きつねのおばけ
まよい森の奥。夜がすっかり森を包むころ、木々の葉は静かに揺れ、風はそっと枝をなでるように吹いていました。
川のせせらぎだけが、遠くで小さく響きます。
コトリは、その森の小道を歩いていました。
昼間は明るく賑やかだった道も、夜のしずけさのなかではまるで別の世界のようです。
ふと、石ころの向こうで小さな光がちらりと揺れました。コトリは立ち止まり、息をひそめました。
「……だれか、いるのかな?」
そっと近づくと、そこには小さなきつねの姿をしたおばけがいました。
体は銀色に光り、尾の先がふわふわと揺れるたび、淡い光の粒が森の闇に舞い散ります。
『こんばんは。わたしは、きつねのおばけ』
声は聞こえません。でも、コトリの心の奥に、しずかに語りかけるように伝わってきました。
『夜に迷う人や、さみしさにふるえる者を、道まで導くためにいる』
コトリは息をのんで見つめました。
おばけの目は深い森の色をしていて、夜空の影のように神秘的です。
『わたしは、森のすみずみを知っている。小川の浅い場所も、倒れた木の下の道も、夜の森で迷わないように案内する』
コトリはそっとうなずきました。
「あなた……ほんとうに、迷った人を助けるの?」
きつねのおばけは尾をふわりと揺らし、小さな光の粒をひとつ落としました。
その光は森の小道に沿って淡く輝き、歩く方向を示しています。
コトリはその光に導かれるように歩きました。
小道の奥で、倒れた木の陰から小さなリスが顔を出しました。
リスもまた、きつねのおばけの光に導かれ、木の枝の上からそっと見守っています。
その先には、ふくろうの親子も羽を休めていました。
コトリは、光に照らされる森の小さな生き物たちを見て、胸があたたかくなるのを感じました。
『わたしは、迷った気持ちも、さみしい思いも、全部そっと包む。でも、触れられるのは光の形だけ。だから、見える人はとても限られている』
コトリは手をかざしました。
尾の先から舞う光の粒が、手のひらにふわりと触れ、胸の奥にじんわりとあたたかさが広がります。
思わず目をつむると、光のなかで森の音や小さな生き物たちの息づかいが、ひとつひとつ届くのを感じました。
そのとき、ふと遠くの木の葉が揺れ、ひときわ大きな影が森に現れました。
夜空に光る月の影が揺らめき、その下で大きな鹿のおばけが立っていました。
きつねのおばけの光に導かれ、森の迷い子を見守るために現れたのでした。
コトリは息をのんで見つめました。
鹿のおばけはゆっくりと頭を下げ、しずかに森の道を照らしながら、迷子やさみしい者たちを守る姿がありました。
「みんな、森を守っているんだ……」
コトリは小さな声でつぶやきました。
すると、きつねのおばけは尾を揺らしながら、さらに光の粒を飛ばしました。
光は森の奥にひとつずつ落ち、倒木や小川、草の隙間を照らし、森の迷子やさみしい者が安心して歩ける道を作っていました。
『夜は怖いものじゃない。見えないからこそ、心の中のやさしさが、光になって届く』
コトリはその言葉を、体の奥まで感じました。
きつねのおばけや鹿のおばけは、見えない場所で、いつもだれかのそばにいる。
光の粒や風に紛れて、そっと励ましてくれるのです。
夜が更けるころ、きつねのおばけは尾をゆらし、森の奥の小川のほとりへと消えていきました。
コトリは光のあとを見送りながら、胸の中に小さなあたたかさを抱えました。
目を閉じると、まよい森のすべての生き物が、夜の光に守られ、しずなに息づいているような感覚が広がります。
光が消えたあとも、まよい森はやさしいまま、しずかに眠っていました。
「また会えるよね」
コトリは小さくつぶやきました。
そして夜が明けると、森の小道には小さな光の粒がひとつ残り、次に迷う者をそっと導く道しるべになっていました。
きつねのおばけは、夜ごとに森の奥で、迷った心やさみしい心をそっと包みながら、今日もしずかに生き続けています。