表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/108

コトリのなまえをわすれた日

 その朝、コトリはふしぎな夢を見ました。

 どこか知らない場所で、だれかがコトリを呼んでいる――けれど、その声がなんと言ったのか、思い出せません。

 目をさましたとき、コトリは気づきました。

 じぶんの名前を、わすれてしまっていることに。

「……あれ?」

 お母さんの声も、お友だちの笑顔も、ちゃんとそこにあるのに、

 その声が「自分の名前」を呼んでいるとわからないのです。

「わたし……だれだったっけ……?」


 コトリは森に出かけました。

 もしかしたら、森の中に、何か思い出すヒントがあるかもしれない。

 けれど、森のおばけたちに会っても、だれもコトリの名前を思い出してくれませんでした。

「きみ……だれだったっけ?」

「いつも来てる子だよね。でも、名前ってあったっけ?」

「名前って、大事なのかな?」

 そのときです。

 深い霧の奥から、ひとりの『なまえを持たないおばけ』があらわれました。

「こんにちは」

「こんにちは」

「あなたも名前をなくしたの?」

 おばけは、ふんわりと笑って言いました。

「ううん。わたしは、生まれたときから、『なまえ』がなかったの。

 だから、あなたのことが少し、うらやましい」

「うらやましい?」

「なまえがあるってことは、だれかがあなたを『あなた』として見つけてくれたってこと。でもそれを忘れたとき、人は少しだけ、すきとおってしまうのよ」

 コトリは、自分の手を見ました。

 ほんのすこしだけ、指先が光の中にまざって見えました。

「でも、なまえってほんとうは、だれかの心の中にある『音』みたいなものかもしれない」

「音……?」

「そう。たとえば、小さな羽の音だったり、だれかが笑ったときにうまれる音だったり……」


 そのとき。

 コトリの耳に、かすかな声がひびきました。

 ――コトリちゃん?

 それは、風のように、草のざわめきのように。

 でも、まちがいなく、だれかが、自分を「コトリ」と呼んでいる声でした。

「……あっ」

 その瞬間、コトリの胸の奥で、何かがやさしくひらきました。


 わたしは、コトリ。

 この森を歩いて、いろんなおばけに出会って、笑って、泣いて、不思議なことがたくさんあった。

 わすれていたのではなく、あまりにもたくさんの出会いが重なって、名前のかたちが変わってしまっていただけだったのです。

「思い出した?」

「うん。わたしの名前はコトリだよ」

 名前のないおばけは、ほっとしたように笑いました。

「よかった。『コトリ』って、いい名前ね。ちゃんと、風や空の音がする」

 コトリも笑いました。


 その日から、名前は前よりもずっと、「だれかとつながる音」のように感じられるようになりました。

 もしもまた、名前を忘れてしまう日がきたら、

 そのときは、森がきっと、そっと教えてくれるはずです。

「あなたは『コトリ』だよ」って。

 

 それは『名前』じゃなく、こころの中の、だれかにとっての、たしかな『音』のようなものだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ