まよいごのおばけと灯台の光
まよい森に、海のにおいがただよう日が、まれにあります。
その日は、空気の色までうすい青にけむっていて、コトリはふと、遠くの「見えないなにか」が気になるような、そんな気分でした。
「海なんて、ここからじゃ見えないのにね」
森の木々がざわざわとゆれて、その音は波のように聞こえました。
葉のすき間をぬける風は、塩のかすかな香りを運んできます。
まるで森の底に、見えない海が流れているみたいでした。
そんな夜のこと。
コトリは、葉っぱのかげでしゃがみこむ、ひとりのおばけに出会いました。
そのおばけは、全身がしめった羽毛のようで、どこか塩のにおいがしていました。
肩には小さな貝がくっついていて、しずくがぽたり、ぽたりと落ちています。
「こんにちは」
「……」
「どうしたの?」
おばけは、うつむいたまま答えました。
「ぼく、まよってるの。行くべき場所も、帰る場所も、どこだったか、ぜんぶわからなくなって」
コトリはすこし考えて、それから言いました。
「それなら、灯台をさがしてみようよ」
「とうだい……?」
「うん。灯台って、海でまよったときに、遠くから帰る道を教えてくれるんだって。森のどこかにも、きっとそういう光があるはずだよ」
ふたりは、見えない海の方角に向かって歩き出しました。
霧がすこしずつこくなり、木の葉の音がしんと消えていく中、コトリとおばけは、言葉もなく進みつづけました。
足もとでは、小さな露がきらめいて、まるで夜空の星が地面に降りてきたようです。
やがて、遠くの高台に、ひとつの小さな塔が見えてきました。
それは、苔におおわれた古い灯台でした。
「あった……」
灯台は、長いあいだ誰にもつかわれていないようでしたが、塔のてっぺんには、まだ光をともす『こころ』がのこっているようでした。
灯台の中に入ると、ほこりだらけの階段と、ガラスのランプがありました。
ガラスには小さなひびがいくつも走っていて、でもそのすきまから、やさしい月の光がこぼれていました。
コトリはそっとランプに手をふれて、ぽつりと言いました。
「この光は、まよっている人にだけ見えるんだって。だから、ふつうの人には見えない。でも、あなたには、見えるよね」
おばけは、ふと目をひらいて、塔の上を見あげました。
その瞬間、塔の先から、ふわりとやわらかい光が夜空にのぼっていきました。
まるで海の波のように、しずかであたたかくて、「ここだよ」と、だれかをよぶような光。
霧の中にひろがって、森を包みこむように、やさしくひかりつづけます。
おばけは、その光をじっと見つめながら言いました。
「思い出した……ぼく、帰る場所があった。いなくなった家族に、『ありがとう』って、ちゃんと伝えたかったんだ」
コトリは、やさしくうなずきました。
「帰る場所がわかってよかったね」
「うん、ありがとう」
おばけは、光の方へふわりと身をまかせると、海の風にのって、すこしずつ、遠くへきえていきました。
灯台の光は、そのあともしばらくのあいだ、森の中をてらしていました。
それは、だれかがまよった夜に、そっと「だいじょうぶだよ」と伝える、小さな目印のような光。
その夜、コトリは小さくつぶやきました。
「帰る場所って、会いたい人を思い出すことなのかもしれないね」
そして、見えない海の方へ、そっと手をふりました。
風がやさしくゆれて、森の奥で、かすかに波の音がしました。
それはきっと、灯台の光が届いた、遠い海からのこたえでした。




