ふりをしているおばけ
ある日、コトリはまよい森でひとりの女の子に出会いました。
年はコトリと同じくらい。赤いくつに、白いリボン。
朝の光をうけて、女の子の髪がふわりと揺れ、風のなかに細い笑い声がひびきました。
どこかで見たことのあるような、そんな子でした。
「こんにちは」
「こんにちは」
ふたりはすぐに打ちとけて、一緒にまよい森のなかを歩きました。
木の葉のあいだからこぼれる光が、女の子の肩にすべっては消え、また現れます。
その横顔は、懐かしいのに、今にも霧のように消えてしまいそうでした。
でも、ふしぎなことがいくつもありました。
その子は、木の実の名前をぜんぶ知っていて、コトリが見たことのない近道や隠れ場所を、まるで地図を持っているみたいに案内しました。
まよい森の奥の奥、鳥もまだ歌わない影の中を、女の子は迷わず歩いていきます。
「どうしてそんなに、森のことを知ってるの?」
コトリがたずねると、女の子はちょっとだけ困ったように笑って言いました。
「だって、わたしは……ずっとここにいたから」
その声はやさしいのに、どこかひっかかるような響きを持っていました。
歩きながら、女の子はときどき遠くを見るような目をして、葉っぱをなでたり、土に触れたりしていました。
その子と別れたあと。
家にもどったコトリはふと、思い出しました。
その子のくつとリボンは、むかし自分が森に落としてしまったものとそっくりだったのです。
胸の奥が、ゆっくりと水に沈んでいくような感覚がしました。
次の日、同じ場所に行ってみると、その子はまたそこにいて、同じように笑っていました。
鳥の声、葉のそよぎ、すべてが昨日と同じように見えるのに、空気の奥に、かすかな冷たさがありました。
「あなた……ほんとうは、だれ?」
そうたずねると、その子はしばらく黙って、やがて、すこしずつ姿を変えはじめました。
服がしずくのようにゆれて、顔がかすみのようにゆらぎ、やがてそこに立っていたのは、コトリそっくりのおばけでした。
「ごめんなさい。わたしは、だれかのふりをしていないと、ここにいられないの」
おばけは言いました。
「わたしは、だれにもおぼえられなかった思い出から生まれたおばけ。だれかのふりをしているときだけ、ほんとうに生きていられるの。本当の自分は、もうどこにもいないから」
その声は風の奥のほうから聞こえるみたいにかすかで、聞いているだけで胸の奥がしんと冷えるようでした。
コトリはしばらく黙って、そして言いました。
「わたしは、わたしのふりなんてしてないあなたと、おしゃべりがしたいよ」
コトリは続けて言いました。
「もしあなたのことを知ってる人がいないなら、わたしがあなたのことを知ってる人になってもいい?」
そのとき、おばけは、すこしだけ泣きそうな顔をして、それでもうれしそうに、かすかにうなずきました。
その瞬間、森の奥から風がすっとふきぬけ、おばけの姿はやわらかい光のつぶになって、ひらひらと舞い、木々のあいだからこぼれる光の中に消えていきました。
その夜。コトリの夢のなかで、小さな声がささやきました。
「ありがとう。だれかのふりじゃなくて、『わたし』でいられた時間が、たしかに、ここにあったことを……あなたが知ってくれてうれしかった」
夢の底にひろがる森は、昼よりも青く、しずかで、どこからともなく、ひとつだけ涙のような光が落ちてきました。
だれかのふりをしているときにしか、生きられないおばけもいる。
でも、そのふりの奥にあるほんとうの姿を、見つけてくれる人が、どこかにいるかもしれない。
だからおばけは、今日もまた、だれかの影にそっとしのびこみながら、「ほんとうの自分」と出会える日を待っているのです。




