みられることがこわいおばけ
まよい森のはしっこに、「光のとどかない道」と呼ばれる小道があります。
昼でも薄暗く、風が通っても葉の音ひとつ立ちません。
枝が重なりあい、太陽の光は地面まで届かず、空の色さえ見えない。
鳥たちはそこを避けるように飛び、動物たちも足を止めることはありません。
そこだけ時間がゆっくりと止まっているように、森の中でもとくにしずかな場所でした。
コトリがその道を通りかかったのは、夕暮れが近いころでした。
ひかりの木へ向かう帰り道、ふと道草をしたとき、冷たい空気がひざのあたりをなでていくのを感じました。
そのとき、足もとで、何かがふるえているのに気づいたのです。
しゃがみこんで目をこらすと、地面にのびる影の中に、小さな影のかたまりがありました。
それは、まるで霧が人の形をまねているようでした。
やわらかく、輪郭があいまいで、見ようとすればするほど、すうっと逃げていくような気配。
「こんにちは」
コトリがそっと声をかけました。
風が止まり、森の音がしずまりました。
そのしずけさの奥から、かすれた声が聞こえてきます。
「……見ないで」
「どうして?」
コトリが問いかけると、影がかすかに震えました。
「見られると、からだが透けてしまうの。こわくなるの。わたしなんか、見つけられたくない……」
その声は、まるで古い葉が擦れるように細く、弱々しいものでした。
おばけは、“だれかの目にふれること”を、とても怖がっていました。
昔、だれかに見られたとき、「きもちわるい」と言われた。
「なんでそんなところにいるの」と顔をしかめられた。
そのたびに、胸のなかの光が小さく消えていくようで、おばけはだんだん、闇の中へ、闇の中へと隠れるようになりました。
やがて、光のとどかない道の奥へとたどりつき、そこでじっと、息をひそめて過ごしていたのです。
コトリはしばらく黙っていました。
風がまた動き、木々のすきまから、かすかに白い光がこぼれ落ちてきます。
その光が、おばけの姿をうっすら照らしました。
けれどもおばけは、まぶしそうに身をよじらせ、影の中ににげこみました。
コトリはポケットを探って、ひとつの小さな鏡を取り出しました。
手のひらほどの古い鏡。
ひかりの木の根もとで拾って、大切に持っていたものです。
コトリは鏡を森の木々に向け、そこに葉の緑や、木漏れ日のゆらぎ、遠くの空の青をうつしこみました。
そしてそっと、鏡をおばけの影のほうへ差しこみました。
「見て。ここには森のいろんなものが映ってるよ。あたたかいものも、やさしいものも。あなたも、そのなかのひとつだと思うの」
おばけはためらいながらも、少しだけ顔を上げました。
そして、おそるおそる鏡をのぞきこみました。
そこに映ったのは、やわらかい光を反射する、ぼんやりとしたかたち。
すこし揺れて、すこし歪んで。でも、しずかで、美しい。
鏡のなかで、おばけの輪郭は森の緑や空の青と溶けあって、ひとつのやさしい景色になっていました。
「これ……わたし……?」
「うん。すごくしずかで、きれい。わたし、見てよかったって思ったよ」
おばけは、しばらく何も言いませんでした。
風の音が戻り、木の葉がかすかに鳴ります。
そのたびに、鏡のなかのおばけがふわりと揺れました。
やがてその目は、すこしずつ開いていき、鏡の中の自分を、そっと見つめていました。
「……見られることって、こわくないときも……あるの、かな」
「あるよ。見てくれる人がやさしいと、見られることがうれしいことになるんだよ」
その言葉に、おばけはゆっくりとうなずきました。
小さく息を吸いこむと、体のまわりの闇がすこしだけ薄くなりました。
木漏れ日の粒が、ほのかにその肩に落ちました。
その日から、おばけは少しずつ、光のほうへ歩くようになりました。
まだ影にとどまる日もあります。
でも、風の通るとき、葉のすきまからこぼれる光の帯に、ときどき、そっと顔を出してみるのです。
コトリが道を通ると、おばけは遠くからこっそり見て、ほんの少しだけ笑うようになりました。
コトリも気づかないふりをして、その笑みが消えないように、しずかに歩いていきます。
見られることは、たしかにこわいこと。
けれど、「見られてもいい」と思える瞬間が、自分をすこしだけやさしく照らしてくれる。
だれかの目にうつることで、自分のかたちがあたらしく生まれかわることもあるのです。
光のとどかない道にも、ほんのひとかけらの“見る”という光が差しこんでいました。
そしてその光は、これから先、おばけの心の中で、ずっと小さく灯りつづけるのでした。




