あさつゆのおばけ
まよい森の朝は、霧に包まれてしずかです。
草の葉や木の枝には、夜の間にたまった小さなつゆが光り、まるで森全体が透明な宝石で飾られているかのようでした。
コトリは、霧のなかを歩きながら、ふと足元の葉っぱの上で小さな光が揺れるのに気づきました。
近づいてよく見ると、それはちいさな水滴ではなく、まるで生きているかのように、ゆらゆらと光るつゆのおばけでした。
「わあ……あなたは、おばけ?」
おばけは首をかしげるように小さく揺れ、葉っぱの上をころころと転がりました。
体は透明で、でも内側から温かく光っていて、触れたら消えてしまいそうな繊細さです。
『そう。わたしは、朝のつゆから生まれるおばけ』
言葉は聞こえません。
でもコトリには、ほんの少しの風や光の揺れで、それが伝わります。
『夜の森で小さなやさしさや、忘れられた思い出が溜まると、朝のつゆになる。わたしはそれを集めて、だれかの心にそっと届けるの』
コトリはそのやさしい気配に、自然と手を差し出しました。
すると、つゆのおばけはころころと手のひらに飛び乗り、冷たくもなく、やわらかく温かい感触が伝わってきます。
まるで森の朝の光をそのまま握ったような感覚です。
森の奥に進むと、つゆのおばけは小さな葉っぱや木の枝を一つずつ見回りながら、光をちらちらと落としていきます。
落ち葉の上に、朝の光が反射して、小さな虹色の光の橋ができました。
それは、森のなかで迷子になった思い出や、誰かが忘れかけたやさしさを運ぶ橋のようです。
『小さなやさしさは、朝になると目に見える形になる。でも、見えるからといって、すべてが人のものになるわけではない。そっと、誰かの胸に届くためにあるだけ』
コトリはうなずきました。
「わかるよ。見えなくても、ちゃんとここにあるんだね」
つゆのおばけは、葉っぱの上でくるくると跳ねると、森の奥へ向かって光を飛ばしはじめました。
飛んだ光は、小さな草の陰や木の根もと、川のせせらぎに反射して、まるで森全体が生きているかのようにかがやきます。
そのとき、森のほかのおばけたちも現れました。
ふわふわのおばけ、もじゃもじゃのおばけ、顔のないおばけ……つゆのおばけと同じように、森の小さな思い出ややさしさを運んでいるのです。
『わたしは、朝のつゆだけれど、森のすべてとつながっている』
コトリはその光景をじっと見つめながら、胸の奥がじんわりあたたかくなるのを感じました。
まよい森には、目に見えないやさしさや思い出が、こんなふうにそっと守られているのだとわかりました。
やがて、太陽が森の上にのぼり、つゆのおばけは朝の光に溶けていきました。
でも、残された光の粒や葉の上のつややかさが、森のやさしさの証しです。
コトリは手を伸ばし、光をすくうようにひとつの粒をつかみました。
「ありがとう。わたし、わすれない」
森の静けさのなかで、つゆのおばけは今日も小さなやさしさを運び続けます。
見えなくても、消えても、その光はだれかの心のなかに確かに残っているのです。
そしてコトリは、まよい森の奥にまだまだ知らないおばけたちがいることを、そっと感じながら歩きました。