音をおとしたおばけ
あるしずかな夜のこと。
まよい森には、ふつうなら聞こえるはずの音が、すべて消えてしまっていました。
風は吹いているのに、葉のざわめきも、虫の声も、鳥のさえずりも、まるで音のない世界のようです。
コトリは、ふしぎそうに木々を見上げました。
「……どうして、きょうは森の音がないの?」
そのとき、木の陰から小さな光がふわりと浮かび上がり、コトリの前に現れました。
透明で小さなおばけです。目はまんまるで、少しうつむき加減。
「どうしよう……ぼく、音をなくしちゃったの……」
「えっ? どうゆうこと?」
コトリがびっくりして聞き返すと、おばけは小さくうなずきました。
「この森の音を、ぜんぶ運ぶのが、ぼくの仕事だったんだ。でも……手がすべっちゃって、落としちゃった」
コトリはそっと手を差し出しました。
「じゃあ、いっしょに探そう!」
おばけはふわっと笑い、コトリの手をにぎりました。
おばけの手はひやっと冷たいけれど、やさしさでいっぱいです。
二人は森の奥へ進みます。
苔の道はしっとりと濡れ、木々の間を通る風がかすかに匂いを運んできました。
「まずは、この森の葉っぱを聞いてみよう」
コトリは耳を澄ませ、手で葉をそっと触れます。
すると、かすかに「サワッ」という音が返ってきました。
「やっぱり、音はここに隠れてるんだね!」
おばけはうれしそうに飛び上がり、光の尾をひらひらさせます。
森の中で、コトリとおばけは次々と音を見つけていきました。
小川の水が石をこする音、夜の虫たちの小さな羽ばたき、木の根元で落ち葉がこすれる音……
でも、まだ足りません。
「まだ、森の奥のほうに、最後の音があるんだ」
おばけが言うので、コトリは息をひそめて進みました。
すると、大きな古い木の前で、ぽつんと小さな箱が光っています。
「これが……」
おばけはそっと箱を開けました。
中には、ふわふわと光る小さな音の粒が、もやのように浮かんでいました。
「ぼく……うまく運べなかったから、音がここに閉じ込められちゃったんだ」
おばけはうつむき、しょんぼりしています。
コトリはそっと箱の中の光を手ですくいました。
「だいじょうぶだよ。いっしょに森に返してあげよう」
ふたりは光の粒を手でつかみ、ひとつずつ森の空間に放っていきます。
光が空気に溶けると、森の音が少しずつ戻ってきました。
小川のせせらぎ、葉っぱのざわめき、虫の羽音……森が生き返るようです。
おばけは大きく深呼吸し、うれしそうに言いました。
「ありがとう、コトリちゃん」
森の中で、コトリとおばけは一緒に歩きながら、戻った音を楽しみました。
鳥の鳴き声に合わせておばけが跳ね、葉っぱの音に合わせてコトリが手を叩くと、森全体が小さな音楽を奏でているみたいです。
やがて夜が深くなるころ、森はやさしい調べに包まれました。
光るおばけは、森の奥へ戻っていきます。
でも、コトリはわかっていました。
「森の音は、きっとずっとここにある。みんなの笑顔や思いといっしょに」
コトリは小さく手を振り、まよい森のしずかな道を家へ向かって歩きはじめました。
夜風が髪をなで、葉の音がそっとささやきます。
まよい森は、今日も、そして明日も、やさしい音と光に包まれながら、だれかを待っているのでした。




