えがおをわすれたおばけ
ある夜のこと、コトリは森の小道をゆっくり歩いていました。
月は高く、銀色の光を森に落としています。
風はひんやりとしていて、葉っぱのざわめきと虫の声が静かに重なっていました。
でも、どこかしんとした空気の中に、小さなため息のような音が混ざっているのを、コトリは感じました。
「……だれかいるのかな?」
音のする方にそっと足を運ぶと、茂みの陰に小さなおばけが座っていました。
体は薄い灰色で、少しだけ形がくずれているようにも見えます。
目はぱっちりしていますが、まるで何かを忘れてしまったかのように、うつむいていました。
「こんにちは」
コトリが声をかけると、おばけはびくっと体を震わせました。
「……だれ?」
「わたしはコトリ。なにか困っているの?」
おばけはうつむいたまま、こくんとうなずきました。
「わたし……笑顔をわすれちゃったの」
コトリは少し驚きました。
「笑顔をわすれたって……どういうこと?」
「昔、森の奥でたくさんあそんでいたんだ。でも、だれも見てくれなくなって、声も届かなくなって……気づいたら笑うことをわすれていた」
おばけは小さな肩をすくめ、しずかにため息をつきました。
コトリはそっと手を差し出しました。
「だいじょうぶ。わたしが一緒に笑顔を探してあげる」
コトリとおばけは森の中を歩きながら、笑顔を探す冒険をはじめました。
ふかふかの苔の道をぺたんぺたんと歩き、小さな虫たちのささやきに耳をすませます。
「見て、あの葉っぱ、光ってるよ!」
ふたりが見上げると、月明かりに照らされた葉っぱがほんのり金色に光っています。
「わあ、きれい……」
おばけの目にも、少しずつ光が戻ってきました。
歩いていると、小さな泉にたどり着きました。
水面は月の光を映してゆらゆら揺れ、そこに映る影はふたりだけ。
「ここで水に映った自分を見てごらん」
コトリが笑顔で言うと、おばけはそっと水面をのぞきました。
最初は影がぼんやりとしていました。
でも、月の光とコトリの笑顔を見ているうちに、影が少しずつ形を取り戻します。
そして……ふっと口元がゆるんで、ほんの小さな笑顔が浮かんだのです。
「わ……笑った!」
おばけはびっくりしながらも、うれしそうに体をふわふわ揺らしました。
「まだ、ちょっとしか覚えてないけど……笑顔って、あったかいね」
コトリはにっこり笑って、おばけの手をそっと握りました。
「だいじょうぶ。少しずつ取り戻せばいいんだよ」
そのとき、森の奥からふわりと甘い香りが漂ってきました。
「なにか匂う……お花?」
香りのする方へ進むと、月の光に照らされて、小さな白い花がぽつぽつと咲いていました。
「これは“月の花”っていうんだよ」
小さなおばけがひそひそ声で教えてくれました。
「月の光だけで咲く特別な花。笑顔をわすれた者が見ると、思い出すんだって」
コトリとおばけは花のまわりで手をつなぎ、そっと目を閉じました。
風がそよぎ、月の光が花びらに当たって淡く光ります。
おばけはふっと体をふるわせ、小さな笑い声をあげました。
「わあ……笑顔って、こんなにふしぎでやさしいんだ」
二人は森の中で夜が明けるまで、花と笑顔を楽しみました。
コトリはおばけの笑顔がだんだんと大きくなっていくのを見て、心がじんわりあたたかくなりました。
やがて朝が来て、森がうっすらオレンジ色に染まります。
「ありがとう、コトリちゃん。もう、ひとりでも笑える気がするよ」
おばけはふわっと空に浮かび、光る月の花をそっと抱きしめました。
「また来てね」
コトリは手を振りながら、森をあとにしました。
その日から、まよい森には小さな笑い声が増えました。
葉のざわめきや風のささやきに、子どもたちのような笑顔が混ざっています。
森の奥に行くと、時折小さな影がふわっと現れて、にっこりと微笑んでくれます。
コトリはそっと手を振りながら、心の中で思いました。
「まよい森は、見えないけれど、大切なものを守ってくれているんだ」
そして今日も、森はやさしい笑顔でしずかに息をしていました。




