鬼の居ぬ間に洗濯
中庭でつきと話をしてから数週間、ゆめは一度も中庭に足を踏み入れていなかった。
ゆめ本人としては、あの美しいひまわりの園をもう一度見たいと思っているのだが、どこへ行くにもみことが一緒で中庭に行く機会は訪れなかった。
どこへ行くにも一緒ーーそれはこれまでもそうだったが、中庭でつきと会話をしたあの日からそれはより顕著になっているような気がする。
ゆめは溜息をついた。
年老いた教師が教科書を読み上げる。その声はまるで子守歌のように、一部の生徒を夢の世界へと誘っていた。ふと隣を見ると、みことと目が合う。彼女は柔らかく微笑むと、ゆめのノートの端に『眠い?』と書いた。みことの字は書き方教室の先生のように綺麗だ。
『ううん。みことは?』
『眠くないよ』
『流石生徒会長』
『やめて(笑)ねえ、それよりも、来月から林間合宿だね』
『あ!そうだったね…ゆううつ』
『大丈夫だよ!また一緒にカレー作ろうね』
筆談でみことと会話をしながら、ゆめは去年の林間合宿のことを思い出した。
去年もみことと同じグループで、他に三人の女生徒がいたような気がする。
というのも、ゆめはあまりグループのことを覚えていないのだ。覚えていることといえば、普通は男女混合のグループ編成になるのだが、ゆめたちの学年は女生徒の割合が多く、何組か女生徒だけのグループが出来上がる。ゆめとみこともその一組であったこと。そして、林間合宿当日に一人が欠席となり、残り二人は合宿中に怪我を負い病院に搬送されたこと。怪我自体は大したことはなかったそうだが、念のため自宅療養となり、林間合宿には最後まで参加することができなかった。
そんな不運が重なり、残ったゆめとみことは二人だけでカレーを作った。
ゆめとみことを別のグループに入れようという案もあったそうだが、最終的にはみことが一緒ならば二人でも大丈夫だろうという結論に至ったらしい。
それは本当にそうなのだが、教師としてみことに全てを一任するのはどうなのか、とゆめは思っている。
ゆめはみことの笑顔を横目に見ると『そうだね!』と努めて明るく返事をした。
*
「え?先生からの呼び出し?」
「違うって!林間合宿のしおりについて、相談!」
放課後。林間合宿について担当教師と生徒会長で会議をするらしく「今日は一緒に帰れない…」とみことは申し訳なさそうにそう言った。それに対し、冗談交じりで返答したゆめに、みことは頬を膨らませる。
「冗談だよ~。みことが先生に怒られてるところなんて見たことないし。呼び出しなんて考えられないもん。あ、男子生徒からの呼び出しならよくされてるか…」
「よく、ではないけど…。私よりゆめちゃんのほうが可愛いし魅力的なのに、男の子は見る目がないよ」
みことの瞳の奥が一瞬氷のように冷たくなる。けれどもそれはすぐに鳴りを潜め、何事もなかったかのように笑みを浮かべた。
「というわけだから、ゆめちゃん。寄り道しないで帰るんだよ」
「はーい、ママ」
「私はママじゃありません。あ、でもゆめちゃんの本当のママは今日も仕事で遅くなるみたいだから、いつも通り夕飯作りに行くね」
「いつも言ってるけど、夕飯くらい自分で作れるよ?そんな毎日来なくても…」
「何言ってるの?ゆめちゃん、すぐにカップ麺食べるでしょう?」
そう言って、少し怒ったような顔をするみこと。ゆめはみことのその表情を見て『言ってることがガチのお母さんじゃん』と思った。口にはしなかったけれど。
みことは別れを惜しむようにゆめを抱き締めると、悲し気な顔のまま教室を後にした。
…完璧美少女にここまで思われるって、なんだかラノベの男主人公みたいだな。
「なーんて、バカなこと考えてないでさっさと帰ろ。寄り道はするなって言われたけど、アイス食べたいし、みことのぶんも買えば…」
そこまで口にして、ゆめはふと中庭のことを思い出した。
みことが常に共にいたため中庭に行きたいとは言えなかったが、今は絶好の機会である。
彼女に後ろめたい気持ちはあれど、あのひまわりの園を思うとどうにも心が疼くのだ。
ゆめは通学用鞄を手に取ると、半ば走るように教室を飛び出した。
…そういえば、先ほどは疑問にも思わなかったけれど、みことに後ろめたいって…どうしてそんな風に思うのだろうか。