番外編・おとなになったコトリ
コトリは大人になりました。
いまはにぎやかな町で暮らし、絵本を作る仕事をしています。
電車の音、信号の点滅、ビルの窓に映る光……
毎日、人の声にまぎれて歩き、買い物袋をさげて、エレベーターに乗って、明るい部屋に帰って。
まよい森のしずけさとはまるでちがう、あわただしい日々。
けれど、その中でふとした瞬間に、コトリはよみがえるような感覚をおぼえることがあります。
カフェの窓辺に落ちる朝の光の粒が、葉っぱのしずくのように見えるとき。
夕暮れに吹きぬける風が、森の奥のやさしい風に似ているとき。
胸の奥に、あのころの小さな鼓動がひとしずく、そっとあらわれるのです。
ある晩。
コトリは町のなかで、ふしぎな気配に気づきました。
仕事帰りの駅の階段のすみに、ひとつだけ、なにかが落ちていたのです。
足音とアナウンスが重なり合う中、そこだけ時間がやわらかく沈んでいるような場所でした。
それは、とても小さな光のつぶ。
通り過ぎる人にはただのゴミのかけらのようにしか見えないでしょう。
でもコトリには、すぐにわかりました。
「あ……」
それは、あの頃、まよい森で何度も見た、「おばけたちののこしていったやさしさ」だったのです。
コトリは、光を手のひらにそっとのせて言いました。
「ここにも……いるのね」
光のつぶは、かすかにふるえ、うれしそうに光りました。
町の明かりにまぎれながら、それはかすかな命のように胸の奥へすべりこんできました。
その日から。
町のあちこちで、コトリはおばけの気配を見つけるようになります。
なくした鍵が、ポストの上にそっと置かれていた朝。
夜のベンチに、古びたぬいぐるみがぽつんと座っていた夜。
すれちがいざま、見知らぬ人から「たいせつにね」と声をかけられた日。
そのどれもが、さりげなく、やさしさだけを置いていった気配でした。
そんなとき、コトリは心のなかで、そっとつぶやきます。
「あなたたち、まだどこかにいるんだね」
そしてある日。
絵本のサイン会で、一人の小さな女の子がやってきました。
その子は、家の近くの森の話ばかりするのです。
「わたし、夜になると、葉っぱの声が聞こえるの」
「朝、しずくがおしゃべりするよ」
「おばけ、ってさみしくないんだね」
女の子の声は、むかし自分が話していた言葉と重なり、胸の奥でやさしくひびきました。
コトリは目を細めて、しずかに言いました。
「……あなたにも、見えるのね」
サインを書き終えたその絵本の裏表紙に、コトリは小さな絵を描きました。
それはかつて自分が見た、おばけのひとつ。「姿のないやさしさ」のかたち。
女の子は絵を見て、ぱっと笑いました。
「これ、わたしの見たのとおんなじ!」
そして、コトリの手をぎゅっとにぎって言いました。
「ありがとう。あなた、大人なのに……まだ、覚えててくれてるんだね」
その言葉に、コトリの胸の奥が、すこしだけ熱くなりました。
光のつぶがひとつ、胸の奥でやさしく弾けるような感覚。
あの日、森でおばけたちに受けとったものが、いままた別の子へつながっていくのを感じました。
そしてその夜。
ベランダのすみに、風がふわりと吹きました。
夜景の光が遠くで瞬く中、コトリの耳元で、やさしい声がささやいたような気がしました。
「おかえり」




