いちばんさいごの雪だるま
冬の終わり。
まよい森の空は、もう少しだけ春の色をまぜた灰色をしていました。
木々の枝先には雪がわずかに残り、日ざしがそこにあたると、光はゆっくりと滲むようにひかり、ぽたり、ぽたりと雫が落ちていきます。
森を包む空気は、もう「冷たい」というより「透きとおっている」という感じで、風の中に、小さな花の香りがまじっていました。
コトリは、森のはずれの小道を歩いていました。
道の両脇では雪が解けて、下からは茶色い土が顔をのぞかせています。
その上を、春を待つ小さな芽たちが押しあいながらのびようとしていました。
そのときです。
コトリの目に、ぽつんと白いものがうつりました。
それは、森の中にただひとつだけ残っていた、小さな雪だるまでした。
頭はすこし崩れかけ、片方の枝の腕はもう落ちそうになっています。
けれど、その目だけは、まだしっかりと前を見ていました。
まるで、「だれかを待っている」ように。
「こんにちは」
コトリが声をかけると、雪のかげから、まっしろな小さなおばけがひょっこりと顔を出しました。
そのおばけは、ふゆのこどものようでした。
透きとおる体の中には氷の欠片がちらちら光り、目は小さな氷の星のように澄んでいました。
「この雪だるま、あなたがつくったの?」
おばけは、こくんとうなずきました。
「この子はね、冬のおわりにだけ生まれる雪だるまなの」
「おわりにだけ?」
「そう。春が来ると、すぐにとけていなくなっちゃう」
おばけは少し目を伏せて言いました。
その声は、雪の溶ける音みたいに小さくて、でもどこか、ひかりの粒がまざっていました。
「ちょっとの間しかいられないってこと?」
「うん。冬のおわりから春になるまでの短い時間。だれにも会えないことが多いの」
「それって、さみしくない?」
コトリの問いに、おばけは少し考えてから、
息のような声で答えました。
「さみしいよ。だから、ことしはどうしてもだれかに見つけてほしかった。この子がいたこと、ちゃんと誰かに覚えてもらいたかったの」
その言葉に、コトリは胸の奥がじんわりとあたたかくなりました。
「それなら、大丈夫」
コトリは、雪の上にしゃがみこんで言いました。
「わたしが、ちゃんと見るよ。この子がいたこと、ちゃんと心にとめる」
おばけは、泣きそうな顔で、でも笑いました。
その笑顔は、夕暮れの光にとける氷みたいにやさしかった。
コトリは雪だるまの前に手をついて、そっと話しかけました。
「こんにちは」
雪だるまは、なにも言いません。
でも、少し傾いた頭が、まるで聞いているように見えました。
「あなたは、きっと寒いなかでずっと立っていたんだね。でも、もうすぐ春が来る。だから、ここまでいてくれてありがとうって、言いたいな」
そう言ったときです。
雪だるまの胸のあたりが、ほわっと光りはじめました。
それは小さな灯りでした。
はじめは氷の奥の反射のように見えたけれど、やがて、やわらかな光の粒がひとつ、ふわりと浮かび上がりました。
氷の星のようなその粒は、ゆっくりと空へ上がっていきます。
夕暮れの空はうす紫で、そのなかを星のようにのぼっていきました。
「あれは……?」
「この子が、のこしていった『ありがとう』だよ」
おばけの声は、風にまじってやわらかく響きました。
それを聞いたコトリの目にも、すこし涙がにじみました。
光はやがて、森の空の奥に消えていきました。
けれど、消えたあとも、なぜだかそこだけあたたかい光が残っているように感じました。
その夜。
森には、ほんのひとときだけ雪がふりなおしました。
うすく積もった雪は、雪だるまのいた場所をやさしくおおいました。
もう、そこに形はありません。
でも、コトリの心の中には、はっきりとその姿がありました。
枝の腕、傾いた頭、小さな目。
そして胸の奥のひかり。
「いなくなる」ことは、「なかったこと」じゃない。
だれかが覚えていれば、たしかに『いた』ということになる。
その想いは、春になっても、とけることはありません。
まよい森の風がやわらぎ、枝の先で小さな芽が光りました。
その下を歩きながら、コトリは空を見上げました。
そこには、夕方の空の奥に、あのときの氷の星が、まだうすく光っているように見えたのです。




