おわりのことばをさがすおばけ
まよい森の奥、木々が折り重なり、昼なのにほの暗い場所に、小さな石の広場がありました。
その広場だけ、不思議と風の音がよく響きます。
苔むした石畳の上を、風がくるりとまわり、落ち葉をゆらし、葉と葉がしゃらしゃらとこすれ合い、小さな鈴のような音をたてます。
ときおり、鳥が枝をはばたいて、淡い羽音を落とし、遠くで獣の足音がひとつ響いて、すぐに消えていきます。
風はただの風ではなく、どこかから運ばれてきた誰かのことばのかけらを、かすかにまぜているようでした。
コトリがその広場で足をとめたのは、風の中に、「……ごめ……」という小さな声が、ほんの一瞬まざったからでした。
聞き間違いかと思うほどの、消えそうな響き。
「……いま、だれか、なにか言った?」
コトリがつぶやくと、風の中に、ふっと浮かぶように、小さなおばけがあらわれました。
それは、まるで古い手紙が水に濡れてしわくちゃになったような、くしゃくしゃの姿をしていました。
白い紙が長いあいだ握られていたような折り目がいくつも重なり、端は破れ、ところどころに透ける穴が空いています。
輪郭は風にあおられ、今にもばらばらになってしまいそうでした。
おばけは、消え入りそうな声で言いました。
「ねえ……さいごのひとことって、どこにいっちゃうのかな」
「さいごの……ひとこと?」
コトリはそっと問い返しました。
おばけは胸のあたりに手のようなものを置き、かすれた息をふわりとこぼしました。
「うん。わたし、だれかになにかを伝えたかった気がするの。でも、それがなんだったか、思い出せないの。言いそびれたまま、いなくなっちゃって……そのことばだけが、どこかに置きざりになった気がするの」
その声は、森の底に落ちた木の実みたいに、小さくて震えていました。
コトリは、少しの間、風に髪をなびかせながら、静かに答えました。
「そのことば、きっとまだあなたの中にあるよ。ただ、思い出すには少し勇気がいるだけなんだと思う」
おばけは、ふるふると首をふりました。
風に揺れるその姿は、触れたらほどけてしまいそうな蜘蛛の糸のようでした。
「でも、思い出したら、苦しくなるかもしれない。伝えられなかったことが、悔しくて、悲しくて、ずっと、そこから動けなくなってしまうかもしれない」
「それでもね」
コトリはやさしく目を細めました。
石畳に落ちる木漏れ日が、コトリの肩とおばけの輪郭を同じ色に染めていました。
「わたしがいっしょにいる。どんなことばでも、いっしょに受けとめるよ」
おばけは、しばらく沈黙したあと、胸のあたりをぎゅっとにぎりしめました。
すると、そこから光のかけらのような音が、ぱらり、ぱらりとこぼれ落ちました。
その音は、風にのって、石畳のうえを転がり、かすかにかたちを結びます。
それは、
「……ありがとう」
おばけは、すこし泣きそうな顔で言いました。
「ごめんって、言いたかった気もするけど……本当に言いたかったのは、それだった。ありがとうって、一度だけでも言いたかった。でも言えなかった。言う前に、終わっちゃったの」
コトリはその『ありがとう』を、両手ですくうように受けとめました。
風がその音を散らさないように、そっと胸におさめるようにして言いました。
「だいじょうぶ。いま、そのことばがここにある。だから、ちゃんと届いたよ。たとえだれかが聞いていなくても、わたしが聞いた。それは、もう消えないよ」
おばけは、ほっとしたように目をとじました。
くしゃくしゃだった姿が、すこしだけ整い、風にすこしずつ、とけていきました。
石畳の上に残ったのは、ほんのりあたたかい風の『ありがとう』の響きだけ。
しゃらしゃら、と森の葉が鳴りました。
まるで、どこか遠くから「きこえたよ」と返事しているように。
言いそびれたことばも、心に残っているなら、それはまだ生きている。
そして、いつかそのことばが届くとき、遅すぎることなんて、きっとないのです。




