅れているぞ」


 デッキチェアで優雅に朝のハイクオリティ・潤滑油(スパナ専用)を啜っていたスパナが、拡声器で檄を飛ばす。彼女の手元には、昨日地下から持ち帰った『あのカプセル』が転がっていた。だが、昨日のような青い輝きはない。地下施設を出た瞬間、カプセルは「パキッ」と乾いた音を立ててひび割れ、中の結晶体は色を失ってしまったのだ。


 「スパナさん、その石……やっぱり、もうダメなんですか?」


 体操を終えたロスカが尋ねる。スパナはつまらなそうに、くすんだ透明な石ころを放り投げ、また掌でキャッチした。


 「ああ。完全に沈黙してる。中のデータが揮発したのか、それとも単なる『使い捨ての鍵』だったのか。今の技術じゃ、ただの綺麗なガラス屑と変わらねえな」


 「なんだよー。人類の遺産とか大層なこと言ってたのに、あっけないな」


 ギアが呆れたように言う。


 「ま、ロマンなんてそんなもんだ。だが、材質自体は未知の組成だ。持ち帰って成分分析くらいはしてやる。お前らの自由研究のネタにはなるだろ。『海で変な石を拾いました』ってな」


 スパナは軽い調子で言ったが、その目はまだ完全には興味を失っていないようだった。ロスカは少しホッとしていた。もし自分が『世界の命運』みたいなものを背負わされていたらどうしようかと思っていたが、どうやらただの『珍しいお土産』で済みそうだ。


 「さて、今日は自由行動だ。ただし、海には入るなよ、錆びるからな。……ん?」


 スパナが不意に言葉を切り、海岸線の向こう、岩場の方角へ視線を向けた。ロスカたちもつられて振り返る。そこには、見慣れない人影――いや、ひどく古びた機影があった。


 ・

 ・

 ・


 その機人は、まるで『枯れ木』のように細長かった。身長は二メートルを超えているだろうか。錆びついた真鍮色の細長い手足を持ち、背中には自分の体ほどもある巨大な革鞄と、測量用の三脚を背負っている。彼は(あるいは彼女は)、ふらふらとした足取りで砂浜を歩いてくると、ロスカたちの前で立ち止まり、頭部のレンズをキリキリと回転させてピントを合わせた。


 「……おや。こちらの座標には、廃墟しかないと記録されていましたが。賑やかですね」


 声は、古い蓄音機から流れるような、ノイズ混じりのバリトンだった。


 「あんた、誰だ?ここは俺たちが占拠中だぞ」


 ギアが警戒して前に出る。長身の機人は、丁寧にお辞儀をした。その拍子に、背中の荷物の中から数本のゼンマイ式コンパスがカランカランと落ちた。


 「失礼。私は『ペンデュラム』。しがない放浪の測量士マッパーです。……世界の『歪み』を記録して回るのが趣味でしてね」

 「世界の歪み?」


 ロスカが聞き返す。


 「ええ。昨日、この辺りで奇妙な地脈の振動パルスを感知しましてね。遠くの街の時計塔が数秒狂うほどの余波でした。何か面白いものでもあるのかと思って来てみたのですが……」


 ペンデュラムのレンズが、スパナの手元にある『色のない石』を一瞥し、すぐに興味を失ったように逸れた。


 「……ふむ。祭りの後のようですね。反応は消失している」

 「なんだ、同業者か?残念だったな、ここにはガラクタと、油臭い学生しかいないぜ」


 スパナが牽制するように言う。


 「いえいえ、無駄足ではありませんよ。私がここへ来た理由は、もう一つあります」


 ペンデュラムは、岬の突端に立つ、白亜の灯台を見上げた。それは、宿舎として使っている建物のすぐ裏手にある、今はもう使われていない古びた灯台だ。


 「この岬には、『正午に歌う灯台』という伝説がありましてね。その歌声を聞きたくて来たのですが……おや?」


 彼の言葉を遮るように、突然、その灯台から異常な音が響いた。


 ブシュゥゥゥゥゥ――ッ!!


 歌声などではない。それは、巨大な圧力鍋が爆発寸前のような、蒸気の噴出音だった。


 ・

 ・

 ・


 「なんだなんだ!?」


 ギアが飛び上がる。灯台の頂上付近から、真っ白な蒸気が勢いよく噴き出している。同時に、地面が小刻みに揺れ始めた。


 「チッ、余計な置き土産か!」


 スパナが舌打ちをする。


 「おそらく昨日の地下施設の再起動で、地下のボイラーに残っていた熱が一気に上がってきやがったんだ。あの灯台は、地下の余剰熱を逃がすための『排熱弁ベント』の役割も果たしてるんだよ!」

 「爆発するんですか!?」


 ロスカが叫ぶ。


 「放っておけばそうなるかもな!中の調速機ガバナーが錆びついてて、蒸気を逃がしきれてねえんだ。……おい、お前ら!」


 スパナはロスカとギア、そしてついでにペンデュラムを指差した。


 「俺はこの石っころの成分分析を始める。今いいところなんだ。お前らで止めてこい!てっぺんの弁をハンマーでぶっ叩いて、強制開放すりゃいいだけだ!」

 「ええっ!?俺たちが!?」

 「これも合宿のメニューってことにする!身体を使って覚えろ!行け、若人たちよ!」


 問答無用。ロスカたちは、悲鳴を上げる灯台へと走らざるを得なかった。


 ・

 ・

 ・


 灯台の内部は、灼熱のサウナ状態だった。本来、光を灯すためのレンズがある最上階へ続く螺旋階段は、錆びついた鉄骨と、蒸気配管が入り組んだ迷路のようになっていた。壁からはシューシューと高温の蒸気が漏れ出し、視界を白く染めている。


 「熱ッ!これ、冷却機能イカれてるだろ!」


 ギアが悲鳴を上げながら、配管をよじ登る。ロスカも必死についていくが、熱で体内のオイルがサラサラになりすぎて、関節の保持力が落ちてきているのを感じた。


 「皆さん、落ち着いて。蒸気のリズムを読みなさい」


 最後尾からついてくるペンデュラムが、飄々(ひょうひょう)とした声で言った。彼は長い手足を器用に折りたたみ、まるで蜘蛛のように鉄骨を渡っていく。


 「あの蒸気は、地下の『心臓』の鼓動の残響です。一定のリズム(周期)があります。……3、2、1、今です」


 彼の指示通りに進むと、不思議と蒸気に焼かれることなく上層へとたどり着けた。さすがは測量士、空間把握能力が桁違いだ。

 

 最上階。そこには巨大な真鍮製の重り(ガバナー)が高速回転していた。本来なら一定速度で回って蒸気弁を開閉するはずが、錆びた歯車が噛み込み、暴走気味に回転しながらも弁を開けられずにいるのだ。


 「あれだ!あの歯車に何かが詰まってる!」


 ロスカが叫ぶ。巨大な歯車の隙間に、固まった鳥の巣のような異物が挟まり、回転を阻害していた。


 「俺がやる!このくらいの力仕事なら!」


 ギアが飛び出した。彼は得意の脚力で鉄骨を蹴り、回転する巨大歯車の軸にしがみつく。


 「ぐぬぬ……!か、固ぇ……!」


 ギアは全身の油圧を最大にして、暴れる歯車をねじ伏せようとする。だが、歯車のトルクが強すぎて、彼の出力では押し負けていた。


 「くそっ、またこれかよ……!体育祭の時と同じだ、肝心な時に俺一人じゃ何の役に立たねぇ……!」


 ギアが悔しげに唸る。自分の無力さが、歯車の重みと共に彼にのしかかっていた。


 「違うよ、ギア!一人で止めようとしちゃダメだ!」


 ロスカが叫びながら、ギアの元へ駆け寄った。


 「君のパワーが足りないんじゃない。噛み合わせの問題だ!君が回転を『支えて』くれさえすれば、僕が隙間に入って異物を掻き出せる!」


 ロスカは工具を取り出しながら叫ぶ。


 「君が支えてくれなきゃ、僕は潰される!相棒バディだろ、信じさせてくれ!」


 ギアがハッとしてロスカを見た。


 「……へっ、言うじゃねえか。潰されたら修理代が高いぞ!」

 「頼むよ!」


 ギアが吠えた。排気管から黒煙を吹き上げ、足の爪を鉄骨に食い込ませる。


 「うぉぉぉぉ!止まれぇぇぇ!」


 ギアが渾身の力で歯車の回転を一瞬だけ抑え込む。軋む関節、焼き付くような摩擦音。そのコンマ数秒の静止。ロスカが危険な隙間へ手を突っ込んだ。指先に触れたのは、石化した海鳥の巣の残骸だ。ロスカは小指の先から極細のピックを展開し、それを瞬時に粉砕して掻き出した。


 「取れたッ!」

 「離れろッ!」


 二人が同時に飛び退いた瞬間。


 カコンッ!


 ちょっと間の抜けた音とともに歯車が正常な位置に戻り、重り(ガバナー)が滑らかに動き出した。


 ・

 ・

 ・


 プシューーーーーッ……。


 詰まっていた蒸気が、一斉に塔の頂上から空へ向かって放出された。そして、その音は、ただの騒音ではなかった。蒸気弁に仕込まれた幾つもの笛が、複雑な和音を奏で始めたのだ。


 ポォォ……ファァ……ミィィ……。


 それは、どこか懐かしく、哀愁を帯びたメロディだった。白昼の青空に、真っ白な蒸気が音楽となって溶けていく。


 「……これが、『歌う灯台』の正体か」


 すすだらけになったギアが、へたり込みながら空を見上げた。


 「美しいですねえ。地下の熱エネルギーを、音という芸術に変換して排熱する。……旧人類というのは、なんと粋なことをするのでしょう」


 ペンデュラムが三脚を立て、その光景をスケッチし始める。

 ロスカは隣で肩で息をするギアの肩を叩いた。


 「ナイスパワーだったよ、ギア。君のおかげだ」

 「……ま、お前の手先の器用さも、悪くはなかったぜ」


 ギアは照れくさそうに鼻の下を擦り、ニカっと笑った。その笑顔には、もうさっきのような暗い影はなかった。


 ・

 ・

 ・


 騒動が収まり、夕暮れ時。スパナは手元の石ころの分析に飽きたのか、満足げにロスカたちを迎えた。


 「ご苦労。まあまあの働きだったな。褒美に、今夜は『中級・精製オイル(合成添加物なし)』を出してやる」

 「やったー!やっとまともな飯だ!」


 ギアが歓声を上げる中、ペンデュラムが荷物をまとめて立ち上がった。


 「さて。良い記録が取れました。私はそろそろ次の場所へ向かうとしましょう」

 「もう行くのか?せっかくだから少し休んでいけばいいのに」


 ロスカが声をかけたが、ペンデュラムは首を横に振った。


 「私は止まると錆びるたちでしてね。……ああ、そうだ。お礼に一つ忠告を」


 ペンデュラムは帰り際、ふと思い出したようにロスカたちを振り返った。


 「君たちが持っているその『綺麗な石ころ』。もう機能は停止しているようですが、それでも『旧時代の遺物』には変わりありません」

 「え?」

 「この世界には、そういう珍しいパーツだけを狙って旅をする『歯車喰らい(ギア・イーター)』というたちの悪い連中もいましてね。……機能があろうとなかろうと、そういったものに彼らは寄ってきます。帰り道はくれぐれもお気をつけて」


 不穏な言葉だけを残し、奇妙な測量士は夕闇の中へ消えていった。


「歯車喰らい、か。……ま、ウチの部員に手を出そうなんて命知らず、返り討ちにしてやるだけだがな」


 スパナが不敵に笑い、オイル缶のプルタブをプシュッと開けた。


 ロスカはポケットの中の、もはやただのガラス玉となった石に触れた。世界を揺るがす謎なんて、僕らにはまだ早すぎる。今はただ、この騒がしくて楽しい夏合宿を、無事に終えることだけを考えよう。

遠くで、またブチョーが「ニャア(早く飯をよこせ)」と鳴いた。ロスカたちの夏は、まだもう少しだけ続く。

読んでいただきありがとうございます。


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