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「隣国には『穢れの森』と呼ばれている場所があります。かつてはフェンリルが森の主として住まう、清浄な場所だったのですが……」
領主様曰く、隣国にはかつて、ゼフィールと同じく女神様の眷属にあたる、神獣フェンリルが支配する清浄な森があったのだという。しかし、フェンリルの力を欲したその地の領主が、生贄を大量に使った悪しき儀式を行ったせいで、森は穢れ切ってしまい、フェンリルも邪に堕ちてしまったのだそうだ。
今では森のそば近くにあった村も含めて人が近寄れない地域となっているらしい。
「なにそのホラーな村」
『ほらーとはなんだ? しかし、その森は放置できぬな。あやめよ、浄化へ赴こう』
「うえぇ。近寄りたくないよぉ」
生贄って、一体なにをしたんだその土地の領主……!
気持ち悪さと怖さにげんなりしながらも、聖女として浄化を終えないと元の世界に帰る目処が立たないらしい以上、やらないわけにもいかない。
それに、フェンリルって実質ワンちゃんでしょう? 穢れに染まって闇に堕ちてしまったなら、助けてあげないとだものね。
私は、ワンちゃんには無限に優しいのだ。
さて、食事を終えた私は、領主様の館の客間に案内してもらう。ベッドはふかふかで、これまで止まった宿屋とは比べるべくもない。
「ふわぁ。つっかれたー」
『よく頑張ったな、あやめよ。今日はよく休むとよい』
私がベッドにばたんと沈むと、ゼフィールも小さな体で私の隣に潜り込んできた。なんだこいつ、かわいいな。
肩の辺りで丸まるゼフィールの、ふわふわな羽毛を撫でながら、私は夢の世界へと堕ちていった。
翌朝、領主館のお庭を借りて、ゼフィールは元の大きな姿に戻ってもらう。
「聖女様、竜様、この度はありがとうございました」
「ありがとうございましたー!」
領主様とそのお嬢様が、庭で見送りに来てくれた。少し大きくなったゼフィールに気圧されているみたいだけれど、初日のように怯え切ってはいない。あのかわいい小さな姿のゼフィールを見慣れたおかげだろうか。
朝ごはんにフルーツ盛り合わせをもらってご機嫌なゼフィールは、渦巻く風を使って私をその背に乗せると、グッと両脚に力を込めた。
『息災でな、ダックスの領主よ』
風の見えない帯で、シートベルトのようにゼフィールの背中に密着させられた私は、それでも落ちるか怖くてゼフィールの毛にしがみつく。
ぐん、と翼が上下し、ふわりとゼフィールの体が浮かんだ。よく考えたら、この翼の大きさで、この巨体をどうやって持ち上げているのだろう。どうも翼の羽ばたきだけでなく、魔法的な力も働いているようで、やけに滑らかに飛び立った。
「うわ、浮いてる浮いてる……! こわ!」
『そう怯えるな。我が魔法を使っているゆえ、落ちることはない』
ゼフィールはそういうけれど、本能的に怖いものは怖い。だって、飛行機とかとは違って体が空の下に晒されている状態で浮いているのだ。これが高所恐怖症の人だったら失神しているに違いない。
ゼフィールはどんどんと高度を上げて、天高く舞い上がっていく。乗合馬車と比べたら乗り心地は文字通り天と地の差だけれど、それはそれとしてやっぱり怖くて、お尻のあたりがモゾモゾする。
『ひとっ飛びですぐにつくゆえ、しばらくの間だけ我慢するがよい』
私がモゾモゾしていると、ゼフィールが呆れたようにそう言った。その言葉の通り、眼下の景色は飛ぶように過ぎていき、あっという間に大きな山の上を飛び越えてしまう。いくつかの村や街を通り過ぎる頃には、私も高さに慣れて景色を楽しむ余裕も出てきた。
雲が視界の下の方をふわふわと流れていて、それが非現実的な感覚で新鮮だった。
『少しは慣れたか? あやめ』
「うん、ゼフィールありがとう。すごいスピードで移動できてるね」
『当たり前だ、我は神獣ぞ』
「ねえ、その神獣ってなんなの? フェンリルも神獣だったって話だけど」
なんだか凄そうなことはわかるけれど、実際に神獣というのがなんなのかは詳しく知らない。
『この世界の正常な運行を行えるように気の流れを整える精霊のことだ。女神様の眷属にあたるが、稀に穢れに染まりきると邪に堕ちることがある。我の戦った邪竜もまたその類だな』
初めてゼフィールにあった時、ボロボロだったのは邪竜との戦いの結果だと言っていた。その邪竜もまた、神獣だったのか。
「穢れっていうのは、結局なんなの?」
なんとなくで浄化しているけれど、結局穢れってなんなんだろう。
『死した人間の恨みや怨念が溜まっていくと、気の流れが滞る。それが穢れだ。気の流れが滞れば神獣も正常な理性を失い暴れるようになるし、人間の魔法の力も正常に発動しなくなる。作物も育たなくなり、大地は荒野と化すのだ』
「そんなに厄介なものなんだ」
気の流れ、というのもイマイチ想像できなかったのでそれもゼフィールに聞くと、気の流れというのは自然界における魔素と言うやつの流れで、それが循環していくことで世界が正常に維持されているらしい。個体の中を流れる魔素を魔力、自然の大気を流れる魔素を気の流れと呼んでいるのだとか。
この辺の話になってくると、ゼフィールの説明も複雑でなかなか理解するのが難しい。
そんな話をしているうちに、あっという間に隣国の辺境にたどり着いた。