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Ms.悪鬼  作者: 星守
2/16

「最っ悪…」


 げっそりとした声色でゆめが呟く。隣のみことはそれが聞こえていたようで、微かに笑った。

 冒頭の言葉は本日二度目だ。しかし、思わず口から零れてしまうほどに目の前の現実がゆめにとっては地獄だった。

 眼前に広がるのは、水。そして、ゆめが現在着用しているのはぱつぱつの水着。

 大嫌いな、水泳の授業である。


「はー…水泳があるなんて、すっかり忘れてたよ…」

「元気出して、ゆめちゃん」

「みことはスタイルいいし、泳ぎも得意だし、羨ましいよー」


 溜息をつきながら隣のみことの腕に自分の腕を絡ませる。すると、みことは嬉しそうに頬を緩めながら「そもそも、どうしてそんなに泳ぐのが嫌いなの?」と首を傾げた。


「え、うーん…なんだろ?生まれつき?」

「そんなことある?だってゆめちゃん、溺れたこととかないよね?」


 みことは思案顔で斜め上を見つめる。おそらく、過去に共に行った海やプールでの出来事を思い出しているのだろう。

 確かに、みことの言う通りゆめは水の中で溺れた経験などはない。しかし、水も泳ぐこともゆめは昔から大嫌いだった。

 そこに大した理由などないだろう。人間誰しも生まれながらに苦手なことや嫌なことはあるはずだ。


「まあ、でも、授業だし泳がないといけないよね。どうしても嫌なら見学するのはどう?ほら、合葉(あいば)さんも見学してるみたいだし」


 みことが指さした先には、クラスメートの合葉つきの姿があった。両手を膝の上に置き、大人しくベンチに腰掛けている。

 体調不良でもないのに見学するのは罪悪感が沸くが、背に腹は代えられない。ゆめはみことの顔とプールの波を交互に見つめると、意を決して頷いた。


 ゆめとみことがクラス替えを終え高校二年生にあがってから三か月。しかし、クラスメートの顔と名前を全員覚えているわけではなかった。何しろ、ゆめとみことは常に行動を共にしている。才色兼備のみことと友人になりたい生徒は多かったが、たいして取り柄のないゆめと友人になりたい生徒など存在しなかったのだ。故に、ゆめはクラスメートをあまり覚えていない。けれども、印象に残った数人の人物ならば顔を見れば名前を思い出せるくらいには記憶している。

 合葉つきもその一人だった。


「合葉さん」


 名前を呼びながら、見学者用のベンチに近づく。

 大きな黒縁眼鏡越しに、彼女の星空のような瞳と目が合った。


「合葉さんも見学?どこか悪いの?」


 人一人分のスペースを空けて、同じベンチに腰掛ける。

 つきはしっかりとゆめの顔を見ながら、首を横に振った。


「いえ、水着を忘れてしまって…」

「そうなんだ。…私も忘れたことにして制服でくれば良かった…」


 小さく呟いた言葉に、つきは首を傾げる。

 完全に独り言であったため、ゆめはごまかすように大袈裟に首を横に振った。

 そのゆめの動作が面白かったのか、つきは僅かに頬を緩める。

 みことのような華やかさはないが、つきの笑顔は小花が開花するような可愛らしさだった。

 合葉つきという少女は規定通りに制服を着用し、低い位置で髪を一括りにしている、まさに模範的な生徒だった。教師や風紀委員から褒めたたえられるほどに、彼女は真面目然としている。大きな黒縁眼鏡がその印象を更に強くしているかもしれない。


「え~!とわっち、マジ怖いんだけど!ちゃんと息してる!?」


 甲高い声が聞こえそちらに視線を映すと、金髪の少女が顔を歪めながら“とわっち”の肩を掴んでいるのが見えた。

 ゆめが記憶しているクラスメートの一人、水鳥(みずどり)まりんである。

 彼女は所謂派手な女子生徒であり、メイクを水で台無しにされたくないのか、プールの縁を掴んで頑なに泳ぎを拒否しているようだった。つきが模範的な生徒なら、まりんはその正反対。染髪しているうえに、制服も大きく着崩している。

 “とわっち”と呼ばれた少女も、ゆめが記憶している生徒の一人である。

 都留田(つるた)とわこ。彼女はゆめのーーというより、全生徒にとって印象深い生徒だろう。

 制服はある程度着崩しているがそこが問題なのではなく、彼女は頻繁に他生徒と問題を起こすのだ。それも生易しい口喧嘩などではなく、とわこの一方的な暴力なのだそう。一方的な、とはいっても、とわこも揉めた生徒も双方に原因があるとして、喧嘩両成敗として教師から処理されている。

 まりんから肩を掴まれたとわこは無表情で首を傾げた。


「水鳥まりん。私の何が怖いというんだ」

「だって、とわっち。ずーっと水の中にいるんだもん!いつ息してんの!?」

「今している」

「あたしが言ったの、そういうことじゃないわけよ」


 怪訝な顔をしたまりんは、不意にベンチにいるゆめとつきに視線を映す。そして、大きく手を振った。


「お~い!つっき~!元気してる~?」

「はい、元気です」

「よかった!よかった!ねえ、あたし一人じゃとわっちの世話ムズイよ~」

「おい、水鳥まりん。あ…相葉つきに迷惑をかけるんじゃない」

「つっきー呼ぶ時にいつもどもるのなんでなん?」


 まりんととわこの会話を、つきは楽しそうに聞いている。

 そう。このタイプの違う三人はとても仲がいい。だからこそ、ゆめは三人のことをすぐに覚えることが出来たのだ。

 ゆめはつきに「仲良しだね」と耳打ちする。すると、つきは柔らかく笑った。

 その時。ピーッという笛の音がプール全体に響き渡った。

 この学校の体育の教師は自由人で、真面目に授業を受ける生徒には懇切丁寧に指導するが、そうでない生徒には放任主義である。まりんととわこが自由に泳いでいるのも、ゆめがその場判断で簡単に授業を見学できるのもこの教師あってのことだ。

 笛の音と共に一部の真面目な生徒が一斉にプールに飛び込む。どうやらタイムを計るらしい。

 その生徒の中にみことの姿が見えて、ゆめは目を輝かせた。

 水の中でしなやかな手足が踊る。太陽の光で水飛沫が輝き、まるでみことをライトアップしているかのようだった。周りの生徒たちもみことの優美な泳ぎに釘付けになっているようで、時折歓声が沸く。みことは人魚のように実に美しく泳ぎきると、堂々トップでプールを出た。

 不意に、みことがゆめと視線を合わせる。そうして満面の笑みを浮かべると控えめに手を振った。


「仲良しですね」

「あはは!うん、ありがと」


 つきの言葉にゆめは大きく頷いてみことに手を振り返す。

 季節は夏。みこと以外の生徒と話をしたのは随分久しぶりのような気がする。ゆめはつきの顔をちらりと見ながら今年は楽しい夏になるかもしれない、とそう思った。

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