ふゆのねむりのおばけ
冬のまよい森は、音がすっかりとまってしまいます。
木々は息をひそめ、枝の先で氷の雫がひとつ、またひとつ、かすかに鳴るだけ。
雪はなにも言わずに降りつづき、世界をやわらかな白でおおっていきます。
すべての気配が、ゆっくりと、夢のなかへと沈んでいくようでした。
その朝、コトリはふと足を止めました。
足もとに、小さな足あとがひとすじ、雪の上につづいていたのです。
丸くて、すこし波うっていて、どう見ても人のものではありません。
まるで、ふんわりした“息”がそのまま雪を押したような跡。
コトリは首をかしげながら、それをたどりました。
白い息を吐くたびに、空気がひかりを含んで、きらきらと揺れます。
歩くたび、「ギュッ、ギュッ」と雪が鳴り、音はすぐに吸いこまれて消えていきました。
森の奥で、足あとがふっと途切れました。
そこには、まあるくぬくもった雪のくぼみがありました。
そのくぼみのなかに、ふわふわと眠るおばけがいました。
おばけは雪よりも白く、光のように透きとおっていて、ときどき、ほほえむように頬をゆるめながら、かすかにゆれていました。
すう、すう……
おばけの寝息は、雪の音とまじって、森の空気をやさしくゆらしていました。
コトリはそっと座りこみました。
おばけのまわりには、小さな木の実と、星のような光の粒が散らばっていました。
青、金、桃色……それぞれが淡くまたたき、雪の上をほのかに照らしています。
「きれいだなあ……」
コトリは光の粒にそっと指をのせました。
その瞬間、胸の奥でふわりとあたたかい夢がひらきました。
夢のなかで、コトリは懐かしい人といっしょにいました。
顔もなまえも思い出せないけれど、たしかに手のぬくもりを感じます。
ふたりは毛布にくるまり、しずかな雪の音をきいていました。
雪が降るたび、世界がやさしく息をしているような、しんとした音。
時間が止まり、こころだけがゆっくり呼吸しているようでした。
夢の終わりに、その人が言いました。
「冬の眠りは、こころを休めるまほう。目をとじて、すべてを手ばなしなさい。だいじなことは、春がちゃんと教えてくれるから」
「手ばなす……?」
とコトリがたずねると、その人は微笑みました。
「いやな気持ちも、こわかったことも、さみしさも、ぜんぶ、雪のなかにあずけて休むの。冬はね、世界がいちど深呼吸をする季節だから」
コトリははっとしました。
胸のなかに、いろんな気持ちがつまっていたことに気づいたのです。
うまくいかなかったこと、言えなかったこと、もう会えない人のこと……
そのすべてが、雪のようにすこしずつやわらいでいきました。
そして、コトリが目をさますと。
ふわふわのおばけは、まだ目をとじたまま、ゆるやかな光の息をしながら、雪のなかへと沈んでいきました。
その姿はやがて溶け、風といっしょに森の奥へと流れていきます。
あとに残ったのは、ひとつの光の粒。
コトリはそれを両手で包みました。
光はほんのりとあたたかく、脈うつようにやさしくひかっていました。
耳をすますと、どこかで小さな声が聞こえました。
「おやすみ」
コトリは光を胸のなかにしまい、雪の上で目をとじました。
世界が白くゆれて、すべての音が遠くで溶けていきます。
眠ることは、こころを休めること。
冬の眠りは、たくさんの気持ちを手ばなして、また歩きだすための、やさしいまほうなのです。
そして、冬が終わるころ。
まよい森の雪がとけはじめた朝。
木の根もとに、ひとつの光の芽がきらりと生まれました。
それは、ふゆのねむりのおばけがのこした、やすらぎの種。
風がふくたび、その芽は小さくゆれて、まだ見ぬ春のあしおとを、しずかにまっていました。




