予断を許さない
手元からひまわりへ、水飛沫が弧を描く。
心なしかひまわりが元気を取り戻したように感じられて、ゆめは小さく口角をあげた。
真上を見れば、真っ青な空と射抜くような太陽。中庭は教室とは違い、とても蒸し暑い。ゆめはスカートの裾を両手で掴むと、勢いよくはためかせた。
「熱いよねえ。特に中庭はほんっとに蒸し蒸しすんの~。夏は暑いのに冬は寒い!みんながあんまり中庭に来ないのも納得~。だからこそあたしらが占有できるわけなんだけどね」
スカートの中に風を送るゆめを見て、まりんも自分の胸元をパタパタと仰いだ。しかし、熱は一向にひかないのか、まりんは上靴と靴下を脱ぎ捨てると、シャワーヘッドを足に向けて水をかけ始めた。
「ゆめりんもおいで~。そっちのホースあんま伸びないから、こっちのホースで水浴びしよ~」
手招くまりんに、ゆめはパっと顔を明るくさせた。
彼女同様上靴と靴下を脱ぐと、水が弧を描きゆめの素足に落ちてくる。
冷たい。けれど、気持ちいい。
ゆめはまりんの隣に移動すると、二人仲良く冷水の恩恵を受けることにした。
「そういえば。さっきゆめりん、とわっちにお礼言ってたけどなんかあったの?」
まりんの問いにゆめは頷く。そして、先日のことを大まかに彼女に説明した。
それを聞くや否や、まりんは顔をしかめて「…ああ、あの日ね」と呟く。心なしか、彼女の声色が低くなったような気がした。
「…ねえ、まりん。その日、何かあったの?」
「うーん…。まあ、クラスメートは全員知ってることだし…。ゆめりんはつっきーがいじめられてるのは知ってる?」
「え、合葉さんが…?」
「そう。つっきー、めちゃくちゃいい子じゃん。それなのになにが気に入らないのか、つっきーのこと目の敵にしてる女子たちがいんの」
ひどく不機嫌そうにまりんは眉間に皺を寄せた。
彼女の説明はこうだ。
先日、いつも通りにつきが登校すると、クラスメートの女子数人が笑いながらつきの様子を窺っていたそうだ。つきは不思議に思いながらも、自分のことをよく思っていない生徒がいることは知っていたので、特に気にはしなかった。つきと一緒にいたまりんととわこも、つきが気にしないならと自分の席に戻ったのだが…つきが机の中に手を入れた瞬間、悲劇は起こった。
画鋲と剥き出しのカッターナイフ、それから大量のセミの死骸。それらがつきの机の中から出てきた。
つきは驚きのあまり硬直していたが、つきの様子に気づいたとわこが彼女の机の中身を教室にぶちまけ事態は発覚した。
まりんは咄嗟につきを抱き締め、悪意ある眼差しを向ける生徒たちの視線から守った。それに対し、とわこは完全に頭に血が上ったのか、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる女生徒の胸倉を掴むと、一切の躊躇なくぶん殴った。該当の生徒たちは背中から地面に倒れたが、とわこは怒りが収まらないのか、目についたセミの死骸を加害者の口の中に捩じ込む始末。
それには流石のまりんもドン引きし、そこでようやく意識を取り戻したつきがとわこを止めようと立ち上がった。その時。
パンッ!
と、手を叩く音。
クラス中がその音の出どころを目で追うと、今まで静観していた夜桜みことが、実に美しい笑顔を浮かべて立っていた。
『みなさん。静粛に』
そう言ったみことは有無を言わせむ瞳でクラスメート全員と視線を合わせる。加害者はみことと目が合った瞬間身体を震わせ、皆一様に教卓の影に姿を隠した。まりんもみことの瞳を見て寒気を覚えたが、とわこだけは最後までみことを睨みつけていたそうだ。
「ーーこんな感じかな。それから、みこっちゃんが呼んできた先生たちが教室に駆けつけて、とわっちといじめ集団は強制連行。あたしとつっきーは気分転換に中庭で休憩してたってわけ」
「そんなことが…あったんだ…」
息を吐くように呟いたゆめにまりんは力なく頷く。
「とわっちはさ、不良とか、喧嘩しまくりのやべえやつ、とか色々言われてるけど、ぜーんぶつっきーを守るためにやったことなんだよ。何の理由もなくとわっちが暴力を振るったことなんか一回もないかんね。…まあ、セミをいじめっこたちの口に入れたのは、ちょっと引いたけど…」
「う、うん…そうだね…。でも、そっか。みことが場を収めてくれたんだ…。だったら隠すことなんかないのに。なんで話してくれなかったんだろう…」
「あー…、ゆめりんって、みこっちゃんと仲いいんだっけ?」
「うん、幼馴染」
まりんに返答しながら、ゆめは先日のとわこのことを思い出した。
彼女が素行の悪い生徒だということは有名だが、ゆめは悪い印象を抱かなかった。その理由は分からなかったが、今のまりんの話で合点がいった。都留田とわこという人物は優しいのだ。人を殴ることは関心しないけれど〝力〟を自分ではなく他人のために使うことができる、強くて優しい人間なのだ。…本当に、人を殴ることは関心しないけれど。
百面相しながら思案するゆめを見て、まりんは小さく呟く。
ゆめには決して聞こえない声で。
「…ゆめりんには悪いけど、あたしはちょっと怖いんだよな、みこっちゃん」