わらうことができなくなったおばけ
まよい森のいちばん奥、切り株がいくつも並んだ広場がありました。
そこは、昔だれかが遊んでいた名残のように、草のあいだから丸い石が顔をのぞかせ、木々のあいだには鳥の声が遠くでこだまします。
けれども、いまはほとんどだれも訪れません。風が吹くたびに落ち葉がくるくると舞い、ひとりきりの午後を包んでいます。
そんな広場の真ん中に、まるで彫刻のように動かないおばけがいました。
いつ見ても同じ姿勢で、切り株の上にしずかに腰を下ろし、目を伏せています。
風が髪をなでても、木の葉が肩に落ちても、ぴくりとも動かない。
光に透けて白くゆらめくその体は、まるで時間ごと固まってしまったようでした。
コトリは森の小道を歩きながら、そのおばけを見つけました。
なにかに呼ばれたような気がして、コトリは足を止めました。
「こんにちは」
そう声をかけても、おばけは動きません。
「ずっと、そこにいるの?」
しばらくして、風にまじるようなかすれた声が返ってきました。
「うん……わたし、もう笑えないの」
コトリは首をかしげました。
「笑えないって、どういうこと?」
おばけは、ゆっくりと顔を上げました。目はどこか遠くを見つめ、透明な光の粒がそのまつげのような輪郭にたまっています。
「たのしかったことが、たのしかったって思えなくなったの。うれしいことがあっても、胸があたたかくならない。口のすみに力をいれる癖ばかり残って、笑い方をぜんぶ、どこかに落としてきちゃったみたい」
コトリはおばけのとなりに腰をおろしました。切り株は少し冷たく、しっとりと湿っています。
「じゃあ、またいっしょに探そうよ。笑い方、森のどこかに落ちてるかもしれない」
そう言って、コトリは小さな枝を拾い、地面に絵を描きはじめました。
「これ、なにかわかる?」
おばけがのぞきこむと、そこには丸い顔、ながい耳、なのにカエルみたいな足をした奇妙な生きもの。
ふたりのあいだに、しばしの沈黙が流れました。
そして、かすかに、風の音にまじって、くすっ……という息のような音がしました。
「それ、うさぎ……なの?」
「うん。『うさカエル』っていう新しい生きもの!」
「へんなの……」
おばけの声はふるえていました。けれど、たしかにその顔が、ほんのすこしだけ、ゆるんでいました。
コトリは何も言わず、また枝を動かします。
ねこたぬき、しっぽが五本あるバッタ、空を飛ばない鳥。
どれもめちゃくちゃで、笑ってしまうような生きものばかり。
おばけはふるえる声で「ふふっ」「くすっ」と小さく笑いました。
そして、しばらくしてからぽつりとつぶやきました。
「わたし……まだ、笑えるのかな」
「うん。ちゃんと笑ってるよ。小さな笑いでも、ちゃんとあなたのなかにあったんだよ。なくなってなんか、いなかったんだ」
その言葉に、おばけの目からぽろりと光がこぼれました。
涙のようなそれは、地面に落ちると消えてしまいましたが、代わりに、草の先にちいさな光がともりました。
おばけは泣きながら笑っていました。
その顔は、なにかがほどけていくようにやわらかくて、森の空気まであたたかくなったようでした。
その日から、おばけは毎日、コトリといっしょに広場で絵を描くようになりました。
笑えない日も、風の冷たい日もありました。
でも、そんな日でも、コトリが枝で描いたへんな生きものを見るたびに、ふと笑いの音がもれるのです。
森のどこかで、風が木々をくすぐるように「ふふっ」と笑う声が聞こえます。
笑えなくなった日々も、笑うことを忘れた心も、だれかといっしょに過ごすなかで、少しずつ、やわらかく、ほどけていく。
そしてその笑顔は、もう一度生まれた光のように、まよい森の奥をやさしく照らすのです。




