おばけの学校とコトリ先生
ある夜のこと。
月が雲のあいだから顔を出し、まよい森の木々を銀色に照らしていました。
風は静かで、虫の声が遠くでかすかに響いています。
コトリがその夜、小道を歩いていると、どこからか「チーン」とベルの音が聞こえました。
まるで風の粒が鳴らしたような、透明で小さな音。
コトリは思わず足を止めました。
「……今の、なに?」
音は一度だけでなく、もういちど、もういちど……
木々のすき間から、呼ぶように響いてきます。
その音につられて進んでいくと、木の根っこの下にぽつんと古い黒板が立っていました。
根はまるで黒板を抱きしめるように伸び、板はところどころひび割れ、チョークの粉がこぼれています。
その黒板には白い文字で、大きくこう書かれていました。
『おばけの学校 本日休校 先生不足のため』
「せんせい……?」
コトリが首をかしげていると、すぐそばの葉っぱがふるえ、そこからもじゃもじゃ頭のおばけがひょっこり顔を出しました。
ふわふわの髪に、丸い目が二つ。どこか焦っているようです。
「あっ! きみ! 先生やらない!?」
「えっ、わたしが?」
「そう! ぼくら学校に来てるのに、先生がいないんだよ~! 黒板の書き方も知らないし、『あいうえお』も読めないんだ~」
コトリはあたりを見まわしました。
すると、根っこのまわりの広場に、小さなおばけたちがずらりとイスにすわっていました。
みんな半透明で、ふよふよと宙に浮きながらも、おすまし顔をしています。
でも、しっぽの先がそわそわ動いていて、どうにも落ちつかない様子。
「先生って、そんなにかんたんになれるの……?」
「なれるよ! “先生になる”って言ったら、もう先生だよ! ね、みんなー!」
「はーい!」
「せんせいー!」
「よろしくですー!」
おばけたちの声が重なって、夜の森に小さな笑い声がこだましました。
こうして、コトリはいつのまにか「コトリ先生」になってしまいました。
「じゃあ、まずは『あいうえお』からね」
コトリがチョークを手にとって黒板に立ちました。
キュッ、キュッ。
音が夜に響くと、黒板の上に白い粉がゆらりと舞い、月の光をうけてきらめきました。
おばけたちはわぁっと目を輝かせます。
「これは『あ』って読むの。口を大きく開けて、“あー”」
「あーーー!」
「ちがうちがう、こわくない声でね。やさしく“あー”」
「あー」
「あぁー」
「あ~~」
「うん、いいかんじ!」
黒板の前で、コトリとおばけたちは楽しそうに声をそろえました。
葉のあいだから月の光がさしこみ、教室のような広場の上をやわらかく照らします。
おばけたちの目がきらきらひかり、夜の森は笑い声でいっぱいになりました。
風にのって、木々がその笑い声を運んでいきます。
次の日は算数のじかん。
「じゃあね、おばけが三人いて、一人かくれんぼに行ったら、残りは何人?」
コトリが言うと、みんなが一斉に首をかしげました。
「……ぜんぶ、いない?」
「え?」
「だっておばけは、すぐ見えなくなるもん!」
「そっか……!」
コトリは思わず、ぷっと吹き出してしまいました。
「……うーん、じゃあ、それもせいかいかもね」
おばけたちは嬉しそうに「やったー!」と手をふりました。
夜空に笑い声がはじけ、星がひとつ、またひとつ瞬きました。
その次の授業は「うたのじかん」。
コトリが口ずさむと、おばけたちもいっしょに声を合わせました。
でも、声にならないおばけもいて、そんな子たちは葉っぱをふるわせてリズムをとります。
チリン、チリンと音がして、風と歌とがひとつになりました。
まよい森の夜は、いつもよりもやさしい色に染まっていました。
ある晩、授業が終わったあと。
もじゃもじゃのおばけが、こっそりコトリに言いました。
「きみの声ってね、森の奥まで届くんだよ。ぼくら、おばけだけど、話してくれるとすごくうれしいんだ」
その夜、コトリはひかりの木の下に立って、ひとつひとつ言葉を声にしました。
『おやすみなさい』
『またあした』
『だいじょうぶだよ』
『だいすき』
すると森のあちこちで、小さな光がぽっ、ぽっと灯りました。
それは、おばけたちの「うれしい」があつまって生まれたあかりでした。
風が吹くたび、その光はふわりと揺れ、星屑のように森の中を漂いました。
それからも、「コトリ先生の学校」はときどき開かれました。
黒板はボロボロ、イスは木の根っこ、机は落ち葉の上。
教科書なんて一冊もないけれど。
それでも教室はいつも満席で、夜ごと楽しそうな声が響きました。
チョークの粉が月の光にきらめき、おばけたちの笑い声が森を包み、まよい森の夜は今日も、少しだけ明るくなったのです。