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この世界でトリマーをする決意をしたはいいものの、まずは食事を済ませなきゃならない。すっかり日は落ちているし、半日も歩き通しだったのだ。お腹はぺこぺこだった。
ベッドから起き上がり、階下の食堂へと降りていく。
小さな村だけあって食堂も小さく、食事を摂っている人もまばらだ。
「いらっしゃい。注文は何かね」
壁に掛けられたメニュー表は、異世界の文字で書かれていたが、なぜだかそれも理解することができた。そういえば、不思議と言葉も通じているけれど、それも女神様の加護とやらなのかな。
私は、鶏肉と芋の煮込みと、茹で枝豆を頼むと、お行儀が悪いと知りながらも机の上に肘をついてため息を吐いた。
この世界はいったい何なんだろう。食べ物は、地球とよく似ている。けど、竜は居るし、移動は馬車だし、女神様の加護で不思議なスキルも使うことができる。
私がベッドの上で見ている悪い夢ならまだいいのだけれど、今のところ目覚める気配は感じない。
『どうした、深いため息なぞ吐いて』
「この世界から帰れないもんかなぁと思って」
『今のところは無理であろうな。この世界は穢れが多すぎる。女神が帰すはずもなかろうよ』
ゼフィールは小さな羽をスサーと伸ばして、手のひらサイズになった体を柔軟している。呑気なものだ。こっちがこれだけ悩んでいるというのに。
それに、この世界の女神は穢れが祓われるまで帰してくれないらしい。何とも身勝手な神様らしかった。
——って。
「穢れを祓い切れば、帰してもらえる可能性もあるってこと?」
『ん? いや、帰る方法があるのかは知らんが。仮にあったとて、穢れを祓うまでは女神が手放さないだろうということだ』
「何それ、期待しちゃったじゃん!」
仮に帰る方法が見つかったとしても、穢れを浄化するまでは帰してもらえないのか。じゃあ、穢れを浄化ってどうしたらいいんだって話だけれど。
私が愚痴っていると、そこへおかみさんから料理が配膳される。鶏肉と芋の煮込みはほかほかと湯気が立っていて、見た感じ美味しそうだ。
異世界の料理とはいえ、見た目は元の世界のものと変わらない。匙を入れて一口。塩と、おそらくは鶏ガラの出汁だけで味つけられたその煮込み料理は、派手さはないけれど、滋味に満ちた味わいが口の中に広がる。
「結構美味しいじゃない」
『ふむ。我も一口もらおうか』
ゼフィールも食べたがったので、匙で一口分小さく切り分けて口元に運んでやる。ゼフィールは普段は大気の魔力を吸って生きているらしいけれど、趣味でも食事を摂ることがあるんだそうだ。人間の料理というのは、さまざまな味わいがして飽きないらしい。
『うむ、なかなか美味いな』
一人と一匹で分け合いながら食事を終えて、部屋へ戻る。
ごろん、と再びベッドに大の字になって、見慣れぬ天井を見上げた。
日本ではそうそう見かけないほど古い木造造りの天井は、紛れもなくここが異世界であることを思い知らせてくる。
「次は隣国の大きな街を目指して、トリマーとして身を立てて、元の世界へ帰る方法を探しながら浄化とやらをして……」
この先の行動指針を考えながら、目を瞑った。
兎にも角にも、身勝手に召喚して追い出してきたこの国にはいたくない。別の国に移動しつつ、トリマーとして生活の目処を立てるしかないだろう。
こんな状況で眠れるか不安だったが、昼間歩き通しだった疲れで体は泥のように重い。倦怠感に支配され、意識は眠りの渦へと引き摺り込まれていった。
翌朝、私は食堂でパンと目玉焼き、サラダの朝食を摂る。パンはどこか酸味のあるライ麦パンのような黒褐色のパンで、バターをたっぷりと塗ると酸味がマイルドになって美味しい。素朴な味わいだ。
「まあ、慣れようと思えば、慣れるかな」
何となくこの世界にも順応しつつある自分がいる。
食生活や基本的な生活習慣に、そこまで大きなズレを感じないのが大きいかもしれない。とはいえ、文化レベルは遥かに昔のものなのだけれど。極端な田舎暮らしをしているようなものだと思えば、耐えられる範囲だった。
「乗合馬車がくるのはもう少し先かぁ」
馬車に乗って、次の街へ行く予定だった。流石にもう歩いての旅はきついのだ。
昼頃に到着した乗合馬車に乗って、隣街を目指す。だが、馬車に乗って数時間が経つころには私は後悔していた。
あまりにもお尻が痛い!
正直、これだったら怖くてもゼフィールの背中に乗ってひとっ飛びした方がマシだったかもしれない。すでにお尻は限界を迎え、耐え難い激痛が走っているが、乗車料金は先払いしてしまった。こんなところで降りるわけにもいかない。
私は次の移動こそはゼフィールに乗って隣国まで飛んでもらおうと決意して、馬車での移動に耐え忍んだ。