表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/108

おわらないおわかれをしているおばけ

 まよい森の奥の奥。

 そこには、ひときわ大きな木が立っています。

 その木は、「手をふる木」と呼ばれていました。

 風が通るたび、長くしなやかな枝がゆらゆらと揺れて、まるで人の手が「いってらっしゃい」「またね」と言っているように見えるのです。

 朝には鳥たちが枝に集まり、夕暮れには葉が金色に透けて、夜になると、その葉のすきまから星がのぞいていました。

 通りかかる者は、だれもがその木に手をふり返します。

 なぜだかそうしたくなるのです。

 それは、木の姿があまりにやさしく、別れではなく“つづき”を感じさせるからでした。


 ある日、コトリは森を歩いていて、その木の根もとにたどりつきました。

 足もとには落ち葉がつもり、あたりはしんとしずまり返っています。

 鳥の声も風の音も、遠くでかすかに聞こえるだけ。

 その大きな木の根もとに、ひとり、うつむいたまま動かないおばけがいました。

 白く、うすい光のような姿。

 木の影の中で、ほとんど空気にとけるように見えました。

「こんにちは」

 コトリが声をかけました。

 おばけは、なにも言いません。

 ただ、ぽろぽろと光のしずくをこぼしていました。

 それは涙のようでしたが、水とはちがう、やわらかくあたたかい光の粒でした。

 コトリは、なにも言わずにおばけのそばにすわりました。

 沈黙の中で、木の上の葉がざわめき、光のしずくが土に落ちるたびに、小さな音がしました。

 しばらくして、かすれた声が風にまじりました。

「わたし、ずっと……おわかれのまんなかにいるの」

 おばけは、かつて人と出会い、笑い、話し、やがて別れをむかえた存在でした。

 その人はもう、遠いところへ行ってしまった。

 けれど、そのとき、どうしても「さよなら」が言えなかった。

 胸の奥で言葉がつかえて、思いだけが溢れて、声にならなかったのです。

 だから、ただ手をふることしかできなかった。

 その一瞬に、おばけの時間は止まってしまいました。

 季節がいくつめぐっても、その手をふったまま、心はずっとそこにとどまっていたのです。

「いまも、その人を待ってるの?」

 コトリがやさしく聞きました。

「うん。ほんとうは、もういないってわかってる。でも、どこかでまたつづきがあるかもしれないって……そう思ってるまま、ここにいるの」

 おばけの声は、まるで霧のようにうすく、でも、ひとつひとつの言葉がしっかりと森にしみこんでいきました。

 コトリは、そっと手をのばしました。

 それは「さよなら」を言うときの手ではなく、「またね」を言うときのような、あたたかな手のひらでした。

「おわかれってね、終わることだけじゃないんだよ」

 コトリは、小さな声でつづけました。

「つづいていくものも、ちゃんとあるんだよ」

 おばけは、ゆっくりと顔を上げました。

「たとえば?」

「その人との時間を覚えてること。その人からもらった気持ちで、だれかにやさしくできること。それって、ぜんぶその人のつづきなんだと思う」

 おばけは、何も言わず、静かにうなずきました。

 そして、涙のような光をこぼしつづけました。


 けれどその涙は、もはや悲しみだけのものではありませんでした。

 光のしずくは、土の上でやわらかくひかりながら、ゆっくりと木の根へとしみこんでいきました。

 その瞬間、手をふる木の枝が、さや、さや、と音を立てて揺れました。

 それはまるで、木がふたりに手をふっているようでした。

 しばらくして、おばけは顔をあげ、空を見つめながら、ゆっくりと手をふりました。

 それはもう、過去のだれかに向けてではなく、まだ見ぬ未来のだれかに向けてでした。

 風が渡り、葉がこすれる音がしました。

 枝の先がひときわ高く揺れ、その姿はまるで「またね」と笑っているようでした。

 おばけの輪郭は、だんだんと淡くなっていきました。

 けれど、ふしぎなことに、悲しさはありませんでした。

 それは「さよなら」ではなく、ようやく言えた「またね」だったからです。


 それからというもの、手をふる木の下には、ときどきやさしい風が吹くようになりました。

 風は葉をゆらし、枝をそっと揺らして、森を歩くだれかの背中を見送ってくれます。

 おばけの姿はもう見えません。

 けれど、風がふくたびに、どこかで小さく、光のしずくがきらめくのです。

 それはきっと、おばけがまだそこにいて、“つづきを生きるだれか”に向かって「いってらっしゃい」と手をふっているのでしょう。


 おわかれは、終わりではありません。

 それは、その人との時間を心の中でゆっくりと育てていくこと。


 言えなかった「さよなら」は、いつかやさしい「またね」になって、胸の奥で、しずかに手をふりつづけるのです。


 森の中で、手をふる木は今日もそっと揺れています。

 風とともに、「またね」をくりかえしながら、だれかの旅立ちを、あたたかく見送るように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ