よるのひかりおばけ
その夜、まよい森は、ふかいしずけさに包まれていました。
風も息をひそめ、木々の葉はひとつも動かず、ただ遠くで小川の水がかすかに流れているだけ。
空には雲がなく、まるい月が、森じゅうを青白く照らしていました。
コトリは、小さなランタンを手に、森の奥を歩いていました。
ランタンの灯りは、ひとりぶんの心臓の音のようにゆらゆらと揺れ、足もとには、夜露をまとった草の匂いがひろがっています。
どこかでふと、光が動きました。
火の粉のようでもあり、星のかけらのようでもありました。
コトリは息をのんで、立ち止まりました。
光は、木のあいだからふわりと現れました。
それは、月の光をまとった小さなおばけ。
形のない光が、人のような、鳥のような、けれどどちらでもない“気配”として、コトリの前にたたずんでいました。
「こんばんは」
コトリがそっと声をかけると、おばけは光を少し明るくして答えました。
「あなた、夜にだけ出てくるの?」
「うん。わたしは“よるのひかり”。昼のあいだ、地面に落ちた光たちを拾いあつめて、夜にかえすの」
「ひかりを……かえす?」
「そう。ひとは、朝になるとあたらしい光をもらうけれど、その日のあいだに、たくさん落としていくの。涙の影とか、言えなかった言葉とか、そういうものにくっついた光をね。だから、夜はそれをそっと拾って、また空に返してあげるの」
おばけの声は、まるで水面をなでる風のように、しずかで、やさしかった。
コトリはランタンを見下ろしました。
その中の灯が、ふしぎにおばけの光と重なって、まるで二人のあいだに、ひとつの小さな月が生まれたようでした。
「わたしも、ひかりを拾えるかな?」
コトリがたずねると、おばけは笑うように揺れました。
「きっと、もう拾ってるよ。あなたの歩いたあとには、いつもやさしい灯りがのこっているから」
その言葉を聞いたとき、コトリの胸の奥が、あたたかくなりました。
思い返せば、森で出会ったたくさんの“やさしさ”たち。
どんぐりをそっと置いてくれたおばけ、落とした手袋をかけてくれた風、花のねいろを残していった春の光。
それらはみんな、きっとこの「よるのひかり」が見守っていたのだと思えたのです。
「ねえ、夜って、どうしてこんなにしずかなんだろう」
コトリがつぶやくと、おばけは少し間をおいて言いました。
「それはね、世界が“思い出している”時間だからよ。昼に見えなかったもの、消えてしまったものを、夜はそっと拾いなおすの。だから、しずかなの」
コトリはその言葉に、しずかにうなずきました。
森の空気は透きとおっていて、月の光は、枝の先まで染みこんでいるようでした。
ランタンの灯を消しても、まわりは少しも暗くなりませんでした。
森そのものが、やさしい光をまとっていたのです。
おばけは、コトリの手をすり抜けるようにして、ゆっくりと空にのぼっていきました。
そのあとを追うように、小さな光の粒がいくつもあらわれ、森の上空に、まるで星座のような模様を描きました。
その中のひとつが、コトリの足もとに落ちました。
それは、夜露にぬれた花びらの上で、かすかに瞬いていました。
コトリはそれをそっと拾って、ポケットにしまいました。
「これ、わたしのひかり?」
「うん」
おばけの声が、風の中でかすかに返ってきました。
「それは“あなたが見つけたやさしさ”のひかり。持っているかぎり、夜がこわくなくなるよ」
コトリが森の外れまで歩いていくと、東の空がほんのり明るみはじめていました。
空気の中に、夜の光がまだ少しだけ漂っていて、まるで見えない花びらが、朝へと帰っていくようでした。
ポケットのなかの光は、もう見えなくなっていました。
けれど、胸のあたりがほのかにあたたかく、コトリはそのまましずかに目を閉じて、夜の終わりの音を、しずかに聞いていました。
夜が明けても、光は消えない。
それは、見えなくなっても心の底で生きつづける、「やさしさのひかり」。