だれもしらない森の入り口
ある日、コトリは、とてもめずらしい夢を見ました。
夢の中で、まだ出会ったことのない森のおばけたちが、輪のようにコトリを囲み、口ぐちにふしぎなことをささやくのです。
「ねぇ、あなたは知ってる?」
「ほんとうの入り口のことを」
「すべてがはじまる前の、いちばんふかい扉……」
おばけたちの声は、水の底の鈴の音のようで、やわらかく、でもどこかさみしい響きを持っていました。
コトリが「どこにあるの?」とたずねた瞬間、声はすぅっと霧のように消えて、夢の中に残ったのは、金色の小さな光の粒だけでした。
目をさました朝。
カーテンのすきまから差しこむ光が、まるで夢の続きのようにゆらめいていました。
「……ほんとうの入り口?」
コトリの胸の奥には、夢のなごりが小さなひかりのように残っていて、それが心の奥をそっと叩くように感じました。
だからコトリは、その日、ほんとうの入り口を探しに行くことにしたのです。
まよい森は、いつもよりもしずかでした。
風はほとんどなく、木の枝の先にまで、しずまりかえった空気が満ちています。
それでも、森の奥へ進むにつれて、どこか見覚えのあるはずの道が、少しずつ、知らないかたちに変わっていくのがわかりました。
草の背がたかくなっていたり、石のならび方がいつもと違っていたり。
遠くの木の葉が、まるで逆さまの風に運ばれているようでした。
コトリは歩きながら、胸の中でなにかがささやくのを感じました。
「まっすぐ、まっすぐ。いちどもふりかえらずに、すすんで」
その声はだれのものでもないのに、どこか懐かしい音でした。
やがて、木々のすきまに、ぽっかりと黒いほらが見えてきました。
それは、アーチのように口を開け、森の闇よりもさらに深く、時間さえも止まっているようなしんとした空間でした。
コトリが近づくと、かすかな風が頬をなで、どこからか声がしました。
「ここが、だれもしらない、まよい森の入り口」
ふりかえると、そこにはこれまでに出会ったすべてのおばけたちがいました。
きつねのおばけ、夢つむぎ、星のおばけ、こどものおばけ。
みんなが遠くから、ひとりの灯を見守るように、コトリを見つめていました。
「わたしたちは、森の『なか』にいるもの」
「でも、あなたは、『そと』から来たもの」
「この扉の向こうには、まだだれも知らないものがある」
「あなたが望むなら、入ってもいい」
「でも、いまのままの『コトリ』には、戻れないかもしれない」
その言葉に、コトリは小さく息をのみました。
ほらの中からは、淡い光がにじんでいて、それが胸の奥をゆらすようにあたたかく見えました。
でも同時に、そこに一歩入ってしまえば、もう今までのまよい森とはちがう世界が待っているような気もしたのです。
しばらく黙っていたコトリは、やがて小さく笑いました。
「……入らない。わたしは、森の『なか』にいるみんなと、まだ一緒にいたい」
おばけたちは、その言葉に、うれしそうに目を細めました。
「それでいい。この扉は、いつでもここにある」
「あなたが、『ほんとうのはじまり』を見たくなったとき、また来なさい」
その瞬間、黒いほらはゆっくりと消えて、そこにはただ、まっすぐな小道と、やさしい風だけが残っていました。
帰り道、コトリは空を見あげながら思いました。
もしかしたら、「ほんとうの入り口」というのは、どこかの場所じゃなくて、心の中にふっと開く、とびらの感覚なのかもしれない。
いまをたいせつに思うとき、その扉はきっと、いつもすぐそばにある。
その夜、コトリは深く、深く眠りました。
夢の中で、またあのほらがあらわれるかと思ったけれど、そこにはもう、ただおだやかな光と、風の音だけがありました。
その風は、森の奥から届いた「だいじょうぶ」という声のようで、コトリのまぶたをやさしく撫でました。
まだ見ぬ『はじまり』に手をのばすのは、きっと、もっと先のお話。
そして、まよい森は、今日もしずかにつづいていきます。




