さいごの夜のパレード
その夜のまよい森は、いつもとすこし違っていました。
風は音をたてずに木々をなで、葉の一枚一枚がひそやかに揺れていました。
月のかわりに、空の高みには数えきれないほどの小さな光の粒が漂い、それはまるで星ではなく、息づく灯のように森の空気をやわらかく照らしていました。
コトリは、気がつくと森の奥の広場に立っていました。
いつのまに来たのかも思い出せません。
足もとには、古い石畳。そこにうすく光る露が敷かれ、遠くからふわりとあたたかな風が吹いていました。
目の前には、ちいさな旗と、色あせたリボン、そしてゆらゆらと灯るランタンの列。
それらは風にあわせて、音のない旋律を奏でているようでした。
やがて、木々の間から、ひとつ、またひとつと白い影が現れました。
透けた影、ゆらめく影、光のかけらのような影。
それぞれがこの夜のためにだけ、特別な姿をまとって。
薄い布のような羽をひるがえす者、淡く光る石を胸に抱いた者。
みんなが静かに、そしてどこか誇らしげに集まってきました。
笛の音も太鼓の音も、どこにも聞こえません。
それなのに、胸の奥が不思議とわくわくと高鳴りました。
足もとがほんのすこし浮くような、なにかが始まる予感。
「これは……なに?」
コトリがつぶやくと、隣でふわりと揺れた小さなおばけが答えました。
「さいごの夜のパレードだよ」
その声は風のようにやさしく、光をふくんで響きました。
「一年に一度だけ、忘れられたおばけたちが集まって、『いたこと』を祝うために歩くんだ」
「忘れられた……?」
コトリはその言葉をくり返しました。
「うん。でもね、忘れられても、『いた』ということはなくならないんだよ」
おばけは、自分の胸のあたりに手を当てました。
「だからこうして、最後にもういちどだけ歩くの。“まだここにいる”って、夜に伝えるために」
その瞬間、森の奥からふっと音のような風が吹き抜けました。
笛のない音楽。太鼓のない鼓動。
それは、光の粒がふるえて生まれる音。
遠い記憶の響きのように、静かに空気をふるわせていました。
おばけたちは、その音にあわせて歩き出しました。
足音はほとんど聞こえないのに、たしかにリズムがありました。
草の先をかすめるたび、微かな光が散り、まるで音符のように空中を流れていきます。
広場をぐるりと囲むようにして、長い行列ができました。
光る布をまとったおばけ、涙を宝石に変えたおばけ、
かつて本の中にいたおばけ、虹のなかで待っていたおばけ……
それぞれが、かすかにきらめきながら、ゆっくりと前へ進んでいきます。
その中に、コトリは見つけました。
なまえのないおばけ、“カゼ”の姿を。
淡い青の光をまとって、
かつて「ヒカリ」と呼ばれた自分と歩いたあのときの風と同じ色で、カゼは静かにこちらを見て微笑んでいました。
「わたしも……歩いていい?」
コトリがそうたずねると、カゼはゆっくりとうなずきました。
「もちろん。きみは“覚えていてくれる”人だから。
この行列にとって、それがいちばんたいせつな役目なんだよ」
その言葉が胸にひびいた瞬間、コトリの足もとにあたたかな風が集まりました。
その風に背を押されるようにして、コトリはおばけたちの列に加わりました。
ランタンの灯りが道を照らし、空気の中に金色の粒が舞っていました。
どの影も、どの光も、すべてがゆるやかに溶けあいながら歩いています。
音のない音楽。
それなのに、たしかに聞こえる拍手。
目を閉じると、心の奥で誰かが「ありがとう」とつぶやいているのがわかりました。
行列が一周すると、風がひときわ強く吹きました。
その風が過ぎたあと、ランタンの灯りがひとつ、またひとつ消えていきました。
おばけたちは、それぞれの夜の中へと静かに帰っていきます。
光の粒がひとつ、またひとつ、空へとのぼっていきました。
最後に残ったのは、カゼの影だけでした。
「ありがとう、コトリ。きみが覚えてくれたこと。それが、わたしたちのほんとうの名前なんだ」
そう言って、カゼの姿も、そよ風のように溶けていきました。
朝になって、コトリが目を覚ますと、
まよい森はまた、ふつうの静けさに戻っていました。
小鳥の声、風の音、木のざわめき。
すべてが少しだけ、やさしく響いている気がしました。
ポケットの中には、小さな紙吹雪が一枚、残っていました。
それは金色にかがやき、ふれると指先があたたかくなりました。
そこには、細い字でこう書かれていました。
「あなたが覚えてくれたこと。
それが、わたしたちのほんとうの名前です。」
コトリはそっと紙吹雪を胸にしまいました。
それは、風のように軽く、でも、心の奥で永遠に消えない重みをもっていました。
さいごの夜は、終わりじゃない。
だれかが忘れずにいてくれるかぎり、
その記憶のなかで、ふたたび歩きはじめることができる。
だから、今もきっと。
まよい森のどこかで、静かな音のない行列が、金色の風をまとって歩いているのです。
夜が静かであるほど、心の灯りは強く輝く。
忘れられたものたちの歩みは、いまも森の奥で、そっと世界を照らしている。




