ひかりの木とおばけの手紙
まよい森には、夜になるとぽうっと光る、不思議な木があります。
森の奥の奥、鳥たちの声も届かないほどしずかな場所。
昼間はほとんど人が足を踏み入れることのないその一角に、その木はひとりで立っていました。
幹は太く、苔におおわれ、枝は夜空へと大きくひらいています。
風が吹くたび、葉がかすかに鳴り、まるで星と語り合っているようでした。
人々はその木を「ひかりの木」と呼びます。
夜になると木の幹のすき間や枝の先がやさしく光りはじめ、森を淡く照らすからです。
その光は月の明かりよりもやわらかく、火のようにあたたかくもなく、ただ「想い」のようにそこにありました。
まるで、誰かの心の奥に灯る記憶の明かりのように。
ある夜のこと。
コトリは月あかりを頼りに、森の小道を歩いていました。
霧がうっすらとかかり、足もとで草がしずくをはじきます。
遠くでフクロウがなき、風が木々のあいだを通りぬけるたび、枝の影がゆらりゆらりと揺れました。
コトリの胸の奥には、どうしても消えない想いがありました。
言えなかったこと、伝えそびれたこと。
それを抱えたまま、コトリはただ歩きつづけ、ついにひかりの木の前にたどりついたのです。
木の枝には、たくさんの小さな手紙がむすばれていました。
どれも古びていて、角がやさしくすり切れ、赤い糸で枝に結ばれています。
夜風に吹かれるたび、手紙たちはかすかな音を立てて揺れました。
その音は、まるでだれかのささやきのようでした。
ひとつひとつの紙から、うすい光がこぼれ、木の幹に反射してきらめいています。
「これは……だれの手紙?」
コトリがつぶやいたそのとき。
木のかげから、ひとりのおばけがあらわれました。
白い衣のような光をまとい、やわらかな目をしたそのおばけは、まるで木の守り人のようでした。
「これはね、もう言えなくなった気持ちをしまった手紙なんだよ」
おばけの声は風のようにしずかでした。
「生きているあいだに伝えられなかったことが、だれにも届かないまま、ここに流れつくんだ」
おばけはひとつの手紙をそっと取りました。
古い紙で、ところどころ文字がにじんでいます。
「たとえば、これ。『おかあさん、ごめんなさい』って書いてある」
おばけは目を閉じ、やさしく微笑みました。
「きっと、ずっと言えなかった言葉なんだろうね」
コトリはその言葉を聞きながら、ゆっくり目を閉じました。
耳を澄ませると、風にゆれる手紙たちの音が、まるで遠い声のように聞こえてきます。
たくさんの気持ちが、かすかに、でも確かに息づいていました。
それは、涙のような言葉たち。
耳をすますと、ほら、聞こえます。
『ありがとう』
『さようなら』
『だいすき』
『あいたい』
『ごめんなさい』
言葉たちは、やさしい光の粒となって、木の枝でゆらめいていました。
その光が、コトリの頬にも淡く映りこみ、まるで木といっしょに呼吸しているようです。
「コトリちゃんも、なにか書いてみる?」
おばけがちいさな紙と鉛筆を差し出しました。
紙はほんのりあたたかく、鉛筆の芯はやわらかくすべるようでした。
コトリは少しだけ考えました。
思い出すのは、小さな頃の台所の匂い。
雨の日にいっしょに食べたおかゆの味。
そして、もう二度と会えないけれど、大好きだったおばあちゃんの笑顔。
コトリはゆっくりと手紙を書きました。
たったひとこと。
『おばあちゃん、またおかゆつくってね』
それを赤い糸で枝にむすびました。
風がやさしく吹き、手紙がふわりと揺れます。
その瞬間、どこか遠くで、おばあちゃんがふっと笑ったような気がしました。
同じとき、ひかりの木の高い枝で、ぽんっ、と小さな花がひらきました。
淡い金色の光がこぼれ、夜の森にちいさな星が生まれたように輝きました。
「だれかの思いが、届いたんだね」
おばけが、静かに言いました。
「手紙ってふしぎだね。書いただけで、すこし心があたたかくなる」
「うん」
コトリはうなずきました。
「言えなかった気持ちは、書くことで、ちょっとだけ届くのかもしれないね」
ふたりは並んで木を見上げました。
ひかりの木は、夜空を背景に、枝いっぱいに結ばれた手紙たちをゆらゆらと揺らしています。
月が雲のあいだから顔を出し、光の木の上でしずかにかがやきました。
風がやみ、森がしずまりかえると、木の光がいっそう強くなりました。
それは、夜の中で息づく「想い」の灯火。
見えなくなっても、声が届かなくなっても、たしかにそこにある誰かの願いの光。
ひかりの木は今夜も、たくさんの思い出を抱きしめながらしずかに、しずかに光りつづけていました。
まるで森じゅうが、やさしい手紙で包まれているように。